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2014年1月 7日 (火)

1ペテロ2:1 成長するために捨てるべきもの

だから、あらゆる悪意、あらゆる偽り、偽善、そねみ、いっさいの悪口を捨てて、(口語訳)

 一言でいえば、救われたのだから悪しき行いを捨てなさいということです。
悪しき行いを捨てることが出来たから救われると言うのではありません。救われたから悪しき行いを捨てることが出来るのです。人々の中には、キリスト様を信じていなくても、ひょっとすると表面的には上記の悪しき行いを持っていないような人がいるかもしれませんが、その人の存在の根源である創造主にして万物の保持者であるまことの神を神としていないという最悪の罪を持っているのです。

 「悪意」とは、広辞苑には、他人に害を与えようとする心、とあります。キリスト者がこの様な心を持っていると神様との関係が極めて悪くなってしまいますから、キリスト者であれば、すぐに悔い改めて捨てることでしょう。

 「偽り」(口語訳、新共同訳、)を他の聖書の訳で見ると、欺き(岩波訳、前田訳)、ごまかし(新改訳)、欺瞞(塚本訳)、詭計(文語訳)とあります。偽りは、嘘、だますことです。偽りをもって他人の金品をだまし取れば立派な詐欺罪です。ことわざにも「うそつきは泥棒の始まり」というのがあります。嘘には、人に害を与えるために嘘をつくという動機からではなく、自分を守るために嘘をつく、愛する人を守るために嘘をつく、という場合もあります。すべての人間が嘘をついた経験があると思いますが、神であり人となられたイエス・キリスト様だけは嘘をついていません。自分が不利に陥ると分かるようなところでも嘘をついていません。本当のことを語り、また、語る必要のない時には質問に対して口を閉ざしています。もし、イエス様が一つでも嘘をついたとしたら、イエス様の語られたことばを信じることは難しくなったことでしょう。イエス様が常に真理を語られたからこそ、みことばを信じることが出来たのです。イエス様は、「『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。」(マタイ5:37)と教えられましたが、自分でも実行していたのです。イエス様が嘘をついたとしたら、「わたしが真理であり、」(ヨハネ14:6)とイエス様が語ったことは嘘になるのです。

 「偽善」とは、本心からではなくみせかけにする善事と広辞苑にはあります。
神様は、アナニヤとサッピラの偽善を排除されました。それは使徒5:1-11に次のようにあります。
5:1ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、
5:2共謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに置いた。
5:3そこで、ペテロが言った、「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺き、地所の代金をごまかしたのか。
5:4売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。
5:5アナニヤはこの言葉を聞いているうちに、倒れて息が絶えた。このことを伝え聞いた人々は、みな非常なおそれを感じた。
5:6それから、若者たちが立って、その死体を包み、運び出して葬った。
5:7三時間ばかりたってから、たまたま彼の妻が、この出来事を知らずに、はいってきた。
5:8そこで、ペテロが彼女にむかって言った、「あの地所は、これこれの値段で売ったのか。そのとおりか」。彼女は「そうです、その値段です」と答えた。
5:9ペテロは言った、「あなたがたふたりが、心を合わせて主の御霊を試みるとは、何事であるか。見よ、あなたの夫を葬った人たちの足が、そこの門口にきている。あなたも運び出されるであろう」。
5:10すると女は、たちまち彼の足もとに倒れて、息が絶えた。そこに若者たちがはいってきて、女が死んでしまっているのを見、それを運び出してその夫のそばに葬った。
5:11教会全体ならびにこれを伝え聞いた人たちは、みな非常なおそれを感じた。 ”
アナニヤとサッピラをこの行動に掻き立てた原因の一つに、次のことがあったのです。
4:32信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
4:33使徒たちは主イエスの復活について、非常に力強くあかしをした。そして大きなめぐみが、彼ら一同に注がれた。
4:34彼らの中に乏しい者は、ひとりもいなかった。地所や家屋を持っている人たちは、それを売り、売った物の代金をもってきて、
4:35使徒たちの足もとに置いた。そしてそれぞれの必要に応じて、だれにでも分け与えられた。
4:36クプロ生れのレビ人で、使徒たちにバルナバ(「慰めの子」との意)と呼ばれていたヨセフは、
4:37自分の所有する畑を売り、その代金をもってきて、使徒たちの足もとに置いた。”(使徒4:32-37)
アナニヤとサッピラがありのままも心の状態で使徒の前に出、嘘をつかなかったらよかったのに、と思います。人によく思われようとすると穴に落ちてしまいます。うまくいっても、イエス様が「人に見せるために人前で善行しないように気をつけなさい。」(マタイ6:1)とあるのを読んだ時にグサリと来るでしょう。教会の中では、「わたしはこの程度の者です。」と言っても思いやりのある人はだれも責めません。だれもが成長過程にあるのです。だれもが工事中なのです。完全にきよい行いが出来るのは、天に帰ってからです(黙示録19:8)

 「そねみ」を他の聖書は、ねたみ、或いは嫉妬と訳出しています。同じ意味の異なったいい方です。
ねたみは、人を駄目にしてしまします。自分をおとしめ、みじめにします。「私は私、あなたはあなた」というようにありのままを受け入れて妬みを引き起こすような比べ方をしないことです。ただし、すぐれた人を見てその良きとことを学ぶことは大いに良きことです。
雅歌8:6に「・・・ねたみはよみのように激しいからです。その炎は火の炎、すさまじい炎です。」とありますが、この様になってしまったら大変です。
ペテロの晩年をイエス様が預言された時、ペテロは、ヨハネのことが気になり、イエス様に質問しました。その時のやり取りは次のようです。
“21:18 「まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます。」
21:19 これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。こうお話しになってから、ペテロに言われた。「わたしに従いなさい。」
21:20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか」と言った者である。
21:21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
21:22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」”(ヨハネ21:18-22)
私たちは、人と比べることなく、自分がイエス様に従っていけばよいということを教えられます。この様な歩みが可能にされていることは素晴らしい恵みです。

 「悪口」(口語訳、新共同訳、岩波訳、新改訳)という訳は、「そしり(謗り)」(前田訳、文語訳)、「誹謗」(塚本訳)等とも訳されています。
悪口は、対象者をおとしめ傷つけ、自分をもおとしめるものとなります。
 悪意、偽り、偽善、妬み、悪口は、生まれながらの人間は一人もれなく持っていると思います。神様は、それを捨てなければ救ってあげないと言ったのではなく、宥めのキリストの血が流されたので、キリストを信じる者を救ってあげますよ、と約束し、信じた者を救って下さったのです。救われた人は、それらを捨てなさい、と命じられているのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めた感謝します。
あなたは、まず救ってくださり、聖霊を与えて下さってから、聖霊の助けを借りてあなたの御旨に沿うように私たちが変えて頂けるようにして下さっておられますからありがとうございます。
御霊様の助けを頂きつつ、思いを新たにし、意志を働かせて、あなたの御旨に沿った歩みをしていくことが出来ますよう助けていて下さい。
救い主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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