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2014年1月31日 (金)

1ペテロ4:12-14 迫害は珍しくない

4:12愛する者たちよ。あなたがたを試みるために降りかかって来る火のような試錬を、何か思いがけないことが起ったかのように驚きあやしむことなく、
4:13むしろ、キリストの苦しみにあずかればあずかるほど、喜ぶがよい。それは、キリストの栄光が現れる際に、よろこびにあふれるためである。
4:14キリストの名のためにそしられるなら、あなたがたはさいわいである。その時には、栄光の霊、神の霊が、あなたがたに宿るからである。”(口語訳)

 キリスト者にとって迫害、試練、というものは不思議なことではありません、とペテロは言っています。このことは、主イエス様が地上におられた時、弟子たちにも、ヨハネ15:18-25で次のように語っておられます。
「もし世があなたがたを憎むなら、世はあなたがたよりもわたしを先に憎んだことを知っておきなさい。
もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのです。それで世はあなたがたを憎むのです。
しもべはその主人にまさるものではない、とわたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。もし人々がわたしを迫害したなら、あなたがたをも迫害します。もし彼らがわたしのことばを守ったなら、あなたがたのことばをも守ります。
しかし彼らは、わたしの名のゆえに、あなたがたに対してそれらのことをみな行います。それは彼らがわたしを遣わした方を知らないからです。
もしわたしが来て彼らに話さなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。しかし今では、その罪について弁解の余地はありません。
わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいるのです。
もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、彼らの間で行わなかったのなら、彼らには罪がなかったでしょう。しかし今、彼らはわたしをも、わたしの父をも見て、そのうえで憎んだのです。
これは、『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。」
主イエス様は、これを語って終わりではありません。
ヨハネ16:31で、「あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と語られたのです。
弟子たちは、主の十字架の少し前にこれらの主が語られたおことばを聞いたのですが、敵が主を捕えに来た時、弟子たちは皆逃げてしまったのでした。

 ところが、イエス様が復活した後に弟子たちに聖霊が遣わされた後、聖霊が内に住んでいて下さった弟子たちは、皆勇敢になり迫害に屈せず、ほとんどの者が殉教していったのです。使徒ヨハネだけは、釜ゆでにされたり、恐らく80~90歳前後になってから島流しにされましたが、死ななかったのです。それは神さまの御計画の故でしょう。パトモス島に島流しとされ、そこでヨハネの黙示録にある内容を主から与えられ、その後ヨハネの福音書やヨハネの手紙などを残していると思われるのですから、まさに肉体の命も神様次第なのです。ヨハネが執筆したものを聖書から取り去ってしまったとしたら、・・・・。私は、ヨハネの執筆したものからたくさんの恵みを頂いております。

 キリスト者は、神様が、「天国に来てよし。」と決定して下さらないと、人の目にはどんなに死にそうに見えても、地上で肉体を纏っていなければならないのです(これは私の体験です)。神様は、キリスト者一人一人に御計画をお持ちであると思います。ですから、キリスト者は、それぞれその人の使命が全うされるまでは、原則としては地上にいることになるのではないかと思うのです。

 ステパノという人は、キリスト者となってから数年しかたっていなかったのに、素晴らしい説教をしている最中に、敵から石打ちにされて、天に召されたのです。このときは、主イエス様がステパノを励まし、かつ迎えに来られました。(使徒6:8-7:60)
パウロも石打ちにされ、人の目には死んだと思えた状態でしたが、主イエス様は、パウロを天国に入れてくれたのではありませんでした。パウロはわずかの時間の後には歩きだし、翌日には次の宣教地へと向かったのです(使徒14:19.20)。これはパウロがすごいのではなく、主の御計画なのです。パウロは、コリントの地における宣教の時、主イエス様に「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。」(使徒18:9)と語られた人なのです。人ではなく神様を見ないと誤ってしまします。

 黙示録には、大患難時代に殉教していく多くの聖徒たちがいます。その聖徒達は、いのちの書に世の初めから名の書きしるされている者たちなのです(黙示録13:8)。いのちの書に名の書きしるされている者たちは、反キリストが現れてもあまり驚かないのです(黙示録17:8)。そして、その聖徒達は、キリストが地上に再臨された時、復活させてもらって、キリストの千年王国において王とされるのです(黙示録20:4)。

 キリストにあるならば、勝利者となります。ローマ8章には次のようにあります。
“ 8:35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
8:36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてある(詩編44:22からの引用)とおりである。
8:37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
8:38 わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、
8:39 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。”{(ローマ8:35-39)口語訳}

 迫害にあった者の幸いを主イエス様は、「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。」(マタイ5:10-12)と語られました。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
あるキリスト者達は生まれた国と生まれた時代の故、ほとんど迫害されることなく一生を終えた、ということもあったと思います。
また、あるキリスト者達は、信仰を持つその時からいのちを狙われるという中で信仰を持ち、ある信仰者は信仰を持ってから間もなくして殉教し、ある信仰者は迫害されたけれども逃れることが出来て宣教を続けているという状況を現代でも見ることのできる複数の地域があります。
いかなる状況、環境に置かれても、いつも神様の御配慮のもとに、そこで御霊によって強められてあかしを立てさせて頂くために立てられているということを忘れることなく、愚痴をいわず、愚痴をいいたい時は、主に祈りをささげながら歩む者であらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン 

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