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2014年2月 5日 (水)

1ペテロ5:7 思い煩いを神様に委ねることの出来る幸い

5:7神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。”(口語訳)

 思い煩いについて聖書箇所を調べてみたところ以下の箇所がありました。
 (詩編94:19)
「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」(新改訳)
「わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。」(口語訳)
「わたしの胸が思い煩いに占められたとき、あなたの慰めが、わたしの魂の楽しみとなりました。」(新共同訳)

 (詩編139:23)
「神よ。わたしを探り、私の心を知ってください。わたしを調べ、私の思い煩いを知ってください。」(新改訳)

 (伝道2:22)
「実に、日の下で骨折ったいっさいの労苦と思い煩いは、人に何になろう。」(新改訳)

 (1コリント7:32)
「あなたがたが思い煩わないことを私は望んでいます。」(新改訳)
「思い煩わないでほしい。」(新共同訳)
「わたしはあなたがたが、思い煩わないようにしていてほしい。」(口語訳)

 (ピリピ4:6.7)
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(新改訳)
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(口語訳)
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(新共同訳)

 (1ペテロ5:7)
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(新改訳)
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(新共同訳)

 私は、信仰を持つ前は、ほとんど毎日思い煩いながら生活していました。思い煩ったことのほとんどは、思い煩う必要の無い結果であったにもかかわらず、思い煩いに押し潰されてしまいそうな時もあったように思います。
 私が聖書を調べ始めたのは、この世はいずれ戦争によって滅びるであろうと想像し、約35年くらい前になるでしょうか、その当時、黙示録やダニエル書、エゼキエル書、福音書等を熱心に読みました。
救われる前に得た結論は、黙示録20:4‐6の「獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人達を見た。彼らは生き返って、・・・。これが第一の復活である。この第一の復活に与るものは幸いな者・・である。」
私は、何故かこのみことばを信じたのでした。しかし、自分の力で黙示録に書かれてあるような世界を生き抜いていく自身が無い。その頃、百万人の福音という雑誌を読んでいたところ、ある牧師さんの自伝が載っているのを読んだのです。その時、この人と一緒なら乗り越えられるかもしれないと思ったのでした。そして、その教会に行ったのですが、幸いなことに、神様は違う方法でこれを乗り越えさせてくれたのです。それは、イエス・キリストを信じるということでした。イエス・キリストを信じて平安が与えられ、永遠の命が与えられたことを確信し、結局は主イエス様に対する信頼が大切であると教えられつつ現在に至っています。

 主イエス様は、「真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネ8:32)と語られましたが、主イエス様こそが「真理」そのものであられたのでした。また「いのち」そのものでもあられたのです。主イエス様は、「わたしが道〔父なる神のもとに行く道〕であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)と語られました。
イエス様は、真理そのもののお方であり、イエス様が発するおことばは真理そのものであり、そのおことばを受け入れる者は、即ちイエス様を受け入れることになり、イエス様を受け入れることは、永遠の命そのものであるイエス様の命を内に宿すのです。

 前出の詩編のみことばや伝道者のみことばや自分の体験や、周囲の人の体験をを見てみると、だれでも思い煩いを持っていることが分かります。しかし、この思い煩いは「罪」(聖書の原語の意味は「的外れ」)即ち神さまの御旨から外れているということなのです。全能にして愛を持って私たちに接してくださる神様を信頼していないということになるのです。人間が思い煩いを持っているということだけでも、人間が罪人であることが分かります。多くの人はお金には信頼しても神様には信頼しません。神さまに信頼しないことは不信仰の罪です。
「主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。」と主なる神様が語ってくださいます。(エレミヤ17:7)
この神様は、「光があれ。」すると光があった。(創世記1:3)という力を持っておられる神様です。その神様が、あなたに、私に、「主に信頼する者に祝福があるように。」と語ってくださいます。主に信頼した時、思い煩いは消え去ります。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め、あなたを賛美し、あなたに感謝します。
あなたを信じる信仰を与えてくださりありがとうございます。
いつもあなたに信頼し、思い煩いから常に解放されて歩んでいけますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
追記
自分でなすべき分を果たさないですべてを神様に丸投げするということ≠神様にすべてを委ねていくこと

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