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2014年7月11日 (金)

ヨハネ21:1-14 弟子たちにイエス様が三度めに現れた時の出来事

21:1そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた。そのあらわされた次第は、こうである。
21:2シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである。
21:3シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。
21:4夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。
21:5イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
21:6すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
21:7イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
21:8しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほど〔百メートル足らず(新改訳)〕の所にいたからである。
21:9彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。
21:10イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。
21:11シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
21:12イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
21:13イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
21:14イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。”(口語訳)

 イエス様のご復活後、弟子たちに現れた三度目の記事です。
この時の弟子たちは、全部で7人でした(2)。
そして、ペテロが他の弟子たちに、「わたしは漁に行くのだ」と言うと、他の弟子たちも、「わたしたちも一緒に行こう」と言って船に乗り込み、漁をしましたが、その夜はなにも取れなかったのです(3)。
岸に、誰かが立っていました。弟子たちは、まさかイエス様だとは思いませんでした。弟子たちは、以前は一日中、毎日毎日、イエス様と一緒にいたのです。しかし、イエス様のご復活後は、復活の日に一度、更に8日後に一度会っただけなのですから。

 イエス様は、何故、この様な状況の時に登場されたのでしょうか。
イエス様は、弟子たちが派遣された後、サタンに縛られている人達をサタンからイエス様の方へと獲得するためには、イエス様が言われるようにしないと、即ち導きに従わないと、良い結果が得られず、徒労に終わるよ、ということを教えたかったのかもしれません。
ペテロは漁師です。こんなに取れないはずはない、と思ったかもしれません。漁には自信があったでしょう。私の考えでは、イエス様が魚を一匹も取れないようにしたのだと思うのです。イエス様は、魚も支配していますから、ペテロが漁をする所から移動させてしまったのではないかと思うのです。そして、魚を集めておいた方に、網を打つようにさせたのではないでしょうか。
これらのすべては、宣教活動をどのように行えばよいかを教える為でしょうから。
イエス様は、弟子の幾人かを召す時に、「人間をとる漁師にしてあげよう。」と言ってその人達を召したのです。
マタイ4:18-22に、“イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨てて従った。そこからなお行かれると、イエスは、別のふたりの兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイといっしょに舟の中で網を繕っているのをご覧になり、ふたりをお呼びになった。彼らはすぐに舟も父も残してイエスに従った。”(新改訳)とあります。

 8-10節を読むと、興味深いことが書かれています。
弟子たちは、朝食を得ようとして漁に出たのでしょうが、何と、魚を引き上げる前に、イエス様は、既に、魚とパンを用意されていたのです。
このことも何かを教えようとしたのかもしれません。
「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」{(マタイ6:33)新改訳}
ということを教える為であったのかも知れません。
10節で、イエス様は彼らに、「今とった魚を少し持ってきなさい。」と言われましたが、弟子たちが取った魚もイエス様の導きの故に取れたものであったのです。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
イエス様は、必要なことを一つ、また一つと教えて下さいますから感謝します。
あらゆることについて、イエス様の導きに従って行くことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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