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2016年8月 4日 (木)

使徒28:17-23 ローマにてユダヤ人たちへの弁明と宣教

28:17三日たってから、パウロは、重立ったユダヤ人たちを招いた。みんなの者が集まったとき、彼らに言った、「兄弟たちよ、わたしは、わが国民に対しても、あるいは先祖伝来の慣例に対しても、何一つそむく行為がなかったのに、エルサレムで囚人としてローマ人たちの手に引き渡された。
28:18彼らはわたしを取り調べた結果、なんら死に当る罪状もないので、わたしを釈放しようと思ったのであるが、
28:19ユダヤ人たちがこれに反対したため、わたしはやむを得ず、カイザルに上訴するに至ったのである。しかしわたしは、わが同胞を訴えようなどとしているのではない。
28:20こういうわけで、あなたがたに会って語り合いたいと願っていた。事実、わたしは、イスラエルのいだいている希望のゆえに、この鎖につながれているのである」。
28:21そこで彼らは、パウロに言った、「わたしたちは、ユダヤ人たちから、あなたについて、なんの文書も受け取っていないし、また、兄弟たちの中からここにきて、あなたについて不利な報告をしたり、悪口を言ったりした者もなかった。
28:22わたしたちは、あなたの考えていることを、直接あなたから聞くのが、正しいことだと思っている。実は、この宗派については、いたるところで反対のあることが、わたしたちの耳にもはいっている」。
28:23そこで、日を定めて、大ぜいの人が、パウロの宿につめかけてきたので、朝から晩まで、パウロは語り続け、神の国のことをあかしし、またモーセの律法や預言者の書を引いて、イエスについて彼らの説得につとめた。”(口語訳)

 ローマに到着して三日後に、パウロは、ユダヤ人のおもだった人たちを招きました。
ユダヤ人の主だった人たちは、パウロの借りた家に来てくれました(17)。パウロが自由の身であった時は、パウロは何時もユダヤ人の会堂に入って宣教していましたが、現在は番兵付の軟禁状態(16)ですからユダヤ人の主だった人たちを招いたのです。

 ユダヤ人の主だった人たちに、パウロは、自分が囚人としてここにいる理由と身の潔白について、また、ユダヤ人の主だった人たちを招いた理由とを、「兄弟たち。私は、私の国民に対しても、先祖の慣習に対しても、何一つそむくことはしていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。ローマ人は私を取り調べましたが、私を死刑にする理由が何もなかったので、私を釈放しようと思ったのです。ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私はやむなくカイザルに上訴しました。それは、私の同胞を訴えようとしたのではありません。このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。」(17-20・新改訳)と述べました。

 パウロは更に加えて、「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」(20・新改訳)と語りました。
このことに関して、以前、パウロは、サンヘドリン(議会・最高法院)では、「兄弟たち、わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」(使徒23:6・新共同訳)と述べましたし、
総督ペリクスの前では、この時は大祭司たちもいましたが、そのときには、「正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。」(24:15・新共同訳)と述べ、
アグリッパ王並びに総督フェストや市の首脳たちの前では、「今、私がここに立って裁判を受けているのは、神が私たちの先祖にお与えになった約束の実現に、望みをかけているからです。私たちの十二部族は、夜も昼も熱心に神に仕え、その約束の実現されることを望んでいます。王よ、私はこの希望を抱いているために、ユダヤ人から訴えられているのです。神が死者を復活させてくださるということを、あなたがたはなぜ信じ難いとお考えになるのでしょうか。」(使徒26:6-8・新共同訳)と述べました。

 「イスラエルの望み(希望)」とパウロが語った時、ユダヤ人たちは、パウロと同じようには考えなかったでしょう。ユダヤ人たちは、イスラエルの国の再興のことを想像したと思います。イエス様が地上におられた時、3年半の間寝起きを共にした弟子たちでさえ、イエス様がご復活された後、「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」(使徒1:6・新改訳)とイエス様に尋ねたのですから。

 21節には、「すると、ユダヤ人たちが言った。『私どもは、あなたのことについてユダヤから何の書面も受け取ってはおりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたについて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした。』」(新共同訳)とあります。
パウロは、ユダヤ人たちが話す前に、自分が囚人としてここにいる理由と身の潔白について語りましたが、ユダヤ人たちは、パウロのことについて、エルサレムからの書状や人による連絡もないので、パウロについてはあまり知らないと答えたのです。
それに加えてユダヤ人たちはパウロに、「私たちは、あなたが考えておられることを、直接あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派については、至る所で非難があることを私たちは知っているからです。」(22・新改訳)と語りました。
そして日を改めてパウロから話を聞く機会を持ったのです(23)。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ローマにはキリスト者たちの集まり(教会)もあったわけですが、ローマ在住のユダヤ人たちは、ローマの教会を迫害するのでもなく、自分たちは自分たち、彼らは彼ら、というような関係であったように思われます。何か現代の日本の大都会の宗教観に通じるようにも思えます。
ローマのユダヤ人たちが暴力的になることはありませんでした。だからと言って信じることはまた別であったことが使徒の働きを最後まで読むと分かります。
のれんに腕押しのような人たちにもパウロは熱心に語っていきました。何か日本に似ているように思えます。
イエス様の福音を伝えた時に、その人が信じてくれれば大喜びできますが、福音にふれた人が信じなくても淡々と主を伝えていくことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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