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2017年3月18日 (土)

出エジプト3:1-6 聖なる主

3:1モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロの羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥に導いて、神の山ホレブにきた。
3:2ときに主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使は、しばの中の炎のうちに彼に現れた。彼が見ると、しばは火に燃えているのに、そのしばはなくならなかった。
3:3モーセは言った、「行ってこの大きな見ものを見、なぜしばが燃えてしまわないかを知ろう」。
3:4主は彼がきて見定ようとするのを見、神はしばの中から彼を呼んで、「モーセよ、モーセよ」と言われた。彼は「ここにいます」と言った。
3:5神は言われた、「ここに近づいてはいけない。足からくつを脱ぎなさい。あなたが立っているその場所は聖なる地だからである」。
3:6また言われた、「わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」。モーセは神を見ることを恐れたので顔を隠した。”(口語訳)

 1節には、「モーセは妻の父、ミデヤンの祭司エテロ〔イテロ(新改訳)、別名「レウエル」(筆者挿入)〕の羊の群れを飼っていたが、その群れを荒野の奥〔西側(新改訳)〕に導いて、神の山ホレブにきた。」とあります。
モーセがこの時やって来たのは、荒野の奥、説明的には荒野の西側ということです。そこはホレブ山でした。
ホレブ山について、注解付新改訳聖書の注は、「ホレブ山は、伝統的にはシナイ半島南中央部にあるジェベル・ムーサ(2285m)と考えられる。」と記しています。
モーセは、40歳まではエジプトで暮らしました。この3章の出来事の時点では、80歳になっています(出エジプト7:7)。ミデヤンでの40年間、モーセは羊を牧して生活してきました。そして、80-120歳の40年間は、イスラエルの民を牧して歩んでいったのです。

 2節をリビングバイブルは、「突然、柴の燃える炎の中に、神様の使いが現われました。よく見ると、柴には火がついているのに、いつまでも燃えています。」と訳しています。
これはホレブの山での出来事でした。「ホレブ」の意味は、「荒涼とした」の意とありますが、岩波訳の注には、「〈乾ききる〉から形成された地名」とあります。

 荒野の乾燥地帯に生えている柴、それが燃えているのです。柴は小さな雑木のことです。とても乾燥しているのですから、燃えている柴は、普通ならどんどん燃えて灰なっていくでしょう。しかし、燃え尽きることなく燃え続けているのです。その燃えている柴の中に主の使いが現れたのです。

 この主の使いは、受肉する前のイエス様です。即ち三位一体の神の第二位格の御子でありました。2.4.6節は、二位一体が表されています。
2節には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いが彼に現れた。」(新改訳)とあり、
4節には、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神〔ヤハウェなる神(筆者挿入)〕は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ』と仰せられた。」(新改訳)とあり、
6節には、「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」とあります。
エホバの証人のグループの人たちは、イエス・キリストはミカエルだと言います。
イスラム教の人たちは、イエス・キリストは大預言者であり、神ではないと言います。アッラーは、神の名前であって、ヤハウェではありません。ウィキペディアでは、アッラーとヤハウェは同じであるとありますが、聖書を読めば異なる神であることは明らかです。イエス様は、「私と父とはひとつです。」(ヨハネ10:30・新改訳)と言われました。"I and my Father are one."(KJV)とあります。算数では解けません。1+1=1 のお方なのです。三位一体のお方は、1+1+1=1のお方なのです。霊である神様(ヨハネ4:24)は、1+1+1=1なのです。肉であるものには適用できない算術です。天使も霊ですが、天使は1+1+1=3なのです。

 2-5節を新改訳で再掲しますと、
“3:2 すると主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。
3:3 モーセは言った。「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう。」
3:4 主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」と仰せられた。彼は「はい。ここにおります」と答えた。
3:5 神は仰せられた。「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」”とあります。

 主なる神様は、「ここに近づいてはいけない。あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」と仰せられました。
新生したキリスト者の霊の内には、主なる神様が住んでおられます。
聖なる神様は、汚れたものの内には気持ちよく住むことは出来ないでしょう(私の想像ですが)。
主なる神様は、イエス様を信じた者を、御霊から{ギリシャ語は「エク」、fromで「から」}生まれさせてくださったのです(ヨハネ3:6・口語訳、新共同訳)。そして、誕生したものは霊でした。その霊の中に霊である主が住んでくださったのです。御霊から生まれた霊ですから、新しく生まれた霊は、きよい霊でした。
私は、キリスト者の「心」というのは、①御霊から誕生した霊と②生まれながら持っている魂(変えられ続けておりますが)と③大脳の働きから生み出される総合的なものであると考えています(正しいかどうか分かりませんが)。
神様は、先ず、聖い霊を誕生させ、そこを住まいとされました。
また、初次的聖化の根本はイエス・キリストを信じない魂を信じる魂に変えてくださったことであろうと思います。魂は、その後も霊の影響と、聖書のおことばの影響を受け、御霊によって変えられ続けていくのです。そして、完成するのは黙示録19:8の時であろうと考えています。人(アダム)の創造にあたって、神様は肉体を造られ、そこに霊を吹き入れ、その結果、人は生きる魂になったのですから(創世記2:7・KJV参照)。{アダムの霊は、人の霊であったと思います(ゼカリヤ12:1)}
キリスト者は、御霊から霊の誕生をし、キリストの空中再臨の時に霊の体を与えられ、黙示録19:8で完成されるのではないだろうか、と私は想像しています。

 パウロは、1コリント6:19.20で、「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(新共同訳)と述べました。
キリスト者の霊魂体を、幕屋の構造を用いて語るとすると、至聖所に喩えられる霊は御霊から聖い誕生をしたけれども、聖所に喩えられる魂や外庭に喩えられる体(特に脳)はまだ整えられる必要があるので、御霊によって整えられて神の栄光を現わしなさい、ということになるのかな、と思います。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
ヘブル6:1に「成熟を目ざして進もうではありませんか」(新改訳)、「完成を目ざして進もうではないか」(口語訳)とあります。
日々主に導かれて、成熟を目指して、完成を目指して、進みゆかせてください。
主イエス・キリスト様の御名によってお祈りします。アーメン

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コメント

天使は天の使いで、神様の使いは御子、または聖霊という事でしょうか。天=御父ではないといった感じで捉えようかな?と思います。
2-5の新改訳版を記載してくださった後〝主なる神様は、。〟となっていました。
また、初次的聖化の根本はイエス・キリストを信じない魂を信じる魂に変えてくださったことであろうと思います。と書かれてました〝初次的〟というのは、初まりはという意味なのでしょうか?すみません、知識が無さすぎまして。

うっかりミスを教えてくださりありがとうございました。
早速直しておきました。
神のひとり子の御子が、「神の使い」と言われるとき、それは父親の名代という感じで捉えたら良いのではないかと思います。
一方、被造物である天使(天の使い)は、まさしく神の用事を果たしてくる下僕という感じになると思います。
「初次的聖化」についてですが、
まず「聖」というのは、元来、「ある二者の間に分離がある状態」を指しています。
また、「聖」が「神の属性」として用いられる時には、神がすべての被造物から隔絶していることや悪や罪からも全く分離していることを指しています。
堕罪したアダムの子孫である人間は、元来、人の属性の中に「聖性」を持っていません。
罪をもって生まれてきたのですから。
主が私たちに初めにしてくださる実質的な聖は、イエス様を信じないというあり様から、イエス様を信じるというあり様に変えてくださったことです。→ヨハネ16:8.9参照
もう少し詳しく書きたのですが、今日は時間が取れないので失礼します。

うっかりミスは、私は日常茶飯事なので、伝える時にとても戸惑います。いつも寛容に応えて頂き感謝します。
聖性の語源化については、まだもう少し学んでゆきたいと思います。
ありがとうございました。

「キリスト者に与えられた恵みの8-11」(11/28-12/1)をもう一度じっくり読んでみてください。
「聖」について、さらなる知見が得られます。

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