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2020年9月28日 (月)

1サムエル記19章 ヨナタンのとりなし/サウルから逃げるダビデ/ダビデを守られる主

 1節aには「サウルは、ダビデを殺すと、息子ヨナタンやすべての家来に告げた。」(新改訳2017)とあります。

 サウルは、これまでもダビデを亡き者にしたいと思っていましたが、いよいよそれを息子ヨナタンやすべての家来に公言しました。

 1節bには「しかし、サウルの息子ヨナタンはダビデを非常に愛していた。」(新改訳2017)と記されています。

 ダビデを非常に愛していたヨナタンは、サウルの言葉を聞いて何をしたのでしょうか?
ヨナタンの愛の行動とその結果は2-7節に次のように記されています。
“2 ヨナタンはダビデに告げた。「父サウルは、あなたを殺そうとしています。明日の朝は注意してください。隠れ場にとどまり、身を隠していてください。3 私はあなたのいる野に出て行って、父のそばに立ち、あなたのことを父に話します。何か分かったら、あなたに知らせます。」
4 ヨナタンはダビデを弁護し、父サウルに言った。「王よ、しもべダビデのことで罪を犯さないでください。彼はあなたに対して罪を犯してはいません。むしろ、彼のしたことは、あなたにとって大きな益となっています。5 彼が自分のいのちをかけてペリシテ人を討ったので、主は大きな勝利をイスラエル全体にもたらしてくださったのです。あなたはそれを見て喜ばれました。なぜ、何の理由もなくダビデを殺し、咎のない者の血を流して、罪ある者となられるのですか。」6 サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「主は生きておられる。あれは殺されることはない。」
7 ヨナタンはダビデを呼んで、このことすべてを告げた。ヨナタンがダビデをサウルのところに連れて来たので、ダビデは以前のようにサウルに仕えることになった。”(2017)とあります。

 ヨナタンのとりなしによって、ダビデはサウルによる殺害から逃れ再びサウルに仕えるようになりました。
6節には、“ サウルはヨナタンの言うことを聞き入れた。サウルは誓った。「主は生きておられる。あれは殺されることはない。」”(2017)とあります。
サウルに悪しき霊が臨んでいないときには、サウルはいまだに結構素直です。

 8節には「再び戦いが起こった。ダビデは出て行って、ペリシテ人と戦い、彼らを討って大損害を与えた。彼らはダビデの前から逃げた。」(新改訳2017)とあります。

 ペリシテ人との戦いが再び起こり、ダビデがペリシテ人との戦いで勝利すると、サウルは、再び被害妄想に襲われたようです。ダビデの勝利を主に感謝し、ダビデをねぎらうのではなく、ダビデを恐れたのです。

 その結果サウルはどのようになったでしょうか?
9節aには「わざわいをもたらす、主の霊がサウルに臨んだ。」(新改訳2017)と記されています。

 これは、サウルを苦しめることを許可されている悪しき霊がサウルに臨んだということであると思います(ヤコブ1:13・ヨブ1章参照)。

 悪しき霊に憑かれたサウルが何をし、ダビデがそれに対してどのように対応したかについて、9節b.10節には次のように記されています。
「サウルは自分の家で座っていて、手には槍を持っていた。ダビデは竪琴を手にして弾いていた。10 サウルは槍でダビデを壁に突き刺そうとした。ダビデがサウルから身を避けたので、サウルは槍を壁に打ちつけた。ダビデは逃げ、その夜は難を逃れた。」(新改訳2017)とあります。

 サウルの殺害行動から逃れたダビデに、サウルは刺客を差し向けました。サウルの娘でありダビデの妻であるミカルは、ダビデの危機を察知し、ダビデを逃がしました。その経緯は、11-16節に次のように記されています。
“11 サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝に彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げた。「今夜、自分のいのちを救わなければ、明日、あなたは殺されてしまいます。」
12 そして、ミカルはダビデを窓から降ろし、彼は逃げて難を逃れた。
13 ミカルはテラフィムを取って、寝床の上に置き、やぎの毛で編んだものを頭のところに置き、それを衣服でおおった。
14 サウルはダビデを捕らえようと、使者たちを遣わした。ミカルは「あの人は病気です」と言った。15 サウルはダビデを見定めるために、同じ使者たちを遣わして言った。「あれを寝床のまま、私のところに連れて来い。あれを殺すのだ。」16 使者たちが入って見ると、なんと、テラフィムが寝床にあり、やぎの毛で編んだものが頭のところにあった。
17 サウルはミカルに言った。「なぜ、このようにして私をだまし、私の敵を逃がして、逃れさせたのか。」ミカルはサウルに言った。「あの人が、『逃がしてくれ。私がどうしておまえを殺せるだろうか』と私に言ったのです。」”(2017)とあります。


 18.19節には、“18 ダビデは逃げて、難を逃れ、ラマのサムエルのところに来た。そしてサウルが自分にしたこと一切をサムエルに告げた。彼とサムエルは、ナヨテに行って住んだ。
19 するとサウルに「ダビデは、なんとラマのナヨテにいます」という知らせがあった。”(2017)とあります。

 ダビデは、サウルの追手から逃れ、ラマのサムエルのところに行き、サウルが自分にしたことの一切をサムエルに話しました。
ダビデの話を聞いたサムエルは、ダビデを連れ、ナヨテに行って住みました。ナヨテには、サムエルが監督する預言者集団の共同宿舎があったのです。

 しかし、ダビデがサムエルと一緒にラマのナヨテにいるのを見た者がいたのです。ダビデの居場所を知った者がサウルにダビデの居場所を密告しました。そこでサウルは、ダビデを捕らえる者たちを遣わしました。その結果はどのようになったでしょうか?

 20‐24節には次のように記されています。
“20 サウルはダビデを捕らえようと、使者たちを遣わした。
彼らは〔サウルから遣わされた使者たちは(筆者挿入)〕、預言者の一団が預言し、サムエルがその監督をする者として立っているのを見た。神の霊がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。
21 このことをサウルに告げる者がいたので、彼はほかの使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。サウルはさらに三度目の使者たちを遣わしたが、彼らもまた、預言した。
22 サウル自身もラマに来た。彼はセクにある大きな井戸まで来て、「サムエルとダビデはどこにいるか」と尋ねた。すると、「今、ラマのナヨテにいます」という答えが返ってきた。
23 サウルはそこへ、ラマのナヨテへ出て行った。彼にも神の霊が臨んだので、彼は預言しながら歩いて、ラマのナヨテまで来た。24 彼もまた衣類を脱ぎ、サムエルの前で預言し、一昼夜、裸のまま倒れていた。このために、「サウルも預言者の一人なのか」と言われるようになった。”(2017)とあります。

 ダビデを捕らえるためにサウルに遣わされた使者たちは、その人たちに神の霊が臨んで、何かをしゃべりだしたのです。
20節には「神の霊〔主の霊ではありません(筆者挿入)〕がサウルの使者たちに臨み、彼らもまた、預言した。」と記されています。
「預言する」と訳されている語の原語は「ナーバー」で、預言する、(インスピレーションによって)話すor歌う、等の意(Strong辞書参照)があり、更には、偽予言者が支離滅裂にわけの分からないこと言う場合、主なる神からではない予言を語る場合にも用いられている語、それがナーバーです。エレミヤ27:15に「わたしは彼らを遣わさなかったのに──主のことば──彼らはわたしの名によって偽りを預言している。わたしがあなたがたを追い散らし、あなたがたも、あなたがたに預言している預言者たちも、滅びることになるのだ。」(新改訳2017)とありますが、この聖句の中の偽予言者の「預言する」と訳されている語の原語も「ナーバー」です。

 さて、サウルはダビデを捕まえるために、第二段、第三段の使者たちをつかわしました。しかしその者たちにも主の霊が臨んで「ナーバー」し、最後には直接サウルが やってきましたが、サウルも「ナーバー」したのです。サウルに至っては、サムエルの前で王服を脱いで(王を止めさせられた表象だと思います)「ナーバー」し、恐らく訳の分からないことをぶつぶつ言い、一昼夜、裸のまま倒れていたのです(死の表象だと思います)。
「預言する」と言うと、主のお言葉を預かって、それを話すこと、だけであると捉えがちですが、原語の「ナーバー」は、偽予言者が、悪霊によってor自分の思いのままに預言する場合についても使われるのです。

 話は変わりますが、2列王記1章に、
“9 そこでアハズヤは、五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長がエリヤのところに上って行くと、そのとき、エリヤは山の頂に座っていた。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王のお告げです。下りて来てください。」
10 エリヤはその五十人隊の長に答えて言った。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。
11 王はまた、もう一人の五十人隊の長を、その部下五十人とともにエリヤのところに遣わした。隊長はエリヤに言った。「神の人よ、王がこう言われます。急いで下りて来てください。」
12 エリヤは彼らに答えた。「私が神の人であるなら、天から火が下って来て、あなたとあなたの部下五十人を焼き尽くすだろう。」すると、天から神の火が下って来て、彼とその部下五十人を焼き尽くした。
13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。
この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ、どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちをお助けください。14 ご承知のように、天から火が下って来て、先の二人の五十人隊の長とそれぞれの部下五十人を、焼き尽くしてしまいました。今、私のいのちをお助けください。」
15 主の使いがエリヤに「彼と一緒に下って行け。彼を恐れてはならない」と言ったので、エリヤは立って、彼と一緒に王のところに下って行き、”(2017)という記事あります。

 この箇所では、エリヤを捕らえに来た第一団、第二団の兵たちは天からの火で焼き尽くされました。

 話を元に戻します。
1サムエル19章では、サウルに使われた使者たちは、殺されずにすみました。サウルに遣わされた第一団、第二団、第三団の使者たち及びサウル本人は、気が狂ったかのようにぶつぶつ言い、挙句の果てサウルに至っては倒れ込んでしましましたが、死にませんでした。
1サムエル19章に関連した詩をダビデは残しています。詩篇59篇です。その表題には“指揮者のために。「滅ぼすな」の調べで。ダビデによる。ミクタム。ダビデを殺そうとサウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに。”(2017)とあります。その中の11節には「彼らを殺してしまわないでください。私の民が忘れることのないように。御力によって彼らをさまよわせてください。彼らを打ち倒してください。主よ私たちの盾よ。」(2017)と記されています。主は、ダビデの祈りを聞いてくださったのではないかと思います。
サウルが一昼夜、裸のまま倒れていたとき、ダビデはゆとりをもってサウルを殺すことが出来ましたが、ダビデはサウルを殺しませんでした。

 サウルに対するダビデの態度は、1サムエル24章に次のように記されています。
“1 サウルがペリシテ人を追うのをやめて帰って来たとき、「ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいます」と言って、彼に告げる者がいた。2 サウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭を選り抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。3 道の傍らにある羊の群れの囲い場に来ると、そこに洞穴があった。サウルは用をたすために中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、その洞穴の奥の方に座っていた。4 ダビデの部下はダビデに言った。「今日こそ、主があなた様に、『見よ、わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたの良いと思うようにせよ』と言われた、その日です。」ダビデは立ち上がり、サウルの上着の裾を、こっそり切り取った。5 後になってダビデは、サウルの上着の裾を切り取ったことについて心を痛めた。6 彼は部下に言った。「私が主に逆らって、主に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主に油注がれた方なのだから。」7 ダビデはこのことで部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。”(2017)とあります。

 ダビデは、サウルが主に油を注がれた者であるからということで、サウルに関しては、主の主権に服し委ねていたのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
主は、、主のみ旨の中では既にサウルを退け、これらの事の前に、ダビデに油を注ぎました。
そして、サウルが幾度もダビデを殺そうとしても、あなたはダビデを守られました。
あなたが始められた御業は、あなたが完成なさることを覚え、御名を崇めて賛美します。
私たちは、如何なる時にもあなたの御言葉に従って歩む者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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コメント

表題が〝ダビデを守られっる主〟と、可愛らしい感じになっています。
18節辺り〝ダビデの話を聞いたサウルは、ダビデを連れ、ナヨテに行って住みました。〟サウルはサムエルかな?と思いました。
もう1点。ナーバーのご丁寧な説明の中の〝さて、サウルはダビデを捕まえるために、第二段、第三段の使者たちを遣わしましたが、〟と書かれておりました。
15節を以前学んだ際には、ダビデとサウルが逆に捉えておりましたので「あれを寝床のまま、私のところに連れて来い。あれを殺すのだ。」と記されていても、ダビデは軽いのかな?と流してましたが、今回はダビデが恰幅良い事が記してあるのを知ったので、サウルの執念と言いましょうか…?悪しき霊の働きは凄まじいものがあると思いました。
ダビデは神様のお導きのままに動いている様な感じを受けました。やはり主への信仰の賜物なのだと思いました。

いくつも見つけてくださり感謝します。
早速直しておきました。

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