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2014年1月28日 (火)

1ペテロ4:8 愛は多くの罪をおおう

4:8何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。愛は多くの罪をおおうものである。”(口語訳)

 「何よりもまず、互の愛を熱く保ちなさい。」とありますが、「熱く」の原語ἐκτενήςエクテネースを辞書で調べると、堅く・熱く・途絶えることなく、という意味を持っているようです。塚本訳では「強き」、新改訳では「熱心に」、新共同訳では「心をこめて」、前田訳では「堅い」となっています。
また、「愛」の原語はἀγάπηアガペーです。即ち、キリストにみられた愛です。
キリストの内にみられたような無償の愛を熱く、堅く、途絶えることなく、互いに持つように、と言われても、このような愛とその性質を、もともと人間は持ち合わせてはいません。これは内におられる御霊によるしかないのだと思います。生まれながらの肉の性質がキリストと共に十字架につけられて御霊が輝き出てくださらない限り、途絶えることなく、熱く、堅く無償の愛を持って愛するということは不可能でしょう。主なる神様は、ペテロを通して私たちにそのように愛するようにと勧めておられます。

 「愛は多くの罪を覆う」とあります。旧約の時代、罪の覆いは、牛や羊等を罪の為のいけにえとして捧げることによって罪を覆ってもらっていました。それは神様が命じられた方法であったのです。それはイエス・キリスト様の贖いの予型であったのです。主イエス様の血潮の場合は、ただ罪を覆うというだけではなく、罪を完全に赦すことの出来る血潮を流してくださったのです。それ故、主イエス様を信じたものは、完全に赦されたのです。
旧約時代に生きたダビデ王は、罪を犯した後、悔い改めて罪が赦された時、
「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、その霊に欺きのない人は。
私は黙っていたときには、一日中、うめいて、私の骨々は疲れ果てました。それは、御手が昼も夜も私の上に重くのしかかり、私の骨髄は、夏のひでりでかわききったからです。
私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。「私のそむきの罪を主に告白しよう。」すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」(詩編32:1-5)という詩を残しています。
神様は、ただ覆うのではなく、ダビデの詩編を読んでみても、まず悔い改めさせてから、罪を覆っているのですね。
主イエス様は、「もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。」(マタイ18:15)と言われました。

 ここまで書いてきて思い出したことがあります。
私が小学校低学年であった頃のこと、まだ戦後で橋の下で暮らしていた家族がいました。そこの子ども(同級生)にひどいことをいってしまったのです。内容は覚えていませんが、とてもひどいことであったのでしょう。親が怒ってどなりこんできたのです。私の親は、私を叱ると共に、平身低頭謝っていました。相手の親も赦してくれました。私は、それからその人にひどいことを言わなくなったように記憶しています。

 人の罪をあざけるようなことをしてのろわれた人が聖書に書かれています。それはノアの息子のハムの子カナンです。創世記9:20-27に次のようにあります。
“ 9:20 さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。
9:21 ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。
9:22 カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。
9:23 それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。
9:24 ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、
9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」
9:26 また言った。「ほめたたえよ。セムの神、主を。カナンは彼らのしもべとなれ。
9:27 神がヤペテを広げ、セムの天幕に住まわせるように。カナンは彼らのしもべとなれ。」”
歴史を紐解くとその通りになっています。

 1コリント13章に
“13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。”とありますが、7節の「がまんし」の欄外注を読むと、あるいは「おおい」と書いてあります。原語の意味に静かにおおうという意味もあることが書かれています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
神の愛により、そしてキリストの恵み、とりわけキリストの贖いの故に、そして聖霊の交わりとりわけ信仰へと導き、キリストの血潮を適用してくださったことにより、永遠の完全な救いを賜りましたことを感謝します。
更に聖霊を私たちの内に遣わして下さいました。
聖霊によって愛の内に生きていく者であらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン 

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コメント

朝、別の箇所を学んでいた時に、「愛は多くの罪を覆う」とのみ言葉か示され、何処の箇所かをスマホで探そうとしたらトミーさんのが一番上に出てきて開きました。
内容を読んでたら自分が語られた「ハムのようにではなく、セム・ヤフェトのように、見ないで覆う者となりなさい」と創世記9:23のみ言葉にも言及されていて、同じ聖霊によって語られたんだなぁ…と受け取り、静かな感動を味わいました。
初めてコメント送ります。非公開なのか、公開されるものなのか分からないので、(是非、お伝えしたいこともあるのですが…)一先ずこの辺で。
有難うございます(^^)/

「愛は多くの罪を覆う」→
イエス様の十字架以外での話ですが、イエス様が行われたヨハネ8:1-11の事例もわかり易いですね。

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