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2014年8月10日 (日)

イエス様の十字架上の七つのおことばから教えられたこと

本日のメッセージ要旨 

十字架上のイエス様が語られた七つのことば
(1)「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカ23:34)
(2)「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)
(3)「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」「そこに、あなたの母がいます。」(ヨハネ19:26.27)
(4)「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」=「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)
(5)「わたしは渇く。」(ヨハネ19:28)
(6)「完了した。」(ヨハネ19:30)
(7)「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」(ルカ23:46)
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 (1)に関して
・キリストは罪を犯したことが無い。(1ペテロ2:22)
・キリストは十字架につけられる前に、鞭打ちの刑も受けている。(マタイ27:26、ヨハネ19:1)
 骨片や金属片が鞭の先についているような鞭で数多く打たれた。
・十字架に、太いくぎで、手と足を打ちつけられた。(参照:ヨハネ20:25.27)
・主イエスは、弟子や群衆に「自分の敵を愛し、迫害するものの為に祈りなさい。」と教えておられました。(マタイ5:39-44)
イエス様は、ご自分が教えておられることを極限の苦しみの中で自然に行っていたのです。
・「彼ら」の中には、目の前にいる人のみならず、時間空間を超えて、全人類が含まれていたと思います。(1ヨハネ2:2)
 (2)に関して
・イエス様と共に二人の強盗がイエス様の右と左につけられました。(マタイ27:38)
・十字架の前にいる人達や道を通る人達は、散々イエス様に罵声を浴びせました。十字架につけられた二人の強盗も、初めは二人とも罵声を浴びせていました。(マタイ27:39-44)
イエス様は、その嘲笑、罵り、悪意に対して一切返答をしませんでした。
十字架につけられてから約三時間後、一人の強盗の心が次のように変わったのです。
“23:39 十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。
23:40 ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」
23:42 そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」”(ルカ23:39-42)
この強盗は、自分の罪を認め(40)、イエス様を神の王国の主と認め信じ、イエス様に救いを嘆願したのです(42)。
・悔い改めて(思いを変えて)イエス様を信じた強盗に対して、イエス様は、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)と約束されました。
パウロは、この強盗とイエス様のやり取りを見ていなかったと思いますが、御霊の導きのもと、「人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」(ローマ10:10)と記しています。
・一人で聖書を読んでいて、イエス様を信じた人もいることでしょう。その人が、その場で「イエス様、信じます。」と告白すれば、救われるのです。また、夢の中にイエス様が現れたり、幻の中にイエス様が現れたりして、イエス様を信じ、イエス様を主と告白する人達もいるのです。
・大多数の人達は、教会に通い、聖書のおことばを聞き、イエス様を信じ、告白と嘆願が含まれるお祈りをして、自分も救われた、となることと思います。
 
 (4)に関して
・「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」=「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」(マタイ27:46)
イエス様がこの御声を発せられたとき、イエス様は、時空間を超えた全人類の罪をその身に負ったのです。イエス様は罪の故に、罪の裁きを受けました。それは、神との断絶です。(ローマ8:3、2コリント5:21)
・「罪からくる報酬は死です。」(ローマ6:23)とありますが、「死」とは断絶です。永遠の死は永遠の断絶です。
・「わたしは渇く。」(ヨハネ1928):肉体的にも脱水状態で乾いていますが、神との断絶の結果、霊的に強い渇きを覚えたことでしょう。
 (6)に関して
「完了した。」τετελεσταιテテレスタイ
・イエス様は、神の裁きが執行されたことを知ったのでしょう。
罪に対する神の裁きは、完了したのです。イエス様は、贖いの御業を成し遂げてくださったのです。
・エペソ2:8に「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」とあります。
「恵み」とは、イエス様の十字架の贖いを指しています。
イエス様の贖いは、既に成就していますが、救われる為には、イエス様を救い主として、主として信じる必要があります。(ローマ10:9)
信じるという中には、イエス様を心の中に受け入れる、ということが含まれています。(黙示録3:20)
・救いは、信仰のみによります。行いを付け加えてはいけません。
イエス様を信じること+律法の行いによって救われると思う人は、イエス様の贖いだけでは、救われることは出来ないとし、イエス様をおとしめているのです。
・イエス様+行いにはまってしまった人は、イエス様のみを見ているのではなく自分を見ているのです。その結果、救いの確信はゆらぐでしょう。
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<補遺>
恵みと報酬は異なります。
・キリストの裁きの座(2コリント5:10)では、イエス様を信じている人は当然皆救われますが、イエス様を愛し、イエス様の為に何をしたのか(マタイ25:14-30、1コリント3:10-15)ということによってキリストの王国での報酬が異なります。
・キリストの裁きの座では、憐れみ深い人は幸いです。(マタイ5:7、ヤコブ2:13)
・キリストの裁きの座では、真実な信仰生活をしてきた人は幸いです。(2ペテロ1:4-11)
・迫害にあったり、殉教した人は、その報酬を受け取ります。(マタイ5:10-12、黙示録20:4)
 「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをもあらかじめ備えてくださったのです。」(エペソ2:8-10)

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