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2015年1月 8日 (木)

詩篇51:1-9 罪の悲惨さと罪からの解放

“聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだもの
51:1神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
51:2わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
51:3わたしは自分のとがを知っています。わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
51:4わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。
51:5見よ、わたしは不義のなかに生れました。わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。
51:6見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。
51:7ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
51:8わたしに喜びと楽しみとを満たし、あなたが砕いた骨を喜ばせてください。
51:9み顔をわたしの罪から隠し、わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。”(口語訳)

 この51編はダビデがバテ・シェバと姦淫の罪を犯し、更に悪計を謀り、他者をも罪に陥れ、殺人を犯した罪と、それに続く激しい罪責、神様からの圧迫の故に、体がぼろぼろになってしまったかのように感じられたほどの状態が続いていた時、神さまから遣わされた預言者ナタンの神のおことばの前に、悔い改める恵みを頂いて回復し、更に生まれながらの罪(Sin・原罪)にまで言及している内容になっていると思います。

 言い訳は脇に置いておいて、兎に角、罪を犯してしまったらすぐに悔い改めることが重要です。罪を示されても、罪の悔い改めをしないと、重圧に押しつぶされ、神様とは断絶し、心身は病んでいきます。その結果として自ら命を絶つようなこともあるのです。聖書の中では罪の故に自死に至った人としてイスカリオテのユダを見ることが出来ます(マタイ27:4.5)。

 ダビデとバテ・シェバの姦淫、更には、バテ・シェバの夫ウリヤの殺害、ダビデの悔い改め、罪の刈り取りの一部については、2サムエル11:2-12:18に記されています。

 ダビデは罪の結果、罪責の故に、あなた即ち神様が砕いた骨(8)とあるように、骨が砕かれて、もう体には力が入らず、痛みにも襲われ、辛くて辛くてどうしようもない状態を経験したのでした。この様な体験をした人は誰でも神様の奇跡を実感出来ます。即ち、罪を赦しきよめるイエス様の血潮を信じ、神様に罪を告白したならば、直ちに罪は赦され、体は嘘のように軽くなるからです。ただし、体に器質的変化を来してしまった場合は一概に言えないように思います。神様は、器質的変化を、当然のことながら、一瞬にして癒すことがお出来になりますが、それをなさって下さるかどうかは、神様のみこころ次第ですので何とも言えません。ただし、重い重い罪責感からは一瞬の内に解かれるでしょう。

 霊の世界において、極めて重い罪を犯したにもかかわらず赦されて主の器として大いなる働きに用いられた人がいます。それはパウロです。1テモテ1:15.16には、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。」(新改訳)とパウロによって記されています。
パウロは、「以前は、私自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきだと考えていました。そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を授けられた私は、多くの聖徒たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を投じました。また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを追跡して行きました。」(使徒26:9-11・新改訳)と証ししています。

 キリスト者に危害を加え、殺すということは、1コリント3:16.17に「あなたがた〔キリスト者(筆者挿入)〕は神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」(新改訳)とあるように大罪です。蛇足になりますが、私達が迫害を受けた時、イエス様のように、ステパノのように、「この罪を彼らに負わせないでください。」と祈らないとその人達は大変なことになるのです。パウロが神様に用いられた理由は、神様の御計画の中にあったからだと思いますが、それと共にステパノが殉教する際、祈られた祈りは、パウロにも適用されたのだと思うのです。それにしても、コリント人への手紙は神様から導かれたパウロが記したのですから、パウロは記しながらも、心の底から後悔と神様への感謝が溢れたことと思います。

 私は、ダビデやパウロの様な罪を犯したことが無かったからよかったな、とは言えません。イエス様は、「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます。」、「『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。」(マタイ5:21.22.27.28・新改訳)と語られたのです。

 人類の始祖アダムの堕罪の故に、人類はすべて罪を持って生まれて来ました(ローマ5:12、詩篇51:5)。
エレミヤは神様のおことばとして、エレミヤ17:9に「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(新改訳)、「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。」(口語訳)、「人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。」(新共同訳)と記しました。
また、パウロは、神様のおことばとして、「義人はいない。ひとりもいない。」(新改訳)、「正しい者はいない。一人もいない。」(新共同訳)と記しました。
人は生まれながらにSin即ち原罪を持って生まれてきているのです。

 しかし神様は、このことに対処して下さいました。
次のように記されています。
“8:1 従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。
8:2 キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。
8:3 肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。
8:4 それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。
8:5 肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。
8:6 肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。
8:7 なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。
8:8 肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。
8:9 神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。
8:10 キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。
8:11 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
8:12 それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
8:13 肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。
8:14 神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
8:15 あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。”(ローマ・新共同訳)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます
私たちは、生まれながらの罪人であり、罪を犯させようとする罪(単数形の罪・Sin)を持っている故に罪を犯してきてしまいました。しかし、罪を犯した責任は自分にあります。罪の故の罪責感にも圧迫されました。
しかし、神様は主イエス様の十字架によって解決して下さいました。
更に、御霊に満たされ続けて歩む時、主の御旨の内を歩むことが出来る恵みを与えて下さいました。
あなたの御名を賛美し、感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
“1:3 わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。
1:4 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。
1:5 イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
1:6 神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。
1:7 わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは、神の豊かな恵みによるものです。
1:8 神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、
1:9 秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。
1:10 こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。
1:11 キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました。
1:12 それは、以前からキリストに希望を置いていたわたしたちが、神の栄光をたたえるためです。
1:13 あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
1:14 この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。”(エフェソ・新共同訳)

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