« 1ヨハネ1:1-4 コイノーニア | トップページ | 1ヨハネ1:7 兄弟姉妹と主にある交わりを保ち続けるには光の中を歩むこと »

2014年7月17日 (木)

1ヨハネ1:5.6 神との交わりの継続は光の中を歩むこと

1:5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。
1:6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。”(口語訳)

 神は光である、という表現は、誰でも想像がつくように光は電磁波の一種であり粒子の性質を持つと共に波の性質も持っているというような物理的な光を意味しているのではありません。しかしながら、物理的にも大いなる光を放つことも事実のようです。それは、黙示録21:23.24に、「都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。」(口語訳)とキリストの千年王国の後の新天新地の都の様子が記されてあるからです。

 イエス様は、「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」{(ヨハネ8:12)新改訳}、また、弟子たちに対して「あなたがたは世の光である。あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」{(マタイ5:14.16抜粋)新共同訳}と語られました。
聖書の中で、「光」は、色々な事柄を表すのに使われていますが、この手紙のこの箇所においては、「義」即ち正しさのことを言っているように思います。6節の「やみ」は、「罪」と置き換えて読むことが出来ますから。

 この箇所で明らかなことは、罪(やみ)の内を歩み続けながら、神と交わりを持っている、という人は、単に錯覚しているだけです、ということでしょう。
神様と交わりを持ち続ける為には、罪の解決がなされ、罪の内を歩まないという必要があるということを教えてくれています。
このことを聞いて、「わたしはもう駄目だ。」と思う人は、この手紙を続けて読んでいくと、「私でも大丈夫だ。」と思うようになることでしょう。
神様は、神の家族をつくり、人と豊かな交わりを持ちたいのですから。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を賛美します。
あなたは、光であり、光の中に住まわれる方ですから、神の家族の一員として、光の子供らしく歩んでいくことが出来ますよう、日々聖霊に満たされ、導かれて歩み続けさせて頂けますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

« 1ヨハネ1:1-4 コイノーニア | トップページ | 1ヨハネ1:7 兄弟姉妹と主にある交わりを保ち続けるには光の中を歩むこと »

Ⅰヨハネの手紙」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 1ヨハネ1:1-4 コイノーニア | トップページ | 1ヨハネ1:7 兄弟姉妹と主にある交わりを保ち続けるには光の中を歩むこと »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ