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2017年10月15日 (日)

レビ記27章 誓願のささげもの(付加:キリスト者の特権)

 「誓願のささげもの」の「誓願」{(ヘ)ネデル}とは、「その願いがかなった場合に何をささげるかを明言したうえで、神に願いをかけること」(岩波訳聖書注解)です。
現代でも、旧約時代の誓願のささげものとは異なりますが、同じ趣旨をもって願いの祈りを捧げる人はいます。
私は、この章に関して何かを書くことはやめます。その理由は、自分が、ある願いを主に願う場合に、「願いが叶ったら、これこれを捧げます。」という祈りをしないからです。勿論、日々願いの祈りをしますが、それがかなった場合には、感謝の祈りを献げたり、場合によっては感謝の献金をします。しかし、願いが叶わなくても、祈れることを感謝します。私は、ヤハウェ(主)が与えてくださった約束が余りにも大いなるものでありますから、与えてくださった約束を自分のものとして体験させていただくだけで大感謝です。主が約束してくださったおことばでも、信仰がそのレベルまで行かないために(信仰が与えられていないためにor信仰を受け取っていないために)実現していないみことばもあります。

 <キリスト者の特権>
 *神の子どもであること。
(ヨハネ1:12)「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(新改訳)
そのわけは、「霊〔御霊(新改訳)〕から生まれたものは霊である。」(ヨハネ3:6・口語訳、新共同訳)とあります。
ヨハネ3:6の内容は、ヨハネ1:13にも出てきます。
ヨハネ1:12.13の聖句を抜粋して記すと、「この方〔イエス・キリスト(筆者挿入)〕を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、・・・、ただ、神によって〔(ギ)「エク」:~から{筆者挿入}〕生まれたのである。」(新改訳)となります。
ただし、キリストの空中再臨迄は、キリスト者の体は旧来のアダムからのものであり、地の塵(地球にある種々の原子)から造られたものです。ですから、神の子どもとして決して死ぬことはないと言われている(ヨハネ11:26)のは、現段階では、新生された「霊」について適用されます。肉体は、キリストの空中再臨の時に霊の体に変えられるからです(1テサロニケ4:16.17、1コリント15:52、コロサイ3:4)。ローマ8:19では、キリスト者が霊の体に変えられる時を「神の子たちの出現」(口語訳)と表現しています。
肉体の変貌は、聖霊がなさるのであろうと思います。ローマ8:11に、「もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださる〔復活させてくださる(リビングバイブル)〕のです。」(新改訳)とありますから。
キリストの空中再臨の時まで地上の肉体をもって生き残っている人の場合は、「変えられる」のです。その前に肉体が死んだキリスト者(霊は生きています)は体を復活させてもらうのです(勿論霊の体としてです)。
 *キリストの花嫁であること
教会〔{(ギ)「エクレシア」=呼び出された者たち}:キリスト者の総体(筆者挿入)〕はキリストの花嫁です。パウロは、エペソ5:22-32において、キリストが花婿であり、教会が花嫁であることは奥義であると述べています。パウロは、「私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。」(2コリント11:2・新改訳)とも述べています。
花婿であるキリストと花嫁である教会(エクレシア)の結婚式と披露宴は、キリストの地上再臨直前にもたれるようです(黙示録19:6-9)。しかし、現在、個々人のキリスト者において、新生されたキリスト者の霊においては、キリストと結ばれているのです(ローマ8:9、1コリント6:17)。即ち結婚状態です{参照(マタイ19:5.6)}。
 *キリストのうちにあるものを信仰によって引き出すことが出来ます。また、御心にかなう願いであればその願いは聞いていただけます(1ヨハネ5:19)
とはいってもその信仰が与えられればの話です。
コロサイ2:9.10には、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。そしてあなたがたは、キリストにあって、満ち満ちているのです。」(新改訳)と記されています。
マルコ11:22-24には、「神を信じなさい〔KJV訳では「神の信仰を持ちなさい」〕。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(新改訳)というイエス様のおことばがあります。
また一方では、「だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」(ローマ12:3・新改訳)というおことばもあります。
主が語ってくださったおことば(レーマ)は実現します。イザヤ55:11には、「わたし〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の口から出るわたしのことばも(は)、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(新改訳)とあります。
私たちキリスト者に対しての約束はたくさんありますが、私自身の今日の時間配分の都合でここまでとします。
 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。あなたを「天のお父様」、「父よ」、「アッバ」(お父ちゃん、パパ)と呼べるようにしてくださいましたことを感謝します。
また、霊においては、イエス様と結ばれていますことを感謝します。
あなたは「全き愛」のお方です。その愛をもって私たち子供を愛してくださっておられますからありがとうございます。
たましいも、イエス様を信じさせて頂いたときに救われています(1ペテロ1:9)が、魂が更に造りかえられて、即ちきよめられて、思い、感情、意志があなたのみ旨と一致していくことが出来ますよう祝福してください。
地上に置かれている間も、神の子ども、キリストの花嫁としてふさわしい歩みをさせて頂くことが出来ますように。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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コメント

〝願いが叶ったら、これこれを捧げます〟
交換条件を出さなくて良いという事を初めて聞いた時、目から鱗という様な感じでした。
その以前は、何時も交換条件を出されていて、腑に落ちない事が多々あったからです。腑に落ちていたら、イエス様を信じていなかったかもしれないです。
神様に祈り続けている中、ふと〝叶わないかも〟とか〝もしかしたら〟という様な感覚を持ち始めた時がありました。すると、サタンの誘惑なのか?とても不安定な状態に陥りました。マルコ11:22-24の御言葉を信じながら、ローマ12:3の御言葉も気に留めつつですね。
そして何よりも、主が何時も正してくださり、与えてくださっていることに感謝します。

感謝が増えてきてよいですね。
すべての事に感謝できますように、と私自身も心がけるようにしています。

成長をさせてもらえているという事ですね。
私はまだまだなのですが、全てに感謝する事ができる様になってゆきたいと思います。

成長をさせてもらえているという事ですね。
私はまだまだなのですが、全てに感謝する事ができる様になってゆきたいと思います。

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