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2014年1月19日 (日)

1ペテロ3:8.9 祝福を受け継ぐために召された

3:8最後に言う。あなたがたは皆、心をひとつにし、同情し合い、兄弟愛をもち、あわれみ深くあり、謙虚でありなさい。
3:9悪をもって悪に報いず、悪口をもって悪口に報いず、かえって、祝福をもって報いなさい。あなたがたが召されたのは、祝福を受け継ぐためなのである。
(口語訳)

 今回も翔訳聖書の同じ箇所を下記します。
“最後に〔言います、あなたがたは〕みな、心を〔全く〕一つにし<霊において一致し>、〔互いに〕同情し合い、〔めいめいが他の人を〕<一つの家族の>兄弟のように愛し、憐れみ深く<うやうやしく<心やさしく>、謙遜でありなさい。決して、悪を持って悪に報いず、侮辱を持って侮辱に報いず<がみがみと叱責し、口ぎたなくののしり、どなりつけたりしないで>、かえって、祝福しなさい<彼らの繁栄、幸福のため、また彼らが守られる為に祈り、彼らを真実に憐れみ、愛しなさい>。というのは、あなたがた自身が〔神からの〕祝福を受け継ぐ、<繁栄と幸福と守護とをもたらして、世継ぎとしての祝福を得る>為に召されたからです<あなたがたはそれを知っていなさい>。”

 ペテロは、兄弟姉妹たち全員に語りかけています。
まず、「皆が、心を一つにし、」と語ります。キリストを心の中心に据えない限り心を一つにすること、原語の意味では、「同じ思いを持つこと」は出来ません。イエス・キリスト様が中心でないと皆自分中心になり分裂します。
いつも、心の中心の座にイエス・キリスト様がおられ、古き人がキリスト共に十字架につけられていると、イエス様の品性が流れ出てきます。

 主イエス様は、同情深く、兄弟愛に富み、憐れみ深く、悪に対して悪を報いず、反って十字架の上でさえとりなしの祈りをされた方です。主イエス様は、「あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ6:28)と教えられましたが、主ご自身が十字架の上で「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ23:34)と祈られました。主イエス様が十字架につけられた時、一緒に二人の犯罪人が十字架につけられましたが、その内の一人は悔い改めて主イエス様によって地上における最後の命の瀬戸際で救われたのです。十字架につけられた犯罪人は二人とも主のこの祈りを聞きましたが、心動かされ悔い改めたのは一人でした(ルカ23:39-43)。恐らくは、この十字架刑を現場で執行した責任者ではないかと思われる百人隊長も心動かされ神をほめたたえ、「ほんとうに、この人は正しい方であった」と言ったのです(ルカ23:47)。もし、イエス様が十字架の上で呪いのことばをはいていたら十字架につけられた犯罪人の一人は救われなかったかもしれませんし、百人隊長が神をほめたたえ、キリストを義人と認めることも無かったでしょう。

 私たち自身も魂がきよめられて、同情する心、兄弟愛の心、憐れみ深い心、悪に対して祝福をお返しするような心として頂きたいものです。そのようになることを神様が望んでおられますからその準備もしていて下さっておられます。その為にキリストのきよめの血がすでに流され、みことばが与えられ、聖霊が働いてくださり、きよくされる信仰をも与えてくださいますから感謝なことです。みことばを読んだり、説教を聞いて罪を示されたら、或いは神様が信者又は未信者を通して罪を示されたら直ちに罪を告白し、主イエスの血潮に与り、思いを新たにして歩み出すことです。1ヨハネ1:9には、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」とあります。罪を示された時には、何度でもすぐに行うことです。そうすれば神様との関係をいつも良好に保つことが出来ます。

 キリスト者は、神様から満ち溢れる祝福を既にいただいている者、そして頂き続けている者、天に帰ったら驚くほどの祝福に驚嘆する者です。
キリスト者とされた者は、すでに罪が赦されました。罪の赦しは、神様のみが行うことが出来ます。キリストが流してくださった血潮の故に過去、現在、未来の罪が赦されたのです。未来の罪も赦されたのなら好き勝手なことをしようと考える人は、本当にキリスト者とされているのか検討した方がよさそうです。また、確かに救われているのならば、放縦なる歩みではなく敬虔な歩みに戻るべきです。
キリスト者とされた者は、義と認められました。義と認められるとは、罪が赦されたというのとは違って、正しい者である、とされたのです。キリストの故に不義なる者が義とされたのです。
キリスト者とされた者は、すでに死を超越しました。永遠の命を与えられたのです。主イエス様は、マルタに「わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。」(ヨハネ11:25.26)と言われたのです。キリスト者とされた者の多くはこの意味が分かるのです。

 天には、朽ちることも汚れることも消えていくこともない資産がキリスト者に与えられるために蓄えられているのです(1ペテロ1:4)。これは将来のものです。神様は祝福の上に祝福を与えてくださる方です。
主イエス様が十字架につかれる時、主の心中はどのようであったのでしょうか。ヘブル12:2に「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びの故に」と記されてあります。私たちも地上を歩むとき、特に厳しい状況に置かれているとき、天に蓄えられている資産が与えられることに思いをはせることも一つの方法であることを教えくれています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め、賛美し、感謝します。
あなたは、私たちにすべての良きものを与えてくださる方です。
色々苦しいことがあっても、天で受ける祝福を想像しながら歩むことが出来ますように。
それと共に、地上においても主にあって励むことをおろそかにすることが無いように助けていて下さい。
既に素晴らしい祝福を頂いておりますが、既に与えられているものの価値を更に豊かに知ることが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によって感謝してお祈りします。
アーメン

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