« マタイ12:46-50 イエス様の霊の家族 | トップページ | ルカ11:45-54 律法学者へのけん責 »

2015年10月18日 (日)

ルカ11:37-44 パリサイ人へのけん責

11:37イエスが語っておられた時〔イエスが話し終えられると(新改訳)〕、あるパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので、はいって食卓につかれた。
11:38ところが、食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て、そのパリサイ人が不思議に思った。
11:39そこで主は彼に言われた、「いったい、あなたがたパリサイ人は、杯や盆の外側をきよめるが、あなたがたの内側は貪欲と邪悪とで満ちている。
11:40愚かな者たちよ、外側を造ったかたは、また内側も造られたではないか。
11:41ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。
11:42しかし、あなた方パリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛とをなおざりにしている。それもなおざりにはできないが、これは行わねばならない。
11:43あなたがたパリサイ人は、わざわいである。会堂の上席や広場での敬礼を好んでいる。
11:44
あなたがたは、わざわいである。人目につかない墓のようなものである。その上を歩いても人々は気づかないでいる」。”(口語訳)

 37-41節は、41節の「内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる。」とイエス様はまとめられています。

 まず37.38節には、「イエスが語っておられた時〔イエスが話し終えられると(新改訳)〕、あるパリサイ人が、自分の家で食事をしていただきたいと申し出たので、はいって食卓につかれた。ところが、食前にまず洗うことをなさらなかったのを見て、そのパリサイ人が不思議に思った〔不審に思った(新共同訳)〕。」とあります。
パリサイ人は、食前の洗いをしないイエス様に対して不審を抱いた、とあります。
食前のきよめの洗いについて、神様は律法に規定してはいません。
ウェスレアン聖書注解によると、“パリサイ人たちは、「長老たちの言い伝え」に従って、長い祈りを伴った入念な洗い清めの方式を打ち建てていた。”とあります。
また、新聖書注解には、“「きよめの洗い」は旧約聖書になく、当時のパリサイ派、エッセネ派において厳守された「言い伝え」(マルコ7:3)に属する。『ミシュナー』サンヘドリン11:3「律法の定めに反するより、学者たちの定めに反する方が遥かに深刻な罪である。」”とあります。
私たちは、衛生面を考えて手を洗いますが、パリサイ人たちのきよめの洗いは、衛生面というよりも対神的な意味合いがあったことと思います。
イエス様が、パリサイ人たちに言いたかったことは、外見の形式主義にとらわれないで、心をきよめなさい、ということでした。
心のきよめは、イエス様を受け入れて、心の王座にイエス様に座って頂かなければできないことです。

 42節には、「あなた方パリサイ人は、わざわいである。はっか、うん香、あらゆる野菜などの十分の一を宮に納めておりながら、義と神に対する愛とをなおざりにしている。それもなおざりにはできないが、これは行わねばならない。」とあります。
イエス様は、十分の一を収めることの大切さを語りつつ、正義と神に対する愛の大切さを教えておられます。神様を愛している人は隣人をも愛します。

 43節には、「あなたがたパリサイ人は、わざわいである。会堂の上席や広場での敬礼を好んでいる〔挨拶されることを好むからだ(新共同訳)〕。」とあります。
新聖書注解では、
“「会堂の上席」は、会堂の前列、または国会議事堂の大臣席が代議士席に向かい合っているように会堂の座席が一般会衆と向かい合う役員席をもつ構造の場合は、その晴れがましい役員席。ここには会堂管理者の長老たちのほか訪問してきた祭司・レビ人、またラビが着席した。”と説明しています。
自分を高く置いておきたい、また、人から良く見られたい、ということの表れなのだろうと思います。
イエス様は、謙遜を旨としなさい、と教えてくださっています。
ピリピ2:3-5には、
“2:3 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。
2:4 自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい。
2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。”(新改訳)と記されています。

 44節には、「あなたがたは、わざわいである。人目につかない墓のようなものである。その上を歩いても人々は気づかないでいる。」とあります。
人々が気づかないうちに汚れたものを受け継いで、汚されてしまうという原因にならないよう注意すること、また、汚されないようにという警告が含まれているように思います。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
この聖書個所は、第一義的にはパリサイ人たちに対して語られたことでありますが、他人ごとではありません。
同じような状態に落ち込むことがないよう整え守っていてください。
罪を犯してしまったときは、すぐに告白してあなたに立ち返る者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

« マタイ12:46-50 イエス様の霊の家族 | トップページ | ルカ11:45-54 律法学者へのけん責 »

共観福音書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« マタイ12:46-50 イエス様の霊の家族 | トップページ | ルカ11:45-54 律法学者へのけん責 »

カテゴリー

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ