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2014年7月12日 (土)

ヨハネ21:15-17 ペテロに対するイエス様の愛と命令

21:15彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛する〔ἀγαπάω アガパオー〕か」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛する〔φιλέω フィレオー〕ことは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
21:16またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛する〔ἀγαπάω〕か」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛する〔φιλέω〕ことは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
21:17イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛する〔φιλέω〕か」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛して〔φιλέω〕いることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。”(口語訳)

 イエス様が捕縛される前、ペテロには、次のようなことがありました。
“そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる』と書いてあるからです。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」ペテロは言った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみなそう言った。”{(マタイ26:31-35)新改訳}

 それからいくらも時間が立っていない時に、イエス様は捕縛されました。そして、大祭司の中庭に連れて行かれたのです。その中庭でのこと、次のようなことが起こりました。
“ペテロが外の中庭にすわっていると、女中のひとりが来て言った。「あなたも、ガリラヤ人イエスといっしょにいましたね。」しかし、ペテロはみなの前でそれを打ち消して、「何を言っているのか、私にはわからない」と言った。そして、ペテロが入口まで出て行くと、ほかの女中が、彼を見て、そこにいる人々に言った。「この人はナザレ人イエスといっしょでした。」それで、ペテロは、またもそれを打ち消し、誓って、「そんな人は知らない」と言った。しばらくすると、そのあたりに立っている人々がペテロに近寄って来て、「確かに、あなたもあの仲間だ。ことばのなまりではっきりわかる」と言った。すると彼は、「そんな人は知らない」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。”{(マタイ26:69-75)新改訳}

 イエス様が、ガリラヤ湖の岸で、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛する〔ἀγαπάω アガパオー〕か。」と質問されたのです。
ペテロは、イエス様を愛していました。愛しているからこそ、「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」(マタイ26:35)と言ったのだと思うのです。しかし、現実は、逃げてしまったのです。
この時、イエス様を愛する愛の故に、ペテロが嘘をつくことなく対応していれば、アガペーの愛を全うしたことでしょう。ペテロは、自己保身の塊になってしまったのです。
このガリラヤ湖半にて、「わたしを愛する〔ἀγαπάω アガパオー〕か。」と聞かれても、ペテロは、「わたしがあなたを愛する〔φιλέω フィレオー〕ことは、あなたがご存じです。」としか言えませんでした。
フィリアは、人情とか友愛です。

 イエス様は弟子たちに対して、「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」{(マタイ10:37-39)新共同訳}と言われました。ペテロもこの教えは聞いていたのです。また、他の弟子たちも聞いていました。しかし、イエス様が捕縛れた時、皆逃げたのです。知識があることと実行できることは異なります。しかし、弟子たちは、イエス様のご復活後、聖霊を注がれ、ヨハネを除いて、皆、殉教するまで伝道、牧会に励んだのです。アガパオーの愛は、主の内にある愛ですから、主の霊に満たされている必要があるのです。
(ヨハネは石川五右衛門のように釜ゆでにされましたが死ななかったと伝えられています。)

 今は困難な時代です。パウロは、2テモテ3:1-5で、「終わりの時には困難な時期が来ることを悟りなさい。そのとき、人々は自分自身を愛し、金銭を愛し、ほらを吹き、高慢になり、神をあざけり、両親に従わず、恩を知らず、神を畏れなくなります。また、情けを知らず、和解せず、中傷し、節度がなく、残忍になり、善を好まず、人を裏切り、軽率になり、思い上がり、神よりも快楽を愛し、信心を装いながら、その実、信心の力を否定するようになります。」(新共同訳)と記しています。
この様な中にあっても、主を愛する者同士、益々、主を愛して歩んでいきたいものです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
ペテロは、一度、自己保身の故に恐怖に包まれて、イエス様を否認してしまいましたが、イエス様は、その前から、ペテロの信仰が無くならないように、事前に祈られ、イエス様が復活された後には、更に、ペテロの心を回復させ、派遣や牧会の命令を与えられました。
どこまでも愛に満ちているイエス様に感謝を捧げます。
私たちも、そのイエス様に愛され、イエス様の愛に包まれて日々過ごすことが出来ますことを感謝します。
主の御名を賛美し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」{(エペソ3:14-21)新改訳} 

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