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2018年4月17日 (火)

申命記28:1.2.15 ヤハウェ(主)からイスラエルに臨む祝福と呪い(キリスト者は祝福されている)

28:1もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行うならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。
28:2
もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。
28:15
しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わないならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。”(口語訳1955

 岩波訳は、1.2.15節を、「1.2あなたが、あなたの神ヤハウェの声に忠実に聞き従い、今日私があなたに命じるそのすべての戒めを守り行うなら、あなたの神ヤハウェはあなたをこの地のすべての国民の上に高くあげるだろう。これらのすべての祝福があなたに到来し、あなたに臨むであろう。それは、あなたがあなたの神ヤハウェの声に聞き従うからである。/15 しかし、もしあなたがあなたの神ヤハウェの声に聞き従わず、今日私があなたに命じるすべての戒めと掟を守り行わないなら、これらすべての呪いがあなたに到来し、あなたに臨むであろう。」と訳しています。

 一言で言えば、イスラエルが律法を守れば、イスラエルに、ヤハウェ(主)から、もろもろの祝福が与えられ、イスラエルが律法を守らなければ、イスラエルに、ヤハウェ(主)からもろもろの呪いが与えられる、というものです。

 イスラエルは、ヤハウェ(主)なる神様が律法(戒めと掟)を提示したとき、律法を守り行います、という契約を、ヤハウェなる神様と結んでいました。それは、出エジプト201-248に記されています。

 私たちが現在所有している聖書は、旧約聖書と新約聖書の両方から構成されています。
かつてイスラエルとヤハウェ(主)なる神様の間で結ばれた契約を旧契約(旧約)と言います。
一方、私たちキリスト者は、主なる神様と新契約(新約)を結んだ者たちなのです。
新契約とは、イエス様が、「あなたがたの為に流される私の血による新しい契約です。」(ルカ2220)と語られたことに基づきます。
パウロは、福音について、「どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、・・・略・・・です。(1コリント152-5・新共同訳)と述べています。
また、パウロは、エペソ人への手紙で、「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物〔ギフト(筆者挿入)〕である。」(28・口語訳)と述べています。
「恵み」と「報酬」は異なります。報酬は、働きに対する対価です。一方、「神の恵み」は、神様の慈愛に基づく神様からの贈り物です。
イエス様の十字架と復活は、私たち信じる者にとって(信仰も贈り物です)途轍もなく素晴らしい恵みでした。イエス・キリスト様の血には罪を赦し、きよめる力があるのです(ヘブル922、エペソ171ヨハネ17)。イエス様を信じた者は、イエス様に結び付けられました。それ故、イエス様の復活とも結びあわされたのです。イエス様を信じた人は、イエス様を信じた瞬間に、御霊から霊の誕生をしたのです(ヨハネ36)。そして、キリストの空中再臨の時に霊のからだに復活するか、変えられます。キリストの空中再臨前に肉体が死んだ(霊は永遠に主と共に生きていますが、肉体は土葬されたので「眠っている」と表現されます)人は、キリストの空中再臨時に、霊のからだに復活し、キリストの空中再臨時に、地上の肉体をもって生きている人は、霊の体に変えられるのです(1コリント1520-23.51-531テサロニケ413-17)。父なる神様は、イエス様を信じた者に、天にあるすべての霊的祝福を与えて下さったのです(エペソ13)。信仰がなければ荒唐無稽ですが、信じる者は体験するのです。

 旧契約に基づく祝福は、律法に聞き従うことにより与えられたのでしたが、新契約に基づく祝福は、イエス様を信じること(イエス様を心にお迎えすること)により与えられる途轍(途方)もない祝福なのです。行いによる祝福ではなく、イエス様を信じる即ち心にお迎えすること(ヨハネ112、黙示録320)に基づく祝福なのです。
キリスト者は、
イエス様を信じることによって、罪を赦された者であり、同時に、新生した者(御霊から新しく生まれた霊を持つ者)であり、キリスト者の行いは、その結果ついてくるものなのです。行いによって救われるのではありません。イエス様を信じたものには聖霊(御霊)が与えられる(ヨハネ1416.17)ので、主のみ旨を行うことができるように造りかえられていくのです(2コリント318)。御霊の実を実らせるようになるのです。「・・御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」(ガラテヤ522.23・新改訳2017)。愛があるなら福音のために働くこともします。愛があるなら自分だけよければそれで充分、とはなりません。主に対する愛があるなら、主が、~しなさい、と言われたことをするでしょう。但し、主のご命令は肉の力ですることの出来るものではありません。御霊によるのです。
エペソ28-10には、
2:8 あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
2:9
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。
2:10
わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである〔created
in Christ Jesus
NKJV)〕。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。”(口語訳)と記されています。

 
<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
私たちキリスト者は、既に祝福されている者であることを感謝します。
もしサタンにごまかされている人がいましたら、助けてあげて下さい。
限りない感謝をもって主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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コメント

福音について、無駄になってしまう所でした。
最も大切なことを、置き去りにしてしまっていました。
私達の主であるイエス様はわたしたちの罪のために死んでくださった事、葬られた事、三日目に復活した事。
目の前の事にばかり目が行きすぎていた事に気付かされました。

良かったですね。

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