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2014年2月26日 (水)

2ペテロ3:13.14 聖なる者として神の御前に出れるように

3:13しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。
3:14愛する者たちよ。それだから、この日を待っているあなたがたは、しみもなくきずもなく、安らかな心で、神のみまえに出られるように励みなさい。”(口語訳)

 ペテロは、第一の手紙で、試練の中にあっても信仰に堅く立つようにと勧め、第二の手紙では、偽教師の教えに騙されることの無いようにしなさいと勧めました。一貫しているのは、キリスト者に与えられた恵みが如何に素晴らしいものであるかということを思い起こさせるように記したことと、きよい生活をしなさいということです。
日本では、人が死ぬと、死んだ人が天国に行くかのように言う人が多いです。多くの日本人は天国を知らずに語っています。天国には神様の御座があります。預言者イザヤは、非常に大切な膨大な預言を残しています。それらの預言は神様がイザヤに書くように与えたものです。その予言の内容は、イザヤの存命中に実現したものもあれば、イザヤが死んだ後、イエス様が現れるまでに起きたことの多くの預言もあり、また今から約二千年前に起きたイエス・キリスト様の誕生の預言から、十字架と復活の預言、現代の預言、これから起こる大患難時代の預言、キリスト再臨の預言、千年王国の時代の預言、新天新地の預言等と色々あります。それらは全部で66章に纏められてあります。そのイザヤが、1~5章まで書いた後、6章において次のように自分のことを述べています。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」(新共同訳)と。
この言葉の出てくるイザヤ6章の前半を新共同訳で下記します。
“6:1 ウジヤ王が死んだ年のことである。わたしは、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。
6:2 上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた。
6:3 彼らは互いに呼び交わし、唱えた。「聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。」
6:4 この呼び交わす声によって、神殿の入り口の敷居は揺れ動き、神殿は煙に満たされた。
6:5 わたしは言った。「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。汚れた唇の民の中に住む者。しかも、わたしの目は、王なる万軍の主を仰ぎ見た。」
6:6 するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。
6:7 彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」”(イザヤ6:1-7)

 イザヤでさえ神様を見た時に「私は滅びる」と思ったとすれば、私などは直ちに消えて無くなりそうな気がします。うろ覚えですが、ある本に、きよくなければ地獄に行く方が幸いだというか安心していられる、と書いてあったことを思い出します。
イザヤのことばにより、神様のきよさに驚くべきものを感じます。
使徒ヨハネは、黙示録の4:6-11で次のように記しています。
“4:6 御座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。御座の中央と御座の回りに、前もうしろも目で満ちた四つの生き物がいた。
4:7 第一の生き物は、獅子のようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空飛ぶ鷲のようであった。
4:8 この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その回りも内側も目で満ちていた。彼らは、昼も夜も絶え間なく叫び続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな。神であられる主、万物の支配者、昔いまし、今いまし、後に来られる方。」
4:9 また、これらの生き物が、永遠に生きておられる、御座に着いている方に、栄光、誉れ、感謝をささげるとき、
4:10 二十四人の長老は御座に着いている方の御前にひれ伏して、永遠に生きておられる方を拝み、自分の冠を御座の前に投げ出して言った。
4:11 「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」”(新改訳)
きよくされていなくて天国に行くなどということは、恐ろしいことなのです。
イザヤは、“セラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。」”(イザヤ6:6.7)と述べています。キリストの贖いが成し遂げられていなかったイザヤの時代、神様は、祭壇の火できよめられましたが、イエス・キリスト様の十字架と復活の後は、キリストの血が私たちのすべての罪を、そして罪からきよめてくださいます。
ヘブル人への手紙の著者は、
「・・キリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。」{(ヘブル9:11.12)新改訳}
「・・律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」{(ヘブル9:22)新改訳}
「・・イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。」{(ヘブル10:10)新改訳}
「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです。」{(ヘブル10:14)新改訳}
と述べています。
また使徒ヨハネは、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」{(1ヨハネ1:9)口語訳}と述べています。

 立場として、キリスト者は、既にキリストの血によって聖なる者とされていますが、地上における歩みにおいても、新天新地は愛のみならず義にも満ちているので、きよく歩みなさいと命じられています。
“1:13 だから、いつでも心を引き締め、身を慎んで、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 無知であったころの欲望に引きずられることなく、従順な子となり、
1:15 召し出してくださった聖なる方に倣って、あなたがた自身も生活のすべての面で聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」と書いてあるからです。”とペテロは第一の手紙でも記しています。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
キリスト様の尊い血潮を感謝します。
キリスト者として、神の子どもとされた者として、立場上は、主イエス様の血潮によって既に聖なる者とされていますが、地上にいる間の歩みも、御霊によって聖なる歩みをしていくことが出来ますよう助け導いていて下さい。
感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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