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2014年7月13日 (日)

ヨハネ21:15-19 イエス様がペテロの殉教について預言する

21:15彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
21:16またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
21:17イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
21:18よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
21:19これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。”(口語訳)

 イエス様は、ペテロを再度回復させてから、牧会の命令を与え、更に生涯の終りに殉教するという預言を与えたのでした。

 18節の「年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」とは、捕まえられて、手と腰を縛られて引っ張られていくことを表していると思います。
ウィキペディアのクォ・ヴァディスの項の中に、次の記載があります。
Quo Vadis の語が示すもの
この言葉は、聖ペトロ(聖ペテロ)の運命を決めたばかりでなく、その後のキリスト教の苦難と栄光の歴史を象徴するものとして作中のクライマックスで用いられている。
ローマ帝国におけるキリスト教徒への迫害は日を追うごとに激しくなり、虐殺を恐れた者たちが国外へ脱出する事も当たり前になっていた。ペトロは最後までローマにとどまるつもりであったが、周囲の人々の強い要請により、渋々ながらローマを離れるのに同意した。夜中に出発してアッピア街道を歩いていたペトロは、夜明けの光の中に、こちらに来るイエス・キリストの姿を見る。ペトロは驚き、ひざまずき、尋ねた。
Quo vadis, Domine? (主よ、何処にか行き給う/主よ、どこに行かれるのですか)
キリストは言う
汝、我が民を見捨てなば、我、ローマに行きて今一度十字架にかからん/そなたが私の民を見捨てるなら、私はローマに行って今一度十字架にかかるであろう。
ペトロはしばらく気を失っていたが、起き上がると迷うことなく元来た道を引き返した。そしてローマで捕らえられ、十字架にかけられて殉教したのである。
(この章の記述については、阿部知二他編 『西洋故事物語 上』 河出文庫 1983年 によった)”
ヨハネ21:18.19のペテロに対するイエス様の預言の成就を上の文章から知ることが出来ます。

 更に、ペテロは、殉教する際に、イエス様と同じ普通の十字架のかかり方では申し訳ないということで、逆さに張り付けてもらったと伝えられています。
“聖ペトロ(ペテロ)はローマへ来た際にネロ皇帝からの迫害を受け、十字架による磔刑(たっけい。=はりつけ)に処せられたが、その際に逆さまに(頭が下の状態で)十字架に掛けられたとしている。自分がイエスと同じ状態(頭が上の状態)で処刑されるに値しないとして、みずからこの方法を望んだとされる。アレクサンドリア学派神学者オリゲネスが、歴史上初めて「聖ペトロは頭を下にして磔刑に処せられたのは、彼がその方法で処刑するよう頼んだからだ」といった内容の記述を残した。”(wikipedia)

 ここの聖書箇所は、イエス様が復活された後の出来事ですが、イエス様が捕縛される前の最後の晩餐の後、ペテロがイエス様を裏切るという預言がされたのです。
ルカ22:31-34に
“シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
しかし、イエスは言われた。「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」”(新改訳)
と記されています。
このペテロが、最後は逆さ十字架で地上の生涯を終わったのでした。
ペテロは、やがてイエス様の千年王国で、王として治めるのです(ルカ22:29.30)。
人は、自分のことは自分が一番よくわかっていると思いがちですが、そうではないことが分かります。自分に対する自分の予想は外れることがしばしばあったとしても、イエス様は細かい所までよく知っておられるのです。すべてを知って愛してくれているイエス様に感謝するほかありません。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
イエス様の愛の広さ深さ高さは、どれほど大きいものなのでしょうか。
はかり知れません。
いずれにしても、イエス様はその愛を持って、私たち一人一人を愛してくださっておられるのですからありがとうございます。
あなたの愛と配慮に包まれて信仰生活を遅らせて頂けますことを感謝し主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

 

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