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2014年1月24日 (金)

1ペテロ4:1.2 苦しみを通して与えられる恵み

4:1このように、キリストは肉において苦しまれたのであるから、あなたがたも同じ覚悟で心の武装をしなさい。肉において苦しんだ人は、それによって罪からのがれたのである。
4:2それは、肉における残りの生涯を、もはや人間の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである
。(口語訳) 

 「キリストは肉において苦しまれた」とあります。苦しんだけれども肉体は保たれた、というのではありません。肉の命は絶たれたのです。

 まず鞭で打たれました。この鞭は小さな骨と鉄の破片を一連に皮にくっつけたフラグラムと呼ばれる鞭だったそうです。この鞭で打たれたら皮が裂けて血が出るだけではなく肉も飛び散ります。激しい痛みを伴ったことでしょう。この鞭打ちをされた人の中には死ぬ人もいたというのです。

 イエス様は鞭打ちでは死にはしませんでしたが、この後に受けた苦しみは、頭に茨で作った冠をかぶせられたことです。頭にたくさんの釘を一度に打ち込まれたような感じでしょうか。

 散々いたぶられてからご自分がつけられる十字架を背負って刑場のゴルゴタの丘まで行くのですが、途中でもう担げなくなりました。十字架を運んでいる間もスムーズにいかなければ鞭打たれたようです。そして、十字架につけられるときは、太い釘で木に足と手を打ちつけられました。そして、十字架を立てる穴にドーンと十字架の下の部分を落とされました。釘で打たれる痛み、十字架が立てられる時の衝撃の痛み、・・・想像を絶します。十字架につけられている間も苦しみは途絶えることはありません。鞭打ち等による出血と痛みによる発汗、すでに脱水状態であったでしょう。脱水状態の苦しみ。

 十字架につけられて6時間後、イエス様の肉体の命は終わりました。
ただしそれで終わりではなく、3日目に復活されたのです。
このことは、義にして愛である神様にとって、罪人である私たちを救うためには必要なことであったのです。神様の御旨に完全に合致した歩みをすることのできなかった人は皆罪人です。

 神様は、預言者イザヤにこの十字架よりも約700年も前に次のように預言させました。
53:3彼〔イエス・キリスト〕は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ

53:6われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。
53:7彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。
53:8彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。
53:9彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。
53:10しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべはその知識によって、
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした
。”(イザヤ53章)
 主イエス様は、確かに十字架につけられている苦しみの中で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)と、ご自分を釘で打ちつけたような人達のことも含め、とりなしの祈りをしているのです。

 ペテロの手紙の著者のペテロは、主イエス様がこの苦しみを受けるために捕縛される時、逃げてしまったのです。そして、遠くからついていき、大祭司の家の中庭にまで行きました。しかし、そこで女中に、更にもう一度他の男に、「この人はイエスと一緒にいた。」と言われた時、それを激しく否定し、更にイエスなど知らないと誓って逃げたのです。それでも捕縛されていた主イエス様は、ペテロが信仰を失わないようにと父なる神にとりなしの祈りをしたのです。それ故、ペテロはより一層、主イエス様の苦しみと赦しとに深く心を留めたのかもしれません。辛い時には、いつもイエス様の苦しみを思い、耐えたのかもしれません。天国に行って聞いてみないと確かなことは分かりませんが。

 キリスト者も迫害に遭って肉体的に苦しめられる時、罪との関わりを断つのです。それは神の御旨にかなうように歩むようになるためです。とペテロは語っています。
確かに、神様は、キリスト者を苦難に遭わせなさいます。迫害の場合もあれば、病の場合もあれば、経済的苦境の場合もあれば、家族を含めた対人的関係の苦しみ等色々あります。それはそのことによってキリスト者をきよくし祝福を与えようとしておられるのです。肉から解放し、御霊によって生きることが出来るために。罪から解放され神の御旨に生きるために。神様から与えられる苦しみをその観点から受けないといつまでも苦しみはついて回ります。
ヘブル12:5-11には次のように書いてあります。
12:5また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはいけない。主に責められるとき、弱り果ててはならない。
12:6主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
12:7あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。
12:8だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。
12:9その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。
12:10肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
12:11すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 ”と。

 パウロも数多くの苦しみを受けながら神様の御用を果たした人です。
パウロは言いました。
「わたしは、神に生きるために、律法によって律法に死んだ。わたしはキリストと共に十字架につけられた。生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。」(ガラテヤ2:19.20)と。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
あなたは、イエス様のご功績の故に主イエス様を信じた私達を救ってくださっただけではなく、神の子どもとしてくださいました。
私たちに与えられる苦しみは、神の子どもとしてふさわしくきよくするためであることを教えてくださり感謝します。
この世に在って、神の子どもとして世の光、地の塩として、またあなたの恵みを届ける媒体としてあなたの御旨に従って歩むことが出来ますよう、この足りない者を助けてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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