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2014年1月13日 (月)

1ペテロ2:13-15 

2:13あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。主権者としての王であろうと、
2:14あるいは、悪を行う者を罰し善を行う者を賞するために、王からつかわされた長官であろうと、これに従いなさい。
2:15善を行うことによって、愚かな人々の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。
(口語訳)

 一言でいうと、「国の法律に従いなさい。」ということです。
この書簡の著者のペテロは、実際はどのようであったでしょうか。
使徒4-5章には次のようにあります。
“彼らが人々にこのように〔福音を〕語っているあいだに、祭司たち、宮守がしら、サドカイ人たちが近寄ってきて、彼らが人々に教を説き、イエス自身に起った死人の復活を宣伝しているのに気をいら立て、彼らに手をかけて捕え、はや日が暮れていたので、翌朝まで留置しておいた。(4:1-3)
明くる日、役人、長老、律法学者たちが、エルサレムに召集された。大祭司アンナスをはじめ、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな集まった。
そして、そのまん中に使徒たちを立たせて尋問した、「あなたがたは、いったい、なんの権威、また、だれの名によって、このことをしたのか」。
その時、ペテロが聖霊に満たされて言った、「民の役人たち、ならびに長老たちよ、わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人がどうしていやされたかについてであるなら、あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』なのである。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、かつ、彼らにいやされた者がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。
そこで、ふたりに議会から退場するように命じてから、互に協議をつづけて言った、「あの人たちを、どうしたらよかろうか。彼らによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全体に知れわたっているので、否定しようもない。ただ、これ以上このことが民衆の間にひろまらないように、今後はこの名によって、いっさいだれにも語ってはいけないと、おどしてやろうではないか」。そこで、ふたりを呼び入れて、イエスの名によって語ることも説くことも、いっさい相成らぬと言いわたした。
ペテロとヨハネとは、これに対して言った、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従う方が、神の前に正しいかどうか、判断してもらいたい。わたしたちとしては、自分の見たこと聞いたことを、語らないわけにはいかない」。そこで、彼らはふたりを更におどしたうえ、ゆるしてやった。(4:5-21) 
・・・中略・・・
そのころ、多くのしるしと奇跡とが、次々に使徒たちの手により人々の中で行われた。そして、一同は心を一つにして、ソロモンの廊に集まっていた。
ほかの者たちは、だれひとり、その交わりに入ろうとはしなかったが、民衆は彼らを尊敬していた。しかし、主を信じて仲間に加わる者が、男女とも、ますます多くなってきた。ついには、病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにしたほどであった。またエルサレム附近の町々からも、大ぜいの人が、病人や汚れた霊に苦しめられている人たちを引き連れて、集まってきたが、その全部の者が、ひとり残らずいやされた。
そこで、大祭司とその仲間の者、すなわち、サドカイ派の人たちが、みな嫉妬の念に満たされて立ちあがり、使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。
ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」。彼らはこれを聞き、夜明けごろ宮にはいって教えはじめた。
一方では、大祭司とその仲間の者とが、集まってきて、議会とイスラエル人の長老一同とを召集し、使徒たちを引き出してこさせるために、人を獄につかわした。そこで、下役どもが行って見ると、使徒たちが獄にいないので、引き返して報告した、「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」。宮守がしらと祭司長たちとは、この報告を聞いて、これは、いったい、どんな事になるのだろうと、あわて惑っていた。
そこへ、ある人がきて知らせた、「行ってごらんなさい。あなたがたが獄に入れたあの人たちが、宮の庭に立って、民衆を教えています」。
そこで宮守がしらが、下役どもと一緒に出かけて行って、使徒たちを連れてきた。しかし、人々に石で打ち殺されるのを恐れて、手荒なことはせず、彼らを連れてきて、議会の中に立たせた。すると、大祭司が問うて言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間に従うよりは、神に従うべきである。わたしたちの先祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスをよみがえらせ、そして、イスラエルを悔い改めさせてこれに罪のゆるしを与えるために、このイエスを導き手とし救主として、ご自身の右に上げられたのである。わたしたちはこれらの事の証人である。神がご自身に従う者に賜わった聖霊もまた、その証人である」。
これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。
ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。そこで彼らはその勧告にしたがい、使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。(5:12-40)”

 ペテロは信仰の良心の故に、時の為政者や宗教指導者達に従わなかったのです。ペテロの心の中には、主イエス様が語られた「わたし〔イエス・キリスト〕には天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」{新改訳(マタイ28:18-20)}や「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」{新改訳(使徒1:8)}というようなみことばがあったと思います。

 ペテロは、この世の法律よりも自分の信仰の良心を第一にしました。しかし、そのことの故に、捕えられるときには、暴力的に抵抗することなく、刑に服したのです。
また、ペテロは、使徒12章によるとヘロデ王によって逮捕され、牢に入れられたのです。しかし、神様の介入により天使が遣わされてペテロは救出されました。一方、使徒ヤコブは殺されました。殉教したのです。これも神様の御旨であると思います。ヤコブはそれ以来天におられる神様のおそばにいるのです。
ここに、信仰と国家権力との関係がはっきりと示されています。

 神様の対応はどのようなものであったでしょうか。
国家権力の横暴に対して神様は、ペテロのときには、神の主権を執行されて天使を遣わされ、ペテロを救出しました。一方、使徒6-7章に記されているステパノのときは、神様は、ステパノが地上で命を保つようなあり方ではなく、主の霊に満たして、主イエス様が十字架上で栄光をあらわされたように「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」と言うことが出来るようにして証を立てさせ、ステパノを嘆きも涙も苦しみもない天に移されました。ヤコブも殉教しました。(使徒12:1.2)

 全き愛にして、常に最善をなさる神様を神様として受け入れていないと、或いは、人間側が主権を放棄していないと、「なんで?どうして?」ということになるでしょうが、「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。」{新改訳(伝3:11)}のです。
殉教者には、後に、殉教者に与えられる報酬があるのです。
「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。」(マタイ5:10-12)と主イエス様は語られました。
教会時代のキリスト者ではなく、教会時代にキリストを主として救い主として信じることが出来ず、大患難時代になって初めて信じることが出来、殉教した人達の報酬について、黙示録20:4-6には、キリストの千年王国で統治する者となると書かれています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
あなたの御旨に従って歩む者であらせて下さい。
その時々で、どのように歩んだら良いのか、導いて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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