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2014年2月 4日 (火)

1ペテロ5:5.6 へりくだりの勧め

5:5同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。
5:6だから、あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。”(口語訳)

 「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。」は箴言3:34からの引用であり、ヤコブ4:6にも引用されています。
 「若い人たちよ。長老たちに従いなさい。」とありますが、子供には反抗期があります。反抗期の無い子供もいますが、それは子供がよく出来た子か自立心に欠けた子かによって中身はだいぶ違います。 親から自立しようとして或いは、一人の人格を持った者として認めてもらいたくて反抗するということは普通のことなのでしょう。ユダヤ教のように男子は13歳で宗教的、社会的に成人としての責任を負うことになると反抗する子供は少なくなるかもしれません。女子は12歳です。

 この世では成人している人であっても、キリスト者は、神さまに対しては、永遠に子供です。キリスト者は、まことの神を父として崇め、へりくだって従っていく者たちです。
世の中には、まことの神様を知らなくても謙遜に見える人がいます。しかし、そのような人が謙遜とは限らないのです。少なくとも神さまに対しては謙遜で無いからです。ですからそのような人は、神のことばを聞いた時、謙遜ではいられません。本当に謙遜であれば、罪の赦しを請い、罪を悔い改め、イエス・キリスト様を自分の救い主として受け入れるはずです。自分の存在、生存がすべて神様に端を発し、神さまにかかっていると知らない人が本当に謙遜になることは出来ないのではないでしょうか。

 「若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。」といわれる背後に、長老たちやそれぞれの立場についておられる方を任命しているのは神様であるという認識が若い人達及びすべてのキリスト者に無いとこのみことばの実行は難しいかもしれません。何故なら、人間は全員が不完全だからです。

 「みな互いに」とありますが、キリスト者は、神が愛されて救われて神の子どもとされた人達です。ただの人間ではなく、神の子どもであり、神の所有物なのです。ローマ14:4に「あなたはいったいだれなので、他人〔神〕のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人〔神〕の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」とあります。キリスト者は、みな神のしもべであり、神の子です。

 長老をはじめ、上に立てられた人達は、神の子どもたちが健全に成長するようにと神様が立てられた人達なのです。中には神様が立てたのではないにもかかわらず立っている人もいるかもしれませんが。上に立てられた人達に問題があって従うことが難しいと思われる場合は、神さまに直訴(祈ること)したらよいでしょう。また、そのような場合でも、その人の語ることが神のみことばに一致しているならば従うべきなのです(マタイ23:1-3)。神様は、神さまに従う人を祝福してくださいます。

 「あなたがたは、神の力強い御手の下に、自らを低くしなさい。時が来れば神はあなたがたを高くして下さるであろう。」とありますが、その中の「時が来れば」という「時」は、原文のギリシャ語ではκαιρός カイロス が使われています。ですから、ここでは、ある時、或いはセットされた時を意味しています。「時が来れば」を他の聖書は、「時至って」、「時に及びて」、「かの時には」と訳していますが、新改訳は「丁度よい時に」と訳しています。
少なくとも、キリスト様が再臨された時には、神の前にへりくだって救われた人達は、高くされます。また、この世にあっても主の前に謙遜に歩んでいる人は、丁度よい時に高くされることもあるでしょう。いずれにしても高くされるということはどうでもよいことで、大切なことは、まことの神様に対して謙遜に歩むことだと思います。

 旧約聖書に「モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」(民数紀12:3)と記されてあります。
新約聖書では、主イエス様がすべてに勝って謙遜であられたことと高められたことを次のように記しています。
「2:6 キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
2:7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
2:8 へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。
2:9 このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
2:10 こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、
2:11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」{フィリピ2:6-11(新共同訳)}と。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
あなたが、私を存在せしめてくださっておられるからこそ、存在している存在、それが私です。
あなたは、私に対して常に愛を持って最善に導いて下さっておられますから感謝します。
いつまでもあなたに対してへりくだって生きるものであらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン 

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