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2020年9月20日 (日)

1サムエル14:24-46 断食の誓いとその結果

 24-30節には、
“24 さて、その日、イスラエル人はひどく苦しんでいた。サウルは、「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」と言って、兵たちに誓わせていた。それで兵たちはだれも食物を口にしていなかったのであった。25 この地はどこでも、森に入って行くと、地面に蜜があった。26 兵たちが森に入ると、なんと、蜜が滴っていたが、だれも手に付けて口に入れる者はいなかった。兵たちは誓いを恐れていたのである。27 しかし、ヨナタンは、父が兵たちに誓わせたことを聞いていなかった。彼は手にあった杖の先を伸ばして、蜜蜂の巣に浸し、それを手に付けて口に入れた。すると彼の目が輝いた。28 兵の一人がそれを見て言った。「あなたの父上は、兵たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵たちは疲れているのです。」29 ヨナタンは言った。「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。30 もしも今日、兵たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」”(新改訳2017)とあります。

 「夕方、私が敵に復讐するまで、食物を食べる者はのろわれよ」とサウルは兵士に誓わせました(24)。
これは、主のみ前に断食することを誓わせたのです。断食により主から祝福、ここでは戦いの勝利を得ようとしたのであろうと思います。

 兵士たちは断食の誓いをしましたから、密が滴っている場所にいたにもかかわらず、その蜜を口にする者はいませんでした。兵士たちは断食祈祷をしていたのではなく、断食して戦争をしていたのです。それ故、兵士たちはくたくたに疲れていました。
 一方、信仰によって、戦いの火ぶたを切り、この戦いを勝利に導いたヨナタンは、主のみ前におけるサウルと兵士たちの断食の誓いについては知りませんでした。断食の誓いを知らないヨナタンは蜜を食べてしまったのです。
 ヨナタンが蜜を食べているのを一人の兵士が見ていました。そしてその兵士は「あなたの父上は、兵士たちに堅く誓わせて、『今日、食物を食べる者はのろわれる』とおっしゃいました。それで兵士たちは疲れているのです。」(28)とヨナタンに言いました。それを聞いたヨナタンは「父はこの国を悩ませている。ほら、この蜜を少し口にしたので、私の目は輝いている。30 もしも今日、兵士たちが、自分たちが見つけた敵からの分捕り物を十分食べていたなら、今ごろは、もっと多くのペリシテ人を討ち取っていただろうに。」と言ったのです(29.30)。

ヨナタンは、サウル王が主に誓ったことを知らなかったとはいえ、イスラエルの王が主に誓ったことを破ってしまうという咎を犯したことになってしまったのです。(→37.42)

 脱線しますが、
イエス様は「・・、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。」(マタイ5:33.34・新共同訳)と語られました。

 サウルは断食を主に誓わなくても、主に信頼し続けていれば、それで勝利できたのです。

 ヨナタンは、主に信頼して主の戦いを戦い抜く、という信仰の持ち主であり、断食をしなければ勝たせてもらえない、という信仰のありようではありませんでした。

 この後の経過と結末はどのようになったのでしょう。31‐46節に、次のように記されています。
“31 その日彼らは、ミクマスからアヤロンに至るまでペリシテ人を討った。それで兵たちはたいへん疲れていた。32 兵たちは分捕り物に飛びかかり、羊、牛、若い牛を取り、その場で屠った。兵たちは血が付いたままで、それを食べた〔レビ17:12の違反(筆者挿入)〕。33 すると、「ご覧ください。兵たちが血のままで食べて、主に罪を犯しています」と、サウルに告げる者がいた。サウルは言った。「おまえたちは裏切った。今、大きな石を転がして来なさい。」34 そしてサウルは言った。「兵の中に散って行って、彼らに言いなさい。『それぞれ自分の牛か羊を私のところに連れて来て、ここで屠って食べなさい。血のままで食べて主に罪を犯してはならない。』」兵はみな、その夜〔夕方で断食の誓いは解かれています(筆者挿入)〕、それぞれ自分の手で牛を連れて来て、そこで屠った。35 サウルは主のために祭壇を築いた。これは、彼が主のために築いた最初の祭壇であった。
 36 サウルは言った。「夜、ペリシテ人を追って下り、明け方までに彼らからかすめ奪い、一人も残しておかないようにしよう。」すると兵は言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」37 サウルは神に伺った。「私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。
 38 サウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに近寄りなさい。今日、どうしてこの罪が起こったのかを確かめてみなさい。39 まことに、イスラエルを救う主は生きておられる。たとえ、それが私の息子ヨナタンであっても、必ず死ななければならない。」しかし、民のうちだれも彼に答える者はいなかった。40 サウルはすべてのイスラエル人たちに言った。「おまえたちは、こちら側にいなさい。私と息子ヨナタンは、あちら側にいることにしよう。」民はサウルに言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」41 サウルはイスラエルの神、主に「みこころをお示しください」と言った。すると、ヨナタンとサウルが取り分けられ、民は外れた。42 サウルは言った。「私か、私の息子ヨナタンかを決めてください。」するとヨナタンが取り分けられた。
 43 サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に話しなさい。」ヨナタンは彼に話した。「確かに、手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を口にしました。この私が死ななければなりません。」44 サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」
 45 民はサウルに言った。「この大勝利をイスラエルにもたらしたヨナタンが死ななければならないのですか。絶対にそんなことはあり得ません。主は生きておられます。あの方の髪の毛一本でも地に落ちてはなりません。今日、あの方は神とともにこれをなさったのです。」こうして民がヨナタンを救ったので、彼は死ななかった。46 サウルはペリシテ人を追うのをやめて引き揚げ、ペリシテ人は自分たちのところへ帰って行った。”(新改訳2017)とあります。

 37.38節に、“サウルは神に伺った。「37 私はペリシテ人を追って下って行くべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるのでしょうか。」しかしその日、神は彼にお答えにならなかった。38 サウルは言った。「民のかしらたちはみな、ここに近寄りなさい。今日、どうしてこの罪が起こったのかを確かめてみなさい。”とあります。
 サウルは、主が沈黙された原因は、レビ17:11.12の「実に、肉のいのちは血の中にある。わたしは、祭壇の上であなたがたのたましいのために宥めを行うよう、これをあなたがたに与えた。いのちとして宥めを行うのは血である。それゆえ、わたしはイスラエルの子らに言う。あなたがたはだれも血を食べてはならない。あなたがたの間に寄留している者も血を食べてはならない。」(新改訳2017)という律法の違反に違いないと思ったのではないかと想像します。

 しかし主が沈黙された原因は誓約に違反した罪であったのです。レビ17:12の違反の方はすぐに悔い改めています(34.35)。
主が沈黙された原因は誓約違反のほうで、恐らく「くじ」によってヨナタンが違反者であると判定されたのでしょう(39-42)。

  43.44節には、“43 サウルはヨナタンに言った。「何をしたのか、私に話しなさい。」ヨナタンは彼に話した。「確かに、手にあった杖の先で、少しばかりの蜜を口にしました。この私が死ななければなりません。」44 サウルは言った。「神が幾重にも罰してくださるように。ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」”とあります。

 サウル王は「ヨナタン、おまえは必ず死ななければならない。」と言いましたが、これは律法にかなっていないことでした。
レビ記5章には、“4 また、害になることであれ益になることであれ、誓ったことが何であれ、人が軽々しく口で誓った場合、そのことを知ってはいたものの彼には隠れていて、後になってその一つについて責めを覚える場合──5 これらの一つについて責めを覚える場合には、自分が陥っていた罪を告白し、6 自分が陥っていた罪のために償いとして、羊の群れの子羊であれ、やぎであれ、雌一匹を主のもとに連れて行き、罪のきよめのささげ物とする。祭司は彼のために、罪を除いて宥めを行う。”(新改訳2017)とあります。

 大切なことですが、レビ記の贖いの動物の本体は、イエス様でした。
コロサイ2:17には「これらは、来たるべきものの影であって、本体はキリストにあります。」(新改訳2017)と記されています。
イエスのヘブライ語は「イェシュア」or「イェホシュア」で、ヤハウェ(主)は救う、ヤハウェ(主)は救い主の意です。
マタイ1:21には「マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」(新改訳2017)と記されています。
 私たちのすべての罪は、イエス様が十字架上で流された血によって赦されているのです。
ヘブル9:22には「律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。」(新改訳2017)とあります。
イエス様が流された血は、罪の赦しのために流された契約の血であったのです(マタイ26:28)。
またエペソ1:7には「このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。」(新改訳2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
イエス様が十字架上で流された血のゆえに私たちのすべての罪が赦されていることを感謝します。
私たちの罪は、覆われたのではなく、完全に赦されましたことを感謝します。
日々、あなたに在って聖い歩みをする者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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コメント

人の欲の部分が、色々な形で表現され記してくださっている様に感じました。
あくまでも私が思ったことですが…。
主を信じていたら、42節の様な言動は起きないのかな?心の何処かでサウルは自分は正しいという主張をしている様に感じました。
私も日々の何処かで、その様な事をしてきていたと思います。今も気をつけたりしていても、行ってしまっている可能性はあるのだと思いました。やはり、主からのお導きは必要で、大切です。
人が肉の思いで誓わせたり、命令するときにはよくない事が起こるなーと思います。
マタイ5:33.34をもっと早くに知っていたら…と、初めて知った時思いました。
喜びに似た様な感じですが、なんて表現したらよいかわかりませんけれども、救われた気持ちになった事を思い出しました。
聖書は色々な事を学ばせてくださり、感謝します。

ハレルヤ

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