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2014年1月 3日 (金)

1ペテロ1:18.19 贖いはキリストの血による

1:18あなたがたのよく知っているとおり、あなたがたが先祖伝来の空疎な生活からあがない出されたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、
1:19きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。
(口語訳)

 「先祖伝来の空疎な〔むなしい〕生活〔生き方〕」、その原因は、まことの神を神としていなかったことにあります。まことの神の代わりに偶像を礼拝し、それに基ずく様々な行事を行い、またその言い伝えに縛られてきました。お正月になった途端に日本のテレビは、偶像関係の空疎なものの放映が多くなっています。
人間は、まことの神を礼拝するように造られたと思われますから、まことの神が分からない場合でも何かを礼拝したくなるのでしょう。
私も救われる前は、初詣に行きました。子どもの頃は親に連れられて、神社に行ってさい銭を投げ入れてお願いをしたり、近くの神社の高いところから初日の出を拝んだり、ついでに寺に行ったり、ということを当然のように行ってきました。ですからイザヤ書の次の箇所を読んだ時には、ショックを受けつつ本当だ、と思ったものです。また、痛快でもありました。
「44:9 偶像を造る者はみな、むなしい。彼らの慕うものは何の役にも立たない。彼らの仕えるものは、見ることもできず、知ることもできない。彼らはただ恥を見るだけだ。
44:10 だれが、いったい、何の役にも立たない神を造り、偶像を鋳たのだろうか。
44:11 見よ。その信徒たちはみな、恥を見る。それを細工した者が人間にすぎないからだ。彼らはみな集まり、立つがよい。彼らはおののいて共に恥を見る。
44:12 鉄で細工する者はなたを使い、炭火の上で細工し、金槌でこれを形造り、力ある腕でそれを造る。彼も腹がすくと力がなくなり、水を飲まないと疲れてしまう。
44:13 木で細工する者は、測りなわで測り、朱で輪郭をとり、かんなで削り、コンパスで線を引き、人の形に造り、人間の美しい姿に仕上げて、神殿に安置する。
44:14 彼は杉の木を切り、あるいはうばめがしや樫の木を選んで、林の木の中で自分のために育てる。また、月桂樹を植えると、大雨が育てる。
44:15 それは人間のたきぎになり、人はそのいくらかを取って暖まり、また、これを燃やしてパンを焼く。また、これで神を造って拝み、それを偶像に仕立てて、これにひれ伏す。
44:16 その半分は火に燃やし、その半分で肉を食べ、あぶり肉をあぶって満腹する。また、暖まって、『ああ、暖まった。熱くなった』と言う。
44:17 その残りで神を造り、自分の偶像とし、それにひれ伏して拝み、それに祈って『私を救ってください。あなたは私の神だから』と言う。
44:18 彼らは知りもせず、悟りもしない。彼らの目は固くふさがって見ることもできず、彼らの心もふさがって悟ることもできない。
44:19 彼らは考えてもみず、知識も英知もないので、『私は、その半分を火に燃やし、その炭火でパンを焼き、肉をあぶって食べた。その残りで忌みきらうべき物を造り、木の切れ端の前にひれ伏すのだろうか』とさえ言わない。
44:20 灰にあこがれる者の心は欺かれ、惑わされて、自分を救い出すことができず、『私の右の手には偽りがないのだろうか』とさえ言わない。」{新改訳(イザヤ44:9-20)}
これは今から約2700年も前に主に導かれたイザヤによって書かれたものですから驚きです。救われる前の私を含めた日本人の多くはこのようであった、或いはあるのです。真理が分からなかったからです。

 偶像礼拝は、人間が世界を支配している間は、どのようなことがあってもなくなることはありません。将来起こる大患難時代には、まず、戦争や飢饉、伝染病、大地震、水の汚染や、海の汚染、極端な異常気象、悪霊による死ぬことの出来ない極めて苦しい病、前とは異なる殺戮等によって地上の50%の人が死ぬと黙示録9章までに書いてあります。その時の人口がどのくらいなのかは知りませんが、もし大患難に突入する前が70億人だとすると35億人が死ぬのです。それにも拘らず、「これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、その殺人や、魔術や、不品行や、盗みを悔い改めなかった。」{新改訳(黙示録9:20.21)}と書いてあるような状態なのです。
 「偶像を拝んでいない」と言う人もいることと思いますが、まことの神を神としていなければ偶像を拝んでいるのです。その偶像は、お金であったり、名声であったり、自分自身であったり、他の人であったりするのです。

 私たちキリスト者は、キリストの尊い血によって贖いだされたということを誰でも知っています。
なぜ「血」なのか。
それは創造者である神様がそのように言っているからです。
レビ17:11で、主は、「・・肉の命は血の中にある。・・・・命として贖いをするのは血である。」と語られました。
パウロは、「・・神がご自身の血をもって買いとられた神の教会・・・」(使徒20:28)と語っています。
キリスト者は、キリストの尊い血によって贖い出され、むなしい生き方から贖いだされたのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
あなたは、御子イエス様の尊い血を流されることによって、私たちを贖いだして下さいました。私たちは、罪と死から贖いだされ、またむなしい生き方から贖いだされたのです。御子イエス様の血の他に私たちを贖うことの出来るものはありません。
言葉では感謝しきれませんが、ありがたく受けさせて頂きます。
ありがとうございます。
主の御名によって
アーメン

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