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2016年8月 8日 (月)

1テモテ1:8-11 律法の位置づけ

1:8わたしたちが知っているとおり、律法なるものは、法に従って〔正しく(新共同訳)〕用いるなら、良いものである。
1:9すなわち、律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、
1:10不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとる〔反する(新共同訳)〕ことがあれば、そのために定められていることを認むべきである。
1:11これは、祝福に満ちた神の栄光の福音が示すところであって、わたしはこの福音をゆだねられているのである。”(口語訳)

 7節には、「律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、また強く主張していることについても理解していません。」とありました。
そのような人たちがいたのです。
現代でも律法と恵みの福音の関係を正しく理解することが出来ずごちゃ混ぜになって混乱したり苦しんだりしている人がいます。

 パウロは、8節で、「律法は正しく用いるならば良いものである」(新共同訳)と述べました。パウロはローマ人への手紙の中でも、「律法そのものは聖なるものであり、戒めも聖であって、正しく、かつ善なるものである。」(7:12・口語訳)と述べています。
また、イエス様ご自身が、「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。」(マタイ5:17-19・新改訳)と語られました。

 9.10節には、「・・律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとる〔反する(新共同訳)〕ことがあれば、そのために定められている・・。」とあります。
9.10節に記されている内容を見ると、十戒をもとに書いたのではないかと想像します。十戒の第一戒から第四戒までは、神様とのかかわりについて記されていますが、それは、「不信心な者、神聖を汚すもの」ということも可能でしょう。
「父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者〔うそをつく者(筆者挿入)〕、偽り誓う者」という内容は、十戒の第五戒から第九戒に記されています。更に加えて「そのほか健全な教にもとること」と記されています。健全な教えの中には第十戒も含まれますから、心の中で思う不当な欲望、例えばむさぼりの思いの罪も罪になることになります。また、殺人をおこしていなくても、あの人はいなくなればいいと思えば殺人罪に等しいとなるのです。これはこの世の法律ではなく神様の法律です。
これを読んで、自分に当てはめると、肉の両親から生まれた人間は、誰でも例外なく、自分は罪人だ、となります。ローマ3:10に、「義人はいない。一人もいない。」とあるように。

 律法は、元来イスラエル人に与えられたものであって、異邦人に与えられたものではありません。しかし、もともと異邦人に与えられたのではなかったのであるから、異邦人は、律法などは関係ない、とはならないのです。ローマ2:12-16には、
“2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。
2:13 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。
2:14 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。
2:15 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。
2:16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。”(口語訳)と記されています。

 律法は、私たちに罪の自覚を生じさせる(ローマ3:20)働きをします。それ故、「律法は私たちをキリストへ導く」(ガラテヤ3:24)働きをするのです。

 ローマ人への手紙には、
“3:20 なぜなら、律法を実行することによっては、だれ一人神の前で義とされないからです。律法によっては、罪の自覚しか生じないのです。
3:21 ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
3:22 すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
3:23 人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、
3:24 ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
3:25 神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。
3:26 このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。
3:27 では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。
3:28 なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもないのですか。そうです。異邦人の神でもあります。
3:30 実に、神は唯一だからです。この神は、割礼のある者を信仰のゆえに義とし、割礼のない者をも信仰によって義としてくださるのです。
3:31 それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。”(新共同訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
律法によって「罪」を教えてくださり、自覚させてくださり、罪の結果を教えてくださり感謝します。
罪から来る報酬は死ですが、神様はイエス・キリスト様によって、私たちに永遠のいのちを与えてくださいました。
絶えざる感謝をもって、主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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