« 1ペテロ1:5 体の贖い  | トップページ | 1ペテロ1:8.9 喜びの源 »

2013年12月27日 (金)

1ペテロ1:6.7 信仰の試練がもたらすもの

そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。
1:7こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
(口語訳)

 「そのことを思って」とは、主イエス様を信じる者を新しく生まれさせて下さったこと、即ち新生(3)、生ける望みと記されている復活の希望(3)、天に蓄えられている資産を受ける者即ち相続人(4)、信仰が与えられていることや神の御力によって守られていることや体が贖われて霊の体を頂けること(5)をここでは指していると思います。これらのことを思ってキリスト者は大いに喜んでいるということです。

 しかし、「地上にあっては様々な試練で悩まねばならないかも知れない」と言われます。何故試練があるのか、楽な方が良いのではないかと思いがちですけれども、神様のお考えは、地上において様々な試練を通すということは、金属を精錬して純化することに喩えられると言っております。私たちは、この世から、滅びから、救われただけでは、不純物だらけです。試練を通して不純物が除かれ、キリスト者として、神の子として、キリストの花嫁としてふさわしく、きよく汚れの無い者にされていくのです。試練に遭うことはただ苦しいだけではありません。その中にあって神体験をしていくのです。慰めの欲しい時に、人から慰めを受ける方法もありますが、神様から慰めを受けるという体験をする絶好の機会ともなります。お先真っ暗という状況におかれたときにも、この世の様々な方法を駆使していく方法もありますが、信仰によって神様が道を開き、光を照らしてくださり、導いて下さるということを体験する絶好の機会ともなります。あらゆる場合に、主により頼むのです。そのようにする人は幸いです。

 ダビデは、王様になると預言者を通して神様から言われてからというもの、初めは良かったのですが、やがて試練に次ぐ試練、始終命を狙われるという試練が待ち受けていました。ダビデはサウル王に狙われ続け、「私と死との間には、ただ一歩の隔たりしかありません。」(1サムエル20:3)とヨナタンに語っています。しかしダビデは、いつも主により頼んでいました。そして練られていったのです。ダビデは詩編16:8.9で「私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことはない。それゆえ、私の心は喜び、私の魂は楽しんでいる。」と言っております。キリスト者は、ただ神の恵みの故に、新生された霊の内に主の御霊が住んでいて下さるのですからある意味ではダビデ以上の体験をすることが出来る備えが用意されているのです。主の御霊に十分に働いて頂く秘訣は、自分の肉はキリストと共に十字架につけられました、という体験をさせて頂きそれを継続することです。

 様々な試練に遭った時にキリストに信頼して歩んだ者には栄光と誉れとが与えられます。
主イエス様は最後の晩餐の時に言われました。「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)
1ヨハネ5:4.5には、「神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つものとは誰でしょう。イエスを神の子と信じる者〔信じ続ける者〕ではありませんか。」とあります。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
地上にいて肉体を纏っている間は、様々な試練がやってきますが、いつも主にあって勝利していくことが出来ますよう助け導いていて下さい。しっかりと信仰に立ち続ける者であらせて下さい。あらゆるときにあなたをほめたたえつつ。
主の御名によって祈ります。
アーメン 

« 1ペテロ1:5 体の贖い  | トップページ | 1ペテロ1:8.9 喜びの源 »

ペテロの手紙Ⅰ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 1ペテロ1:5 体の贖い  | トップページ | 1ペテロ1:8.9 喜びの源 »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ