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2014年8月 6日 (水)

1ヨハネ4:12-16 三位一体の神とキリスト者

4:12神を見た者は、まだひとりもいない。もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。
4:13神が御霊をわたしたちに賜わったことによって、わたしたちが神におり、神がわたしたちにいますことを知る。
4:14わたしたちは、父が御子を世の救主としておつかわしになったのを見て、そのあかしをするのである。
4:15もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
4:16わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。”(口語訳)

 14.15節をもう少し分かり易く次のようにしてみます。
全人類(世)は罪を犯しました。そこで、父なる神様は、御子(イエス・キリスト)を全人類(世)の救い主として遣わされました。即ち、全人類の罪を御子(イエス・キリスト)によって十字架の上で処理するために地上に肉体を持つような形で遣わされました。
贖いを成し遂げられた御子を信じ、かつイエス様を神の子と信じ告白すれば、その人は直ちに救われ、その人の内に神様が住んでくださり、その人もまた神様の内におかれるのです。これを相互内住と言います。

 相互内住の関係は、聖書の他の箇所にあるみことばからも分かりますが、ヨハネは、この聖書箇所で、「神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じ」(16)、「もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいる」(12)と述べて、神の愛を体験することと神からの愛によって互いに愛し合うという体験をした人、愛し続けている人は主観的に神と自分の関係は相互内住の関係であることを認識することが出来るといっているように思います。

 神様が、神の家族として集めた人達は、実に様々です。まだ救われる以前であったら、お付き合いするようなことが無かったであろうという人が誰でも沢山いるのではないかと思うのです。救われる前であれば、声もかけない、当然愛することもしない人達です。救われた後は、その様な人に対しても愛することが出来た経験をしたとしたら、その愛は、その人が生まれながらに持っているものではありません。自分からではない、しかし、自分の内から溢れるように流れ出した愛を経験した人は、自分の内に主がおられて、アッ、この愛は主からのものだ、と感じることが出来るでしょう。ヨハネは、主(主なる神様)が内におられることを体験できるとこの箇所で述べているのです。

 次に、三位一体の神様とキリスト者の関係を記したいと思います。
 父なる神様は、イエス様を自分の子であると言っています。
一例をあげると、イエス様がヨルダン川で洗礼を受けられたとき、“天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」{(マタイ3:17)新改訳}とあります。
 父なる神様とイエス様の関係について、イエス様は、「わたしと父とは一つです。」{(ヨハネ10:30新改訳)}と言われました。
 聖霊(御霊)について:
ローマ8:11に「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。」(新改訳)とありますが、「イエスを死者の中からよみがえらせた方」は、この文から父なる神であることが分かります。即ち、「父なる神の霊(御霊)があなたがたの内に住んでおられるなら」となります。
また、キリスト者の中には、御子の霊(御霊)が住んでいて下さいます。それは、ガラテヤ4:6に「このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊〔新改訳では「御霊」〕を送って下さったのである。」(口語訳)とあることから分かります。また、親しく天のお父様と祈ることが出来ることを通しても体験していることと思います。
即ち、聖霊(御霊)は、父なる神の霊であり、子なる神の霊なのです。
それ故、御子の御霊がキリスト者の再生された霊の内に住んでくださっておられて、親しく「父よ、天のお父様、お父ちゃん、お父さん。」と祈ることが出来るなら、そのキリスト者の内に御霊がおられ、その御霊がおられるなら御子の霊ですから、御子がおられるのです。そして、御子と御父は一つなのです。
このことを物質的に捉えると分からなくなるでしょう。霊的な事柄として捉えることが大切であると思いますし、霊的体験をしている人には理屈は要らないでしょう。
以上はキリスト者の内にいてくださる神様についてですが、キリスト者がキリストの内におかれているというみことばとして、「あなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」{(1コリント1:30)新改訳}があります。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めて感謝します。
理論も大切ですけれども、いつも霊的な体験として三位一体の神様との関係を享受し続けていくことが出来ますように。
言葉で言い尽せない大いなる恵みを与えてくださっておられますことを感謝し、主イエス様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(エペソ1:3)「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」(新改訳)

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