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2014年1月15日 (水)

1ペテロ2:22-25 キリストの贖いの故に救われた

2:22キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。
2:23ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
2:24さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。
2:25あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。
(口語訳)

 キリストは罪を犯したことがありません。もし一つでも罪を犯したとしたら、救い主にはなれませんでした。ヤコブ2:10には、「律法をことごとく守ったとしても、その一つの点にでも落ち度があれば、全体を犯したことになるからである。」とあります。
主イエス様は、山上の垂訓の中で、「わたし〔イエス・キリスト〕が律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これら〔律法〕の最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。」(マタイ5:17-20)と語られました。
天国で大いなるものと呼ばれるに値する者は、イエス・キリスト様しかいないのです。キリスト者ならだれでもキリストが義となってくださったが故に、律法学者やパリサイ人の義に勝っているのです。というか、天国に入れる義は、一つ以上の罪を犯した人間自身には無いのです。キリストがキリストを信じた者の義となられた故に、キリストを信じた人は天国に入れるのです。1コリント1:30には、「あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。」とある通りです。

 「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。
さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。」と纏められている内容は、各福音書に詳しく書かれています。主イエス様は、ご自分の手足に釘を打ちつけた者をも含め、イエス様の周りの人達に聞こえる言葉で、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。」(ルカ23:34)と祈られました。イエス様がそのようにとりなしているその下で、とりなされている兵士たちは、くじ引きでイエス様の着物を分けていたのです。この兵士たちの行動は、イエス様の十字架より約千年も前にダビデによって預言されていた出来事でした。それは詩編22:18にあります。
また、イエス様のみ苦しみと贖いは、キリストの十字架の約700年前にイザヤによって預言されていました。それは次のように書いてあります。
53:3彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。
53:4まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。
53:5しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。
53:6われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。
53:7彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。
53:8彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。
53:9彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。
53:10しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。
53:11彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。
53:12それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。”(イザヤ53章)と。

 神様は、重要な出来事については、必ず預言者を立てて、預言者に語らせます。イザヤは、神様からのおことばとして、「わたし〔ヤーウェ〕は神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。
わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、
『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる。』」(イザヤ46:9.10)と書き残しています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたのみ御名を崇めて感謝します。
救いを求めている人が、イエス様を信じることが出来ますように。
私たちキリスト者が、救われてほしいと願って、あなたにとりなしの祈りをささげている対象者達をお救いくださいますように。
御父が、世の始まる前からキリストの内に選ばれたすべての人が救われますように。
救い主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン 

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