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2013年10月31日 (木)

ヘブル8章 古い契約と新しい契約

ヘブル8:1-13
8:1以上述べたことの要点は、このような大祭司がわたしたちのためにおられ、天にあって大能者の御座の右に座し、
8:2人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
8:3おおよそ、大祭司が立てられるのは、供え物やいけにえをささげるためにほかならない。したがって、この大祭司もまた、何かささぐべき物を持っておられねばならない。
8:4そこで、もし彼が地上におられたなら、律法にしたがって供え物をささげる祭司たちが、現にいるのだから、彼は祭司ではあり得なかったであろう。
8:5彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。
8:6ところがキリストは、はるかにすぐれた務を得られたのである。それは、さらにまさった約束に基いて立てられた、さらにまさった契約の仲保者となられたことによる。
8:7もし初めの契約に欠けたところがなかったなら、あとのものが立てられる余地はなかったであろう。
8:8ところが、神は彼らを責めて言われた、
「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家およびユダの家と、新しい契約を結ぶ日が来る。
8:9それは、わたしが彼らの先祖たちの手をとって、エジプトの地から導き出した日に、彼らと結んだ契約のようなものではない。彼らがわたしの契約にとどまることをしないので、わたしも彼らをかえりみなかったからであると、主が言われる。
8:10わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。
すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
8:11彼らは、それぞれ、その同胞に、また、それぞれ、その兄弟に、主を知れ、と言って教えることはなくなる。なぜなら、大なる者から小なる者に至るまで、彼らはことごとく、わたしを知るようになるからである。
8:12わたしは、彼らの不義をあわれみ、もはや、彼らの罪を思い出すことはしない」。
8:13神は、「新しい」と言われたことによって、初めの契約を古いとされたのである。年を経て古びたものは、やがて消えていく。”(口語訳)

 イスラエル民族は、エジプトで奴隷とされ、その苦しみの故に、神に救いを願い、エジプトから脱出させて頂いた後、神様は指導者モーセに天の聖所にかたどって地上の聖所を作るように命じました。9節に「エジプトの地から導き出した日に」、5節に「天にある聖所のひな型・・・山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」とある通りです。出エジプト記を読むとモーセは神様に命じられて40日間シナイ山にいたことが分かります。その山で神様は、モーセに十戒の石の板と幕屋に関する構造、造り方、備品やその作り方、幕屋で仕える祭司の任命と祭司の衣服、祭司の聖別の仕方、常供の捧げものについて、大祭司による1年に1度の罪の為の贖いについて、人口調査と贖い金について、香油の作り方と使用規定について等々を教えたのです(出エジプト24:12-31:18)。
その幕屋の構造は、天の写しであったのです。更に、大祭司や祭司が仕えるのは地上でのことでした。それに対し、永遠の大祭司イエス・キリストは「わたしたちのためにおられ、天にあって大能者〔父なる神〕の御座の右に座し、人間によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。 」(ヘブル8:1.2)と書かれてある方なのです。ヘブル人には、イエス・キリストとアロン系の祭司についての対比をしつこいほどに書く必要があったのだと思います。

 ヘブル8章には古い契約、新しい契約ということが出てきます。
古い契約は、モーセを通して神様とイスラエル人が結んだものです。
ヘブル8:8-12に書かれている新しい契約についての預言は、預言者エレミヤに古い契約の時代に次のように語られたのです。
31:31主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。
31:32この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破ったと主は言われる。
31:33しかし、それらの日の後にわたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となると主は言われる。
31:34人はもはや、おのおのその隣とその兄弟に教えて、『あなたは主を知りなさい』とは言わない。それは、彼らが小より大に至るまで皆、わたしを知るようになるからであると主は言われる。わたしは彼らの不義をゆるし、もはやその罪を思わない」。”(エレミヤ31:31-34)

 34節の最後の箇所を他の聖書で見ると、「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思いださない。」(新改訳)
「わたしは彼らの悪を赦し、再び彼らの罪を心に留めることはない。」(新共同訳)とあります。
これが可能になったのは、イエス・キリストの十字架と復活があったからです。キリストの十字架が自分の為であったと分かり、キリストを心に受け入れた人に対して神様は、「わたしはあなたの不義を赦し、もはやその罪を思い出さない。」と言って下さるのです。従って、罪を思い起こさせるのは、自分自身であり、サタンなのです。とはいえ、自分がどのような状態から贖いだされたのかということをよくよく心に留めておくことは大切なことだと思います。
「あなたがたがキリスト・イエスにある〔(ギ)εν χριστω (英) in Christ〕のは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」(1コリント1:30)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
わたしを新しい契約の内に入れてくださいましたことを感謝します。
イエス様がわたしのすべての罪を身代わりに引き受けてくださった故に、「わたしはあなたの不義を赦し、もはやその罪を思い出さない。」と言って下さいますからありがとうございます。
そのように言われた者としてふさわしく歩むことが出来ますよう整え、御霊に導かれて今日も歩ませて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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コメント

私は、未々相応しくないので、本当に相応しくしてくださるように祈るばかりです。
イエス様がいなかった旧約の時代に生きていたら、私は神様の怒りに直ぐにふれていたのだろうと思います…。
キリスト教なんて、宗教なんて…と反発していた時(なんて生意気なヤツだ!と思います)もありましたし…。
その後は、ただ単純にイエス様を信じて、愛を信じて導かれるままに授洗したので、こんなに奥が深かったとは…と日々思っております。感謝です‼️

生涯に亘って、主が与えてくださっておられる恵みを教えられ続けていくのだと思います。

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