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2016年1月 6日 (水)

ルカ18:31-34 3度目のキリストの死と復活の予告

18:31イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう〔人の子について預言者が書いたことはみな実現する(新共同訳)〕。
18:32人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、
18:33
また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう」。
18:34弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解できなかった。”(口語訳)

 イエス様は十字架を目前にして、3度目の死と復活の預言を12弟子になさいました。
聖書、即ちイエス様が地上におられた時には新約聖書はなく旧約聖書しかなかったわけですが、イエス様ご自身の死と復活は、預言者たちによって聖書に記されてあり、ご自身の死と復活について記されている預言は成就する、とイエス様は語られたのです(31)。旧約聖書の最も大切な内容のジャンルの一つはイエス様についての預言、イエス様の予型にあったのです(ヨハネ5:39))。

 マタイの福音書に記されている「死と復活の3度の予告」を新改訳で下記しておきます。
1回目:(マタイ16:21)
「その時〔ピリポ・カイザリヤにおけるペテロの信仰告白とイエス様の教会建立言及の時(筆者挿入)〕から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえらなければならないことを弟子たちに示し始められた。」
2回目:(マタイ17:22.23)
「彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。『人の子は、いまに人々の手に渡されます。そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。』すると、彼らは非常に悲しんだ。」
3回目:(マタイ20:17-19)
「さて、イエスは、エルサレムに上ろうとしておられた〔エルサレムに上る途上にあった(岩波訳)〕が、十二弟子だけを呼んで、道々彼らに話された。『さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。』」

 私が救いを求めていたころ(求道中)、私は預言を重視していました。多くの宗教書が巷には溢れていましたが、どれを信じることが出来るのだろうかと。
釈迦の誕生に関しては、予言があったと記されている本がありましたが、孔子やソクラテスやマホメットに関しては誕生前にその人に関する予言があったと記されている本があることを私は知りません。
一方、キリスト(メシア)に関する預言は、旧約聖書に数多くあり、且つそれは時代を超えた多くの預言者によって記されたものなのです。それだけでも驚きでしたが、その上、聖書の預言の凄さを、申命記18:21.22の「あなたが心の中で、『私たちは、主が言われたのでないことばを、どうして見分けることができようか』と言うような場合は、預言者が主の名によって語っても、そのことが起こらず、実現しないなら、それは主が語られたことばではない。その預言者が不遜にもそれを語ったのである。彼を恐れてはならない。」(新改訳)というおことばから知りました。
世の中に予言者であると自称により、あるいは他称によって名前の挙がる人はいますが、100%預言を的中させる人などいないのです。ノストラダムスでさえはずれです。外れた人の預言は、まことの神様からのものではなく他の霊{悪しき予言の霊(悪しきと言っても光の御使いにも変身します)}からのものです。

 イエス様に関しては、イエス様の死について、イエス様の死が何をもたらすかについて、イエス様の復活について、復活後のイエス様はどうなるのかについて、イエス様の再臨について等々数多くの預言が為されているのです。すでに起こったことは実現したのです。例えば50の預言がすべて間違いなく実現するという確率は、8.882×10の16乗分の1だそうです。誰でも兆や京の数の単位なら知っていると思い50の預言としましたが、実際はイエス様に関する預言はそんなに少ないものではないのです。

 神様は、私のように聖書を疑いの目をもって見る者をも、「聖書は真理だよ。」と示してくださっておられたのです。10000の預言がすべて当たる確率は5.0124×10の3011乗分の1だそうです。旧約聖書は預言で満ちていますから様々な預言を合わせるとその当たる確率は驚異的です。神様は、神様が遣わした預言者の預言は一つも外れない、預言が外れたとしたら、その預言者は偽物だ、と言われたのです。

 34節には、「弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。この言葉が彼らに隠されていたので、イエスの言われた事が理解できなかった。」と記されています。
弟子たちは今回を含めると、3回もイエス様の死と復活の預言を聞いたのに理解できなかったのです。イエス様が語られたことの真意を理解することが出来るためには、聖霊の助けが必要なのです。
ヨハネ16:13には「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(新改訳)と記されています。
また、ヨハネ16:4には、「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、その時が来れば、わたしがそれについて話したことを、あなたがたが思い出すためです。」(新改訳)という主イエス様のおことばもあります。

 コロサイ1:9-12にはパウロのとりなしの祈りが
“1:9 こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。
1:10 また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれあらゆる善行のうちに実を結び神を知る知識を増し加えられますように。
1:11 また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐寛容を尽くし、
1:12 また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。”(新改訳)と記されています。
下線部分に属するようなものは、肉の努力によってではなく、恵みにより、信仰により、祈りによってもたらされるものなのであると教えられます。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたが預言を与えてくださいましたことを感謝します。
疑い深い私のような者でも、預言の成就を見させて頂いたとき、目の前が開かれました。
私の体験では、神様が創造主であることも、イエス様が救い主であり、イエス様を信じればそれだけで救われる、ということも聖霊様の関与であったと体験後に確信したことでした。
私が救われたのは、父子聖霊なる三位一体の神様の御業であったのです。
絶えざる感謝をもって主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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