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2020年9月30日 (水)

1サムエル20:24-42 ダビデとヨナタンの別れ

 新月祭一日目のことが、24-26節に次のように記されています。
“24 ダビデは野に隠れた。
新月祭になって、王は食事の席に着いた。25 王は、いつものように自分の席、つまり壁寄りの席に着いた。ヨナタンはその向かい側、アブネルはサウルの横の席に着いたが、ダビデの席は空いていた。26 しかし、その日、サウルは何も言わなかった。「思わぬことが起こって身を汚したのだろう。きっと汚れているためだろう」と思ったからであった。”(2017)とあります。

 ダビデがヨナタンに願った通り(1サムエル20:5)ダビデは新月祭にサウルの食卓には着かず野に隠れました。
新月祭の1日目、ダビデの欠席にもかかわらずサウルは穏やかでした。

 新月祭二日目のことが、27-34節に次のように記されています。
“27 しかし、その翌日、新月祭の二日目にも、ダビデの席は空いていた。サウルは息子のヨナタンに言った。「どうしてエッサイの子は、昨日も今日も食事に来なかったのか。」
28 ヨナタンはサウルに答えた。「ベツレヘムへ行かせてくれと、ダビデが私にしきりに頼みました。29 『どうか、私を行かせてください。氏族の祝宴がその町であります。長兄が命じているのです。今、あなたのご好意を得ているなら、どうか私を行かせて、兄弟たちに会わせてください』と言ったのです。それで彼は王の食卓に来ていないのです。」
30 サウルはヨナタンに怒りを燃やして言った。「この邪悪な気まぐれ女の息子め。おまえがエッサイの子に肩入れし、自分を辱め、母親の裸の恥をさらしているのを、この私が知らないとでも思っているのか。〔サウルはヨナタンに激怒して言った。「心の曲がった不実な女の息子よ。お前がエッサイの子をひいきにして自分を辱め、自分の母親の恥をさらしているのを、このわたしが知らないとでも思っているのか。(新共同訳)〕
31 エッサイの子がこの地上に生きているかぎり、おまえも、おまえの王位も確立されないのだ。今、人を遣わして、あれを私のところに連れて来い。あれは死に値する。」32 ヨナタンは父サウルに答えて言った。「なぜ、彼は殺されなければならないのですか。何をしたというのですか。」
33 すると、サウルは槍をヨナタンに投げつけて撃ち殺そうとした。それでヨナタンは、父がダビデを殺そうと決心しているのを知った。
34 ヨナタンは怒りに燃えて食卓から立ち上がり、新月祭の二日目には食事をとらなかった。父がダビデを侮辱したので、ダビデのために悲しんだからである。”(2017)とあります。

 新月祭の2日目にも、ダビデがサウルの食卓についていないので、サウルは甚だ不審に思いました。サウルは心の中で、ダビデが、サウルに対して反逆の準備をしているのではないかと考えたのではないかと思います。ですからサウルが、28.29節のヨナタンの言葉を聞いたとき、サウルは、ヨナタンがまんまと騙され利用されているのではないか、或いは、ヨナタンがダビデを愛しダビデに入れ込みサウルに敵対していると考えたのかも知れません。30節によると、ヨナタンがダビデに肩入れし、というように記されています。

 31節前半には「エッサイの子〔ダビデ(筆者挿入)〕がこの地上に生きているかぎり、おまえ〔ヨナタン(筆者挿入)〕も、おまえの王位も確立されないのだ。」とあり、サウルは次の王がダビデであることを認識していました。
しかしサウルは息子ヨナタンを愛し、ヨナタンに王位をゆずりたかったのです。

 サウルがヨナタンに「人を遣わして、あれを私のところに連れて来い。あれは死に値する。」(31節後半)と言った時、ヨナタンはサウルに「なぜ、彼は殺されなければならないのですか。何をしたというのですか。」と答えました。

 サウルは、自分は息子ヨナタンを愛しているのに、息子ヨナタンは父であるサウルを愛さずダビデの肩を持っている、と思ったのではないかと想像します。サウルは息子にも反逆されていると感じたのでしょう。サウルは激怒し、ヨナタンに槍を投げてヨナタンを殺そうとしたのです(33)。かわいさ余って憎さ百倍というところでしょうか。
サウルのこの行為によって、ヨナタンは、サウルがダビデを殺そうとしていることを悟ったのです。

 35-40節には次のように記されています。
“35 朝になると、ヨナタンは小さい子どもを連れて、ダビデと打ち合わせた時刻に野に出て行った。
36 そして子どもに言った。「走って行って、私が射る矢を見つけておいで。」子どもが走って行くと、ヨナタンは、その子の向こうに矢を放った。37 子どもがヨナタンの放った矢のところまで行くと、ヨナタンは子どものうしろから叫んだ。「矢は、おまえより、もっと向こうではないか。」38 ヨナタンは子どものうしろから、また叫んだ。「早く。急げ。立ち止まってはいけない。」その子どもは矢を拾って、主人ヨナタンのところに来た。
39 子どもは何も知らず、ヨナタンとダビデだけに、その意味が分かっていた。
40 ヨナタンは自分の弓矢を子どもに渡し、「さあ、これを町に持って行っておくれ」と言った。”(2017)とあります。

 新月祭の前日にヨナタンがダビデに約束した方法(1サムエル20:18-23)で、ヨナタンはダビデに、サウルがダビデを敵として見ていることを知らせたのです。

 41.42節は次のように記されています。
“41 子どもが行くと、ダビデは南側から出て来て地にひれ伏し、三度礼をした。二人は口づけし、抱き合って泣いた。ダビデはいっそう激しく泣いた。
42 ヨナタンはダビデに言った。「安心して行ってください。私たち二人は、『主が、私とあなた、また、私の子孫とあなたの子孫との間の永遠の証人です』と言って、主の御名によって誓ったのです。」
そして、ダビデは立ち去った。ヨナタンは町へ帰って行った。”(2017)とあります。

 ヨナタンのその後ですが、ヨナタンは、もう一度ダビデを励ましに行きます。
1サムエル23:15-18には、
“15 ダビデは、サウルが自分のいのちを狙って、戦いに出て来たのを見た。そのとき、ダビデはジフの荒野のホレシュにいた。16 サウルの息子ヨナタンは、ホレシュのダビデのところに行って、神によってダビデを力づけた。17 彼はダビデに言った。「恐れることはありません。父サウルの手が、あなたの身に及ぶことはないからです。あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。父サウルも、そうなることを確かに知っているのです。」18 二人は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前で契約を結んだ。ダビデはホレシュにとどまり、ヨナタンは自分の家に帰った。”(2017)と記されています。

 その後のヨナタンについての記述は、ペリシテ人との戦いでヨナタンがペリシテ人に殺された、という記事です。そして、サウルもペリシテ人との戦いで死ぬのです。
 1サムエル31:1-6には、
“1 さて、ペリシテ人はイスラエルと戦った。イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺されて倒れた。2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼を狙い撃ちにしたので、彼は射手たちのゆえにひどい傷を負った。4 サウルは道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、私を刺し殺してくれ。さもないと、あの無割礼の者たちがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶりものにするだろう。」しかし、道具持ちは非常に恐れて、とうていその気になれなかった。それでサウルは剣を取り、その上に倒れ込んだ。5 道具持ちは、サウルが死んだのを見ると、自分も剣の上に身を伏せて、サウルとともに死んだ。6 こうしてその日、サウルと三人の息子、道具持ち、それに彼の部下たちはみな、ともに死んだ。”(2017)と記されています。

 ヨナタンは、主に信頼する勇気のある愛の人でした。
ヨナタンは、イスラエルを愛し、ダビデを愛し、父サウルをも愛し、様々なごたごたの後にもサウルと共にイスラエルのために戦いに出、戦死したのです。

 ヨナタンは、ダビデに「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者となるでしょう。」(1サムエル23:17)と述べていますから、ヨナタンは、サウルの死後、ダビデが王になり、自分はダビデの将軍として主のために働こうと思っていたのでしょうが、主のみ旨は別のところにあったのです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
2テモテ4:7の「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」(2017)と語ったパウロのことばを思い起こします。
御父と我が主イエス様を愛し、走るべき道のりを走り終えることを得させてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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コメント

親子関係など、人の目に見える関係性ではなく、見えない絆の強さは、やはり神様がお与えになったものなのでしょうね。
ダビデとヨナタンの友情、信頼関係があるからこそ、できる契約でもあるのだと思いました。
主の御旨は知り得ないので18-23の合図の様に、危険や進捗状況を知らせてくれるといいな…と思ってしまう私は、まだまだ信仰が弱いという証拠ですね。

そのように思えることも恵みです。
ハレルヤ

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