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2014年7月18日 (金)

1ヨハネ1:7 兄弟姉妹と主にある交わりを保ち続けるには光の中を歩むこと

“しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。”(口語訳)

 わたしたちが互に交わりを保つ条件は、私たち一人一人が光の中を歩くことであると教えてくれています。
また、私たちのすべての罪をきよめるものはイエス様が十字架上で流してくださった血ですけれども、きよめて頂く、きよめ続けて頂く条件は、私たちが光の中を歩くことであると教えてくれているように思います。
「すべての罪から私たちをきよめる」という箇所の「きよめる」は、現在形であり同時に継続的な意味合いです。

 新約聖書によると、ヨハネとパウロは、よく「光」と「やみ」を対比して使用しています。
「光」は、神様に属する性質として、
「やみ」は、サタンに属する性質として、
描いているように思われます。
人は、好むと好まざるとにかかわらず、「光」か「やみ」のどちらかに属しています。中間もありそうなのですが、ある時点ある時点において考えると、実はないのだと思います。
キリスト者であっても、救われる前は、闇に属していたのです。
救われる前の状態を、パウロはエペソ2:1-3において、
「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。」(新共同訳)と記し、
また、パウロがキリスト者を熱心に迫害していたとき、イエス様が直接パウロを捕え、パウロに語った内容が、使徒26:15-18に、「私〔パウロ〕が『主よ。あなたはどなたですか』と言いますと、主がこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がって、自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』」(新改訳)と記されています。

 「光」は、真理を啓示する光であり、暗闇、罪を照らす光でもあります。
イエス様の御救いに与ると、その人の立場は、聖なる者とされた立場になるのです。
ヘブル10:10.14の「このみこころに従って、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけささげられたことにより、私たちは聖なるものとされているのです。/キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって、永遠に全うされたのです〔永遠に完全な者となさったからです(新共同訳)〕。」(新改訳)などのみことばは、そのことを表してくれています。
しかしながら、救いに与ったばかりの人の実質を見ると、言動や心の思いにおいて、聖とされていない所が目立ちます。救われた時にも、その時に気づかせて頂いた罪を悔い改めてきよくされましたが、それは、比較的外面的なわずかな部分であるのことが多いのです。神様は、その後も継続して、啓示の光、罪を示す光を照らされます。その光の中を歩み続ける時、示される度に悔い改めることでしょう。その様にして整えられていきます。この時、イエス様が流された血潮はきよめ続けるのです。この様な歩みをする人は、神様に罪を示されても「いやだな」と思うのではなく、罪を示し、自分を変え続けてくださる主なる神様を賛美するようになるのです。神様が罪を示すのは、祝福の為であり、その人を実質的にもきよくするためであり、神様との交わりをより豊かなものとさせてくださるためであり、みことばを単純に素直にそのまま理解し、信じることが出来るようになるためです。
一方、罪を示される時、「おまえは、これこれの罪があるからもうキリスト者としてふさわしくない。お前は駄目だ。イエス・キリストを信じたと言ってもお前は役に立たない。教会に行く価値もない。おまえが教会に行くと教会が汚れる。」等というような思いにさせるのは、神様からのものではなくサタンからのものです。サタンは罪責感で心を満たし這いあがれないようにしていくのです。
神様は、よくしてあげよう、よくしてあげようとして罪を示されるのです。罪を示されたら悔い改めて、光の中に留まり続けることが大切なことです。光の中に留まり続けることが神様の御旨です。光の中に留まり続けると、神様と、そして兄弟姉妹達と豊かな交わりを持つことが出来るのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ことば〔イエス・キリスト〕は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。/私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。」{(ヨハネ1:14.16)新改訳}

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇め感謝します。
あなたは、私たちを祝福する為に罪を示してくださる方ですから感謝します。
罪を示されても逃げるのではなく、積極的に神様の前に出続ける歩みをしていくことが出来ますように。
キリスト者の立場は、既に、罪赦されたもの、神の子どもとされたものであることを感謝します。
その上で、神の子どもとして、神の家族としてふさわしくお整えくださるのですから感謝します。
御名を崇めつつ、主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。
アーメン

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