« レビ記15章 男性器、女性器から出るものに対する対処 | トップページ | レビ記16:3-14 贖罪の日についての教え2 »

2017年9月18日 (月)

レビ記16:1.2 贖罪の日についての教え1

“16:1 アロンの二人の息子が主の御前に近づいて死を招いた事件の直後、主はモーセに仰せになった。
16:2 主はモーセに言われた。あなたの兄アロンに告げなさい。決められた時以外に、垂れ幕の奥の至聖所に入り、契約の箱の上にある贖いの座〔贖いのふた(新改訳)、贖罪所(口語訳)〕に近づいて、死を招かないように。わたしは贖いの座〔贖いのふた(新改訳)、贖罪所(口語訳)〕の上に、雲のうちに〔雲の中にあって(口語訳)〕現れるからである。”(新共同訳)

 この聖句から、①定められた日時以外に至聖所に入ると、ヤハウェ(主)に殺されるということ、
②ヤハウェ(主)は、契約の箱の上にある贖いの蓋の上に雲の中に在って現れてくださるということです。
至聖所に入れるのは大祭司のみでした。至聖所は神が臨在される場所です。

 話は変わりますが、イエス様が十字架上で贖いを成し遂げられたことによって、聖所と至聖所の隔ての幕は、上から下へと人手によらずに裂けたのです。
マタイ27:50.51には、「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。」(新改訳)と記されています。
旧約の時代が終わったのです。
誰でも、イエス・キリスト様によって御父の御前に出ることが出来るようになったのです。
しかし誰も主イエスさまによらなければ至高なる神であられるヤハウェ(主)の前には出れません。
イエス様は、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6・口語訳)と語られました。

繰り返しますが、誰でも、イエス・キリスト様によって御父の御前に出ることが出来るようになったのです。
キリスト者は、だれでも、自分の言葉で、イエス・キリスト様の名で、御父に祈ることが出来るようになりました。
ヨハネ14:13.14には、「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。わたしの名によって何かを願うならば、わたしがかなえてあげよう。」(新共同訳)とあります。
「わたしの名によって」は、<ギ>"εν τω ονοματι μου"で、英語では、"in my name"(KJV)です。ギリシャ語を直訳すると、「私のその名の中で」となります。
主イエス様の贖いによって、イエス様の名の中で祈ることが可能となったのです。これは至聖所の中の祈りです。旧約の時代、金の香壇は聖所の中に置かれていました(出エジプト40:1-5)。新約の時代は、金の香壇は至聖所の中に置かれているのです(ヘブル9:3.4)。香は祈りを表しています(黙示録5:8)。幕屋と人とを対比すると、至聖所は霊、聖所は魂、庭は体です。旧約の時代は聖所で香が焚かれました。新約の時代は香(祈り)は至聖所(霊)で祈ることが可能となったのです。それは、私たちの霊は御霊から生まれた霊だからです(ヨハネ3:6)。御霊は「聖」であり、御霊から生まれた霊も「聖」です。その霊の中に三一の神が常住されたのです(ヨハネ14:23.16)。1コリント6:17は、「主に結び付く者は主と一つの霊となるのです。」(新共同訳)と述べています。
新生させて頂いた私たちは、大きな声で祈らなくても、黙祷でも霊の中で祈ればヤハウェ(主)と直結しているのです。イエス様がバプテスマを受けられた直後、天は裂けたのです(マルコ1:9.10)。そして神の国(神聖な霊の国)がこの世に入って来たのです(ルカ11:20、17:21)。私たちの霊はキリストと共に天の座に着いているのです(エペソ2:6)。私たちキリスト者は何という驚くべき恵みを与えられていることでしょうか。
天にまします我らの父よ、と祈り始めますが、天の父は天におられますが、キリスト者の霊の内にもおられるのです(ヨハネ14:23)。私たちにとって大切なことは、霊の人(1コリント2:6-3:3)としての歩みをすることです。イエス様は目を天に向けて祈りました(ヨハネ17:1)。しかしそれと共に、「わたしと父とは一つです」(ヨハネ10:30)とも語られたのです。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
ハレルヤ!と百万遍も言いたい気持ちです。
霊の中でいつもあなたと交わりを持ちながら歩ませて頂ける恵みを感謝します。
魂が全くつくり変えられて霊の人としての歩みを常にしていくことが出来ますよう祝福してください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン
・・・・・・・・・・・・・・・
*(ヨハネ3:6)「霊から生まれたものは霊である。」(新共同訳)
*(ヨハネ14:23.16)「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。/父は別の弁護者〔助け主(新改訳)、真理の御霊(17・新改訳)、聖霊(26・聖霊)〕を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
*(エペソ2:6)「キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。」(口語訳)

« レビ記15章 男性器、女性器から出るものに対する対処 | トップページ | レビ記16:3-14 贖罪の日についての教え2 »

聖化」カテゴリの記事

レビ記」カテゴリの記事

コメント

旧約の時代があっだからこそでもあるのですよね。御父がお定になった事は絶対であるということも頭の中に入れます。
イエス様に感謝します。

アーメン。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« レビ記15章 男性器、女性器から出るものに対する対処 | トップページ | レビ記16:3-14 贖罪の日についての教え2 »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ