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2016年8月11日 (木)

1テモテ2:1-7 祈りの対象とその根拠

2:1そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。
2:2それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。
2:3これは、わたしたちの救主である神のみまえに良いことであり、また、みこころにかなうことである。
2:4神は、すべての人が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
2:5神は唯一であり、神と人との間の仲保者もただひとりであって、それは人なるキリスト・イエスである。
2:6彼は、すべての人のあがないとしてご自身をささげられたが、それは、定められた時になされたあかしにほかならない。
2:7
そのために、わたしは立てられて宣教者、使徒となり(わたしは真実を言っている、偽ってはいない)、また異邦人に信仰と真理とを教える教師となったのである。”(口語訳)

 1-3節を新共同訳で記すと
“2:1 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。
2:2 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
2:3 これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。”とあります。
祈りの対象者たちは、「すべての人々」です(1)。
「すべての人々」の中には、司法、行政、立法において重要な地位にある人たちも含まれます(2)。私は、このような上に立つ人たちに対して、自分の主義主張をテレビに向かって言ったりしますが、とりなしの祈りをすることを怠りやすい者です。いつも、このテモテ書のことばにふれると悔い改めて彼らの為に祈るのです。そして心していないとまた失敗するのです。私たちの敵は血肉(人間)ではなくサタンとその配下の悪霊たちであるのに(エペソ6:12)。

 国の上に立つ人たちの為に、願いと祈りと執り成しと感謝をささげることは、「私たちが敬虔に〔神を畏れ敬い(筆者挿入)〕、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。」(2・新改訳)と教えてくれています。聖書に記されている使徒たちの言動を読むとそれがよく分かります。
「祈り」の中には、感謝の祈りもあれば、他者のために祈るという「とりなし」の祈りもあれば、「願い」の祈りもありますが、神様を賛美する賛美の祈りもあり、神のことばを聞いてそれを祈るという祈りもあります。祈りは神との交わりです。あらゆることを通して、またあらゆることのうちにあっても神様と交わることが出来ます。

 私たちが、すべての人のために祈るということは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです、と3節に記されています。

 すべての人のためにとりなしの祈りを捧げる根拠が4節に、「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(新改訳)と記されています。

 5.6節には、「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。」とあります。
キリスト者は当たり前のこととして読んでしまいますが、よく考えてみると、「神は唯一」と信じているのは、ユダヤ教徒とイスラム教徒とキリスト教徒です。その中で、唯一の神が三位格を有しておられる、即ち三位一体であると信じているのはキリスト教徒のみです。また神の一人子である御子が神でありつつ人の肉体を持って、肉の体において罪の贖いを成し遂げてくださった(コロサイ1:22)と信じているのもキリスト教徒のみです。やがてはユダヤ教徒やイスラム教徒の中からもイエスがキリスト(メシア)であると信じる人たちが大勢起こされます(ゼカリヤ12:9-13:1、ローマ11:25-27、イザヤ19:23)。
 「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」とあるからといって、自動的に誰でも救われるというものではありません。救われるための準備を神様はしてくださいましたが、救われるためには、イエス様が救い主であることを信じる必要があるのです。信じる主体は人です。

 パウロは、1-6節までを述べた後、再度、「わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。」(新共同訳)とテモテにそしてこの手紙を読むであろうエペソ教会の人たちに再確認させたのです。それは、エペソに来ている、或いは教会の中からも起こった偽りの教えを教える人たち(1テモテ1:3.4.6.7、使徒20:29.30)とは違って、私パウロは、主から、使徒として、異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのですよ、と述べたのでした。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」と命じられていますが、いつもこのおことばにふれた後、しばらくすると、このおことばの命令を忘れてしまいますが、願わくは、忘れずに祈ることが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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