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2016年8月24日 (水)

1テモテ6:1.2ab 奴隷への勧め

6:1くびきの下にある奴隷はすべて、自分の主人を、真に尊敬すべき者として仰ぐべきである。それは、神の御名と教とが、そしりを受けないためである。
6:2信者である主人を持っている者たちは、その主人が兄弟であるというので軽視してはならない。むしろ、ますます励んで仕えるべきである。その益を受ける主人は、信者であり愛されている人だからである。”(口語訳)

 1節には、「軛の下にある奴隷の身分の人は皆、自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。それは、神の御名とわたしたちの教えが冒涜されないようにするためです。」(新共同訳)とあります。
この節は、奴隷の身分で、キリスト者となった人と、キリスト者ではない主人の関係が記されています。
この手紙が記された時代は、奴隷制社会の時代でした。パウロは、社会運動家として奴隷制廃止の運動をしたのではありませんでした。神様がパウロをそのように導かれたのではなかったからです。神様が奴隷制度を廃止するために用いた人たちは後世の別の人たちでした。

 キリスト者となった奴隷は、奴隷であっても、奴隷の所有者であっても、神は差別しない、即ち神の御前においては平等である、という教えを受けていたことでしょう。
ガラテヤ3:27.28には、「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(新共同訳)とあり、
コロサイ3:9-11には、「・・あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。そこには、ギリシヤ人とユダヤ人、割礼の有無、未開人、スクテヤ人、奴隷と自由人というような区別はありませんキリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。」(新改訳)とあります。

 パウロは、霊においては神の御前に平等なので、教会内においては、奴隷と自由人の区別はありません、と教えたのでした。
しかし、社会においては、社会制度というものがありますから、そうはいきません。キリスト者でない奴隷所有者によって、キリストの御名が汚されないために、奴隷の身分にあるキリスト者に対して、「自分の主人を十分尊敬すべきものと考えなければなりません。」(新共同訳)と指導したのでした。
その他、パウロは、1コリント7:21では、「召されたとき奴隷であっても、それを気にしないがよい。しかし、もし自由の身になりうるなら、むしろ自由になりなさい。」(口語訳)と述べ、
エペソ6:5-8では、「奴隷たちよ。あなたがたは、キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、キリストのしもべとして、心から神のみこころを行い、人にではなく、主に仕えるように、善意をもって仕えなさい。良いことを行えば、奴隷であっても自由人であっても、それぞれその報いを主から受けることをあなたがたは知っています。」(新改訳)とのべ、
コロサイ3:22-25では、「奴隷たちよ。すべてのことについて、地上の主人に従いなさい。人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。不正を行う者は、自分が行った不正の報いを受けます。それには不公平な扱いはありません。」(新改訳)と述べています。

 次に、2節で、奴隷と奴隷の主人とが、共にキリスト者である場合の奴隷に対して、どのように指導したら良いのか、ということを、パウロはテモテに、「信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽く見ず、むしろ、ますますよく仕えなさい。なぜなら、その良い奉仕から益を受けるのは信者であり、愛されている人だからです。あなたは、これらのことを教え、また勧めなさい。」(新改訳)と述べました。

 余談になりますが、パウロはローマ市民権を持っている自由人でしたが、イエス・キリストの奴隷として歩み続けた人でした。
パウロは、1コリント7:22.23では、「奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。」(新改訳)と述べています。
また、ローマ人の手紙の初めの節で、パウロは、「神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ」と自己紹介しました。
「しもべ」も「奴隷」もギリシャ語の原語では同じδοῦλος ドゥーロス です。愛の関係に基づく「しもべ」であったのでした。イエス様を愛しイエス様に自らをささげて、イエス様に従ったのです。それは限りない愛をもってイエス様が愛してくださっておられることを体験したからです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
現代日本は、奴隷制の社会ではありませんが、仕えるべき人には、主に仕えるように仕えることが出来ますように。
その報いは主からくることを覚えて感謝します。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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