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2014年5月29日 (木)

ヨハネ14:15-24 御霊の内住

14:15もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべき〔守るはず(新改訳)〕である。
14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。
14:17それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
14:18わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。あなたがたのところに帰って来る。
14:19もうしばらくしたら、世はもはやわたしを見なくなるだろう。しかし、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからである。
14:20その日には、わたしはわたしの父におり、あなたがたはわたしにおり、また、わたしがあなたがたにおることが、わかるであろう。
14:21わたしのいましめを心にいだいてこれを守る者は、わたしを愛する者である。わたしを愛する者は、わたしの父に愛されるであろう。わたしもその人を愛し、その人にわたし自身をあらわすであろう」。
14:22イスカリオテでない方のユダがイエスに言った、「主よ、あなたご自身をわたしたちにあらわそうとして、世にはあらわそうとされないのはなぜですか」。
14:23イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。
14:24わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉は、わたしの言葉ではなく、わたしをつかわされた父の言葉である。”(口語訳)

 15節に、「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(新改訳)とあります。ヨハネ13:34においてイエス様は、「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」(口語訳)と語っています。更に、14:23でも、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。」と言われ、更に「わたしを愛さない者はわたしの言葉を守らない。」(24)と言われました。そして、イエス様を愛する者の内に三位一体の神様が住まわれると言われたのです(16.17.23)。

 神様は、天におられ、主イエス様を信じる者の内にもおられるのです。これは、単に教理というだけではなく、内にいてくださるということは体験できることなのです。
神様は偏在なのです。次のみことばはそのことを教えてくれています。
“主は言われる、人は、ひそかな所に身を隠して、わたしに見られないようにすることができようか。主は言われる、わたしは天と地とに満ちているではないか。”{(エレミヤ23:24)口語訳}
“わたしはどこへ行って、あなたのみたまを離れましょうか。わたしはどこへ行って、あなたのみ前をのがれましょうか。わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。わたしが陰府に床を設けても、あなたはそこにおられます。わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、あなたのみ手はその所でわたしを導き、あなたの右のみ手はわたしをささえられます。”{(詩編139:7-10)口語訳}

 イエス様を信じなければ、主を愛することはできず、主によって生まれた者を愛することもできません。また、主を信じた者には、神様が一方的に御霊を信じた者の内に遣わして下さるのです(ガラテヤ3:14、ヨハネ7:39)。
御霊は、神の霊であると共にキリストの人としての生涯をキリストと共に経験されたキリストの御霊なのです。それ故、私たち信じる者の内におられる御霊は、人間の弱さを御存じであり、ことばに出来ない呻きをも父なる神に取り次いで下さるのです。
イエス様を信じて、キリスト者として頂いても、御霊の働きにすべてを委ねる人と、部分的に委ねる人と、いつも生まれながらの肉が中心となって活動し困って神様に助けを求めて御霊が働いてくださるという人の間では、大きな違いがあります。御霊即ち聖霊は、三位一体の神の第三位格ですが、神様ご自身は、人にその人の主権を与えているので、その人が御霊に主権を渡した時でなければ、御霊は眺めていたり悲しんでいたりするだけです。御霊に満たされる為には、全面的に御霊に主権を渡すことが必要です。それは自分が無くなることではありません。
しばしば、自我に死ぬ、という表現がなされますが、自我とは、広辞苑によると、「認識・感情・意思・行動の主体を外界や他人と区別して言う語」とあります。英語ではselfです。selfが御霊に主導権を渡し、selfは御霊に従う者、となっているのが御霊に導かれた歩みをしている者です。神様は、キリスト者に対して御霊に満たされてほしいと願っているのですからキリスト者であれば、条件を果たせば、誰でもその恵みを与えてくださるのです。

 御霊によって、新しく生まれさせて頂いたのは、「霊」です(ヨハネ3:3.6)。霊の中に御霊は住んでくださいました(1コリント6:17)。
魂は、生まれた時から持っています。
魂は、肉体の脳と共にリンクしながら、認識、感情、意思、行動の主体を担ってきたのです。
生まれながらに持っていた魂が、自分の為に生きてきた生き方と決別し、主を愛し主の為に生きるという生き方に変えられて、主権を御霊に渡すことを、「わたしは死んで、キリストが生きている。」(ガラテヤ2:20)とパウロは表現したことと私は思います。ですから、魂が御霊に主権を渡すことを止めた時、肉的になるのです。
死ぬとは、分かれ、決別、断絶です。死んで葬儀をあげるのは、魂と肉体が分かれたからです。即ち、魂が肉体の中に留まることがもはやできなくなったからです。ヤコブ2:26には、「魂を離れた体は死んだものである。」とあります。生まれた時から霊的に死んでいるとは、神と交わる為の器官である霊が神と断絶している、ということです。永遠の死とは永遠に神と断絶している状態です。

 23節を読むと、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに行って、その人と一緒に住むであろう。」とイエス様は言っておられますが、アガペーの愛は神からのものです。御霊の実は愛なのです(ガラテヤ5:22)。その愛のある状態にある時に、三位一体の神様を認識し易く、交わりもみことばの通りに豊かなものとなることでしょう。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて賛美し感謝します。
私の様な者の内にも、来てくださいましたことを感謝します。
いつも主を崇めつつ、歩む生涯であらせて下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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