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2015年1月 9日 (金)

詩篇51:10-13 きよい心を造って下さいという嘆願

51:10神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
51:11わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。
51:12あなたの救の喜びをわたしに返し、自由の霊をもって、わたしをささえてください。
51:13そうすればわたしは、とがを犯した者にあなたの道を教え、罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。”(口語訳)

 この箇所を新約時代的に捉えてみると、11節に「わたしをみ前から捨てないでください。あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。」という訴えがあるので、既にイエス様を信じて救われて聖霊様が与えられたのだけれども、罪の故に神様との交わりが希薄な状態に陥ってしまっているキリスト者に相当するように思います。
罪を犯して神様を悲しませる状態に陥らないようにとの注意をエペソ4:30では、「神の聖霊を悲しませてはいけません。」と記し、いつまでも罪を悔い改めないで神様と断絶している状態に陥ることがないようにと1テサロニケ5:19では、「御霊を消してはなりません。」(新改訳)と戒めています。
「聖なる霊をわたしから取らないでください。」とありますが、キリスト者は、新創造された者です。本当に新創造されたならば聖霊様が取り去られることはありませんが、罪の故に聖霊様が悲しむこともあり、更に進んで働いて下さらない状態、まさに聖霊様がいなくなってしまったと感じられるような状態になることはあるのです。

 10節の「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。」とのダビデの祈りを読むとその必死さが伝わってきます。
「正しい霊」(口語訳)のところを、新改訳は、「ゆるがない霊」と訳し、新共同訳・岩波訳は、「確かな霊」と訳しています。

 旧約聖書を読むと、聖霊が注がれた人達を幾人も見ることが出来ます。旧約時代は、聖霊様は、人に下ったり去ったりしました。はっきりと記してある人にはサムソンやサウル(1サムエル10:6、16:14)(王)がいます。サムソンについては士師記13-16章に記されていますが、聖霊様がサムソンの上に下ると、甚だしく力強い働きをし、聖霊様が去ると力が無くなるのです。そして、再度聖霊様が下って力を与えると驚くべき力を発揮したのです。サムソンには、聖霊様は力を与えられましたが、預言者には預言即ち神のことばを与えて語らせました。

 イエス様が地上に来られて、聖霊様はどのような方なのかを詳しく教えてくださったのです(ヨハネ14章、使徒1:8)。更に、使徒パウロを通して、聖霊の御性質について、御霊の実としてガラテヤ5:22.23で教えてくださり、聖霊の賜物についても神様は教えて下さいました(1コリント12章、ローマ12:6-8)。

 キリスト者はイエス様を信じて永遠の命を与えられましたから、聖霊様がいなくなってしまうことはないのです。永遠の命を与えられたのに死んでしまうということはおかしなことです。人間的な言いかたをすれば、罪を犯して聖霊様から注意されてもそのままにし、その罪から離れなければ、聖霊様が口を聞いて下さらなくなるのです。するとあたかも聖霊様が自分の霊の内にいなくなってしまったように感じられるのです。

 ダビデは、きよい心を創って下さい、と祈りました。
心の働きをもう少し詳しく見て表現すると、知性、感情、意志、良心などをきよくして下さいということになると思います。
主はこの様な祈りを喜んで下さり、その為の条件を果たしていけば、ことを行って下さるでしょう。きよくされる為には、捨てなければならないものがあるのです。神様がそれを捨てなさい、と言われるものを捨てて、主のきよめの血潮に信頼すれば、きよめて頂けます。そこには、献身(ゆだねること)、主の血潮、信仰(主はきよくして下さるという信仰)、聖霊の働き、御父の御旨が関与しているのです。
御父は元来エペソ1:4.5の次に記すお考えを持っていたのです。
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」(新共同訳)

 <お祈り>
天のお父様
あなたの御名を崇めます
あなたは、私達を救い、救うだけではなく、御前にきよく、傷の無い者にしようと御計画くださいましたことを感謝します。
イエス様の貴い御救いに与らせていただけたことは大いなる恵みであり、私たちの喜びと安心ですが、それにとどまらず、きよくして下さいますことを感謝します。
本よりあなたはわたし達キリスト者を、あなたの子ども、即ち神の子どもとして、また、キリストの妻として、ふさわしく、きよくしようと考えておられましたからありがとうございます。
イエス様は、ヨハネ10:10で、わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです、とおっしゃいましたが、そのことを私たちの信仰生活の中で実現していって下さいますからありがとうございます。その為には様々な試練も通過させられることもありますが、それを通してあなたの愛と真実と御思いをより深く知り、平安な義の実を結ぶようにして下さいますからありがとうございます。
日々、御聖霊によって歩むことの大切さを覚えます。
日々、御霊様に満たされ、導かれながら歩み続けていくことが出来ますよう助けていて下さい。
あなたの恵みなしには、あなたの御旨にかなって歩むことはできません。
私達を恵みによって生かしてください。
その様にして下さいますことを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。
アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「・・霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」(ヘブル12:10.11・新共同訳)
「自ら敬虔を修行せよ。」(テモテ前4:7・文語)

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