« 1テモテ2:8-15 教会での礼拝でのありかた | トップページ | 1テモテ3:8-13 執事について »

2016年8月13日 (土)

1テモテ3:1-7 監督について

3:1「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。
3:2さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、
3:3酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、
3:4自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。
3:5自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。
3:6
彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。
3:7さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。”(口語訳)

 パウロは、「監督」を「長老」と同じように用いているように思えます。それは、テトス1:5-9に、
“1:5 あなたをクレタに残してきたのは、わたしが指示しておいたように、残っている仕事を整理し、町ごとに長老たちを立ててもらうためです。
1:6 長老は、非難される点がなく、一人の妻の夫であり、その子供たちも信者であって、放蕩を責められたり、不従順であったりしてはなりません。
1:7 監督は神から任命された管理者であるので、非難される点があってはならないのです。わがままでなく、すぐに怒らず、酒におぼれず、乱暴でなく、恥ずべき利益をむさぼらず、
1:8 かえって、客を親切にもてなし、善を愛し、分別があり、正しく、清く、自分を制し、
1:9 教えに適う信頼すべき言葉をしっかり守る人でなければなりません。そうでないと、健全な教えに従って勧めたり、反対者の主張を論破したりすることもできないでしょう。”(新共同訳)とありますから。

 使徒ペテロは、ご復活後の主イエス様から、牧者となるように命じられました。ヨハネ21:15-17には、
“21:15 食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。
21:16 二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。
21:17 三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。”(新共同訳)とあります。
また、ヨハネ15:16には、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」(口語訳)とあります。これは最後の晩餐の時に語られたのです。
繰り返しますが、テトス1:7には、「監督は神から任命された管理者である・・」とありました。
これらの聖句を読むと、監督(長老)になる為には、神様の召命と任命が必要であることが分かります。牧者がその与えられた任務を全うしていくためには、その働きの為の御霊の注ぎが必要になると思います。御霊の満たし、導き、力なくして出来るものではありません。

 前にも書きましたが、テモテへの手紙は、エペソにおけるテモテの牧会の働きと関係しています。エペソ教会は、監督の中からも偽りの方へと信徒を引き込む人が現れてくる人がいる、とパウロは神様から教えられ、パウロの第三回宣教旅行の時に、エペソの教会の長老たちに次のように預言しています。
“20:17 パウロは、ミレトからエペソに使いを送って、教会の長老たちを呼んだ。
    ・・・・・・中略・・・・・
20:28 あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
20:29 私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中に入り込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
20:30 あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。”(使徒・新改訳)とあります。

 この預言が現実のものとなったことが、1テモテ1:3-7の
“1:3 私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり、
1:4 果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。
1:5 この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。
1:6 ある人たちはこの目当てを見失い、わき道にそれて無益な議論に走り、
1:7 律法の教師でありたいと望みながら、自分の言っていることも、また強く主張していることについても理解していません。”からも明らかです。

 そこでパウロは、監督とは、
“3:1 「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」
3:2 だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。
3:3 また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、
3:4 自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。
3:5 自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。
3:6 監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。
3:7 更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。”(新共同訳)と書き送ったのだろうと思います。
これによって、テモテの指導の助けとなるようにし、かつ、エペソのすべての信徒たちに、誰が正しい監督であるのか、誰の言うことを信じたらよいのか、ということを明らかにしようとしたのではないかと想像します。

 テモテは大変なところに派遣されました。しかし、神様は、テモテの求めに従って、その大変さを上回る力を与えられたのではないかと想像します。黙示録には、
“2:1 エペソにある教会の御使いに書き送れ。『右手に七つの星を持つ方、七つの金の燭台の間を歩く方〔イエス・キリスト様(筆者挿入)〕が言われる。
2:2 「わたしは、あなたの行いとあなたの労苦と忍耐を知っている。また、あなたが、悪い者たちをがまんすることができず、使徒と自称しているが実はそうでない者たちをためして、その偽りを見抜いたことも知っている。
2:3 あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。”(新改訳)と記されています。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
2テモテ2:1には、「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。」(新改訳)とあります。
キリスト者は誰にでも、地上生涯を送るにあたっては、色々な困難が与えられます。
困難に押しつぶされないためには、キリスト・イエスにある恵みによって強くされる必要を覚えます。
また、困難を与えられるゆえに、信仰から信仰へと成長させて頂けることも覚えます。
いかなる時にも、あなたから目を離すことなく、あなたに信頼し続けて歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

« 1テモテ2:8-15 教会での礼拝でのありかた | トップページ | 1テモテ3:8-13 執事について »

テモテへの手紙Ⅰ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 1テモテ2:8-15 教会での礼拝でのありかた | トップページ | 1テモテ3:8-13 執事について »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ