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2014年12月27日 (土)

詩篇44:1-3、9-16 悲惨な現状と過去の恵みの回顧

“聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌
44:1神よ、いにしえ、われらの先祖たちの日に、あなたがなされたみわざを彼らがわれらに語ったのを耳で聞きました。
44:2すなわちあなたはみ手をもって、もろもろの国民を追い払ってわれらの先祖たちを植え、またもろもろの民を悩まして、われらの先祖たちをふえ広がらせられました。
44:3彼らは自分のつるぎによって国を獲たのでなく、また自分の腕によって勝利を得たのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたのみ顔の光によるのでした。あなたが彼らを恵まれたからです。”(口語訳)

 詩篇44篇が記された状況は、イスラエルの民にとって、悲惨なことを経験し、極めて厳しい状況の中にあった時です。
44:9-16に次のように記されています。
44:9ところがあなたはわれらを捨てて恥を負わせ、われらの軍勢と共に出て行かれませんでした。
44:10あなたがわれらをあだの前から退かせられたので、われらの敵は心のままにかすめ奪いました。
44:11あなたはわれらをほふられる羊のようにし、またもろもろの国民のなかに散らされました。
44:12あなたはわずかの金であなたの民を売り、彼らのために高い価を求められませんでした。
44:13あなたはわれらを隣り人にそしらせ、われらをめぐる者どもに侮らせ、あざけらせられました。
44:14またもろもろの国民のなかにわれらを笑い草とし、もろもろの民のなかに笑い者とされました。
44:15わがはずかしめはひねもすわたしの前にあり、恥はわたしの顔をおおいました。
44:16これはそしる者と、ののしる者の言葉により、敵と、恨みを報いる者のゆえによるのです。”(口語訳)
この箇所から、イスラエル或いは詩聖が属していた群れは戦いに敗れ(9.10)、略奪され(10)、他国に敗走させられ(11)、捕らわれた者は敵に奴隷として売られ(12)、近隣諸国の笑いものとなった(13-16)ということが分かります。

 神様がことを行われる時には、イスラエルと神様との祝福と呪いの契約(出エジプト24:3bc、レビ26:3-46、申命記28章)に基づいて、また、神さまの御計画に従って、また、契約の民と神様との関わりの中で、神様は、事を行っていかれます。

 イスラエル或いは詩聖が属していた群れが敗北の中におかれたのは、明らかに神様に対する背信の行為があった為だろうと思います。(イスラエル或いは詩聖が属していた群れ、としたのは、この詩の背景が、イスラエルがバビロンに敗れた後に書かれたものなのか、バビロンへの捕囚以前に書かれたものなのかを筆者が分からないからです。)

 その様な状況において詩聖はまず、1-3節で、過去の恵みを神様に訴えています。
この過去の回想は、出エジプトした民が、カナンの地に入り、イスラエルの民が神様から力を与えて頂いて敵に勝利し続け、カナンの地に定住していったときのことであろうと考えられます。だたしこの時も一度アカンの罪によって敵に破れたことがありました。神様に従っていった時は勝利し続けたのです。

 イスラエルの民が神様に従っていった時、神様から受ける祝福は地上的に見える領域において顕著でした。祝福を受ければ、戦いには勝利し、夫婦の間では多くの子どもが与えられ、経済的にも豊かになるというようなものでした。
一方、キリスト者に与えられる祝福は、第一に霊的なものです。エペソ1:3に、「神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。」(新共同訳)とある通りです。ですから、キリスト者の中には、主を愛し、主に従っている人でも、金持ちで無かったり、子供がいなかったりということもあるのです。それどころか信仰の故に殺されたり、ひどい目にあわされたりする人もいるのです。しかし、その様な人は霊的には豊かであり、暗やみにある魂を救いへと導いて神の子どもとして生まれる人を助けたり、霊的には多くの神の子どもたちに水を注いでいるのです。また、実際の子どもが与えられて尚且つその様なご奉仕に与っている人達も多くいますが、いずれにしても、キリスト者の場合は、この世の地上的祝福だけで判断することはできないのです。

 キリスト者がこの箇所から教えられることは、キリスト者の場合で霊的に悲惨な状況におかれている場合、自分なんかはもう駄目だと、神様から見放されたと思えるような場合、その様な時には、自分がどのような暗やみ、苦しみ、困難から救いだされたのか、神様はどのように導き祝福して下さったのかを思い出し、主が与えて下さった祝福を感謝する事から始めたらよいのだと思います。そして、神さまの約束を思い起こし、或いは聖書を読んで、悔い改めを示されたところは悔い改め、神様が与えて下さっておられる祝福の約束を信仰によって頂くことです。信じないことは不信仰の罪なのです。
自分はもう駄目だ、と思っている人の中には、聖書を読んでも、裁きの箇所や呪いの個所などばかりを自分に適用している場合があります。神様は、罪を告白し、イエス様の血潮を信じ、イエス様のおことばや御霊様に導かれて聖書記者が聖書に記した祝福の聖書のみことばを信じる人を必ず祝福して下さいます。

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます。
霊的に調子の悪い時は、いつでも基本に戻ることが出来ますように。
自分なんかはもう駄目だと思っている人達もいることと思います。助けてあげて下さい。
また、適切な働き人を遣わして下さい。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン

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