« ローマ11:33-36 人間は被造物であり人間の生存は神にかかっている | トップページ | ローマ12:3-8 与えられたものを忠実に用いる »

2013年7月12日 (金)

ローマ12:1.2 霊的な礼拝

ローマ12:1.2
12:1兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。
12:2あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。”
(口語訳)

 ローマ人への手紙の1-11章までは、パウロは教理を論理的に書いてきました。12章からは、それを受けて実践的なことを書いております。12:1の冒頭において、<そういうわけで>即ち、1-11章から恵みを受けたでしょうからとまず<霊的な礼拝>をして下さいとお勧め[嘆願]しています。これこれをしなければならないということではなく、恵みに応答して主の御旨にかなって歩んでいきなさい、と勧めています。まだ恵みを感じられないという人は、お願いされても勧められたようには歩めないでしょう。そのような人の場合は、神、罪、救い、きよめについて御霊なる主から教えて頂き、自分に適用していくことが大切ではないかと思います。
 霊的な礼拝とは、自分のすべてを<神に喜ばれる、生きた、聖なる>ものとして捧げる、即ち主なる神様の御用[奉仕]に用いて頂く為に捧げるということではないでしょうか。

 次に同じ個所を他の聖書の訳と比べてみます。
そこで、兄弟たちよ。私はあなたがたに、神の慈悲によって勧めるが、あなたがたのからだを、生ける、聖なる、神に喜ばれる供え物として献げなさい。〔すなわち〕あなたがたの霊的な礼拝を〔なすようにしなさい〕。
そしてあなたがたは、この世と同じ姿かたちにさせられてはならない。むしろ〔自らの〕思いを刷新することによって形造り直され、〔その結果〕何が神の意志であり、善きことであり、そして〔神に〕喜ばれることであり、完全なことであるのかを、あなたがたは吟味するように〔しなさい〕。”(岩波訳)

“こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。”(新共同訳)

“そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。”(新改訳)

“(このように、神は偉大な計画によって人類を一人のこらず救おうとしておられるのであって、救いは確かである。)だから、兄弟たちよ、わたしは神のこの慈悲を指してあなた達に勧める。あなた達の体を(感謝のしるしとして神に)捧げよ。この生きた聖なる犠牲こそ、神のお気に入るものであり、(霊なる神を拝むにふさわしい、)あなた達の霊的な礼拝である。(あなた達の礼拝は動物を供えるような不合理なものでなく、全心全霊をささげる合理的な礼拝でなければならならない)
また、この世に調子を合わせてはならない。むしろ反対に、何が神の御心であるか、何が善であり、お気に入るものであり、また完全であるかを見分け得るために、(御霊によって)心を一新されて自分を造りかえていただけ。(そうすれば来るべき世への準備ができる。)”(塚本訳)

 2節の終わりの部分を新改訳は<心の一新によって自分を変えなさい>としていますが、ここの原語は、受動態としても訳されるところだそうです。他の聖書の訳は、<心の一心によって>を能動態で訳したり、受動態で訳したりしていますが、<自分を変えなさい>の部分は、<造りかえて頂け>というような受動態になっています。自分自身の体験からは、御霊によって変えられた時こそ本当に変わったように思うのです。<変える;変えられる>という語の原語は、(ギ)μεταμορφόωで英語では、to transform ("metamorphose")ですから、やはり御霊による造り変えが必要だと思います。

<お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め賛美します。
あなたの恵みに応答し、自らを聖い生きた供え物として捧げ、主の御用に用いて頂けたらと願います。
また、外なる人は古びても内なる人は日々新たに更新されていくものでありますから感謝します。
主イエス・キリスト様の御名によって感謝をこめてお祈りします。
アーメン

 

 

 

« ローマ11:33-36 人間は被造物であり人間の生存は神にかかっている | トップページ | ローマ12:3-8 与えられたものを忠実に用いる »

ローマ人への手紙」カテゴリの記事

聖化」カテゴリの記事

コメント

【あなたがたはこの世に倣ってはなりません】とありますが、私はまだ自分の都合によっています。日々、変わらずにできたらいいです。未々、人に左右されてしまいます。御霊によって変えていただけることを願います。
それには、自分を供え物としてささげることですよね。

日々み言葉に触れ、主に祈っている人は、時と共に、主に倣うものとなっていきますよ。
1コリント11:1には、「私がキリストに倣う者であるように、あなたがたも私に倣う者でありなさい。」(2017)とあり、
1テサロニケ1:6には、「あなたがたも、多くの苦難の中で、聖霊による喜びをもってみことばを受け入れ、私たちに、そして主に倣う者になりました。」(2017)と記されています。

“それには、自分を供え物としてささげることですよね。”→
そのとおりです。

[日々み言葉に触れ、主に祈っている人は、時と共に、主に倣うものとなっていきますよ]
本当にいったりきたりで。
言っている時は、「そうですね!」と言い切れるのですが、きたりの時は「あ…まただ…取りつかれてしまっている…祈りが足らない…」という様な気持ちになってしまいます。そんな感じなのでしょうか…⁉️

“本当にいったりきたりで。”→
それでも大丈夫なのです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ローマ11:33-36 人間は被造物であり人間の生存は神にかかっている | トップページ | ローマ12:3-8 与えられたものを忠実に用いる »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ