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2016年8月 9日 (火)

1テモテ1:12-17 パウロの証と神への感謝

1:12わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。主はわたしを忠実な者と見て、この務に任じて下さったのである。
1:13わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。
1:14その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。
1:15「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。
1:16しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。
1:17世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。”(口語訳)

 12節には、「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。」(新共同訳)とあります。
テモテは、エペソ教会を牧会していくことに極めて困難を覚え、自分はダメだ、自分には出来ない、と意気消沈していたのかも知れません。それ故、パウロは、テモテの心の目の付け所を自分から主イエス様に移させようとしたのかも知れません。
パウロは、テモテに、直接、強くなれ、と言ったのではなく、
パウロは、私を強くしてくださったのは、主キリスト・イエス様ですよ。ですから私は主に感謝しているのです、と語りました。
更に、パウロは、救われる前の自分がどれ程ひどい人間であったのか、それほどまでにひどい人間であったにもかかわらず、主は、私パウロを愛し、救い、主の務めに就かせ、力を与え続けてくださっておられます、ということを、「わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。」(13.14)と述べました。

 「神をそしる者」とありますが、パウロは、イエス様こそがキリスト(メシア)であり、神の一人子の御子なる神であると知る前は、自分では熱心に神に仕えていると思いながら、キリスト者に強制的に主イエスの御名を汚すことを言わさせようとしている者でした(使徒26:11)。

 「迫害する者」とありますが、パウロは、ステパノを殺すことに賛成していましたし(使徒8:1)、更に、エルサレム教会を荒らし、家々に入って、男女の別なくキリスト者たちを引きずり出し、次々に牢に入れていた人であり(使徒8:3)、それでも飽き足らず、なおも主の弟子たちに対する脅かしと殺害の意に燃えて、この道の者であれば男でも女でも、見つけ次第縛り上げてエルサレムに引いて来るために、大祭司のところに行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を書いてくれるよう頼み、大祭司から手紙をもらい、ダマスコのキリスト者たちをも逮捕して連れてこようとした人であったのです(使徒9:1.2)。ダマスコの近くでパウロに主イエス様が現れた時、イエス様は「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:5)と語られました。キリスト者はキリストの体の一部であったのです(エペソ2:23)。
パウロは、使徒とされた後、「もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。」(1コリント3:17・新改訳)と記しています。
パウロが救われた後、パウロはこの真理を教えられました。パウロの神への感謝と賛美はどれほどであったことでしょうか。それどころか、神の恵みは日に日に増加され満ち溢れていったとテモテに述べたのでした。

 15節には、「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。」とあります。
パウロは、多くのキリスト者を迫害した者として、心の底から、わたしは罪人のかしらなのである、と思っていたことでしょう。その私が救って頂けたのだから、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである、と語ったのだろうと思います。更にパウロ自身が救われたのは、「キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。」(16)と述べています。

 主の恵みに預かった者は、主がよくしてくださったことを思い出すとき、自然に主への感謝が湧き出てきます。パウロは、「世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。」(17)と主を賛美しました(17)。ダビデは、「わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:1.2・新改訳)と主を賛美しました。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ヘブル書の著者は御霊によって「イエスから目を離さないでいなさい」と語りました。
自分の置かれている環境や状況、心の状態に関係なく、いつもイエス様に心を留めている者であらせてください。
そして、「私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある」(詩篇34:1・新改訳)と主を賛美する者であらせてください。
あなたを賛美させて頂ける恵みを感謝し、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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