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2020年9月 4日 (金)

1サムエル2:12-26 エリの息子たちと少年サムエル

 1サムエル2:12-17には、
“12 さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知らなかった。13 民に関わる祭司の定めについてもそうであった。だれかが、いけにえを献げていると、まだ肉を煮ている間に、祭司の子弟が三又の肉刺しを手にしてやって来て、14 これを大鍋や、釜、大釜、鍋に突き入れ、肉刺しで取り上げたものをみな、祭司が自分のものとして取っていた。このようなことが、シロで、そこに来るイスラエルのすべての人に対してなされていた。15 そのうえ、脂肪が焼かれる前に祭司の子弟がやって来て、いけにえを献げる人に「祭司に焼くための肉を渡しなさい。祭司は煮た肉をあなたから受け取らない。生の肉だけだ」と言うので、16 人が「まず脂肪をすっかり焼いて、好きなだけお取りください」と言うと、祭司の子弟は、「いや、今渡すのだ。でなければ、私は力ずくで取る」と言った。17 このように、子弟たちの罪は、主の前で非常に大きかった。この人たちは主へのささげ物を侮ったのである。”(新改訳2017)と記されています。

 12節には「さて、エリの息子たちはよこしまな者たちで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知らなかった。」とあります。
「よこしまな」と訳されている語の原語は「ベリヤアル」です。「ベリヤアル」は悪魔の名前であり、新約聖書では「ベリアル」の名で出てきます。パウロはコリント人への手紙2で「キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。」(6:15・新改訳2017)と述べています。「ベリヤアル」は、固有名詞の他、よこしまな、邪悪な、不道徳な、悪、・・等の意でも用いられます。

 「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知らなかった。」とありますが、「知らなかった」という言葉は、「知る」の前に否定語の「ロー」がついて、2語から成っています。「知る」と訳されている語の原語は「ヤーダー」で、知る、受け入れる、アドバイス、答える、‥‥等々と広い意味で用いられます。
エリの息子たちは、ヤハウェ(主)を受け入れていなかったのです。霊の世界では、パウロが言っているように、悪魔とヤハウェは相入れないものです。ヤハウェ(主)を受け入れなければ、自動的にベリヤアルの支配下にあります。光を受け入れなければ暗闇です。
1ヨハネ5:19には「私たちは神に属していますが、世全体は悪い者の支配下にあることを、私たちは知っています。」(新改訳2017)と記されています。〔「悪い者」の原語のギリシア語は「ポネロス」で、ポネロスには、傷つける、悪、悪魔(the devil)、・・・等々の意があります。〕

 12.13節に「12 ・・エリの息子たちはよこしまな者たちで、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕を知らなかった。13 民に関わる祭司の定めについてもそうであった。」とありますが、主を知らないので、主が与えてくださった祭司の定め(レビ記)についても知りませんでした。
余談になりますが、悪魔は、祭司の務めを知っていて、それを用いて公然とヤハウェ(主)に反する悪を行います。主は、ささげものの動物には、牛、羊、山羊、鳩などを使いなさい、と教えられましたが、悪魔は、人に人身御供をさせます。

 エリの息子たちは、主を信じ、主にささげ物をしようとする人達の邪魔をし、「主に献げるよりも先に自分たちに良い肉の箇所を与えろ」と命じたり、又はささげている途中の肉を強引に奪っていくのです。そのことが13‐16節に述べられています。

 現代の教会にあてはめると、教会で主に仕えている人が、信者の献金を盗んだり、祈りの邪魔をしたり、聖書など信じるに足りないということを実行してみせるのと同じです。
この罪は非常に大きいものです、ということが17節に記されています。

 このような時代にサムエルの父エルカナと母ハンナは、主を信じ、毎年、シロの神の幕屋に来て主を礼拝していたのです。主は、ハンナの祈りを受け入れ、子を与えられたのです。その最初の子がサムエルでした。

 18.19節には、
“18 さてサムエルは、亜麻布のエポデを身にまとった幼いしもべとして、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕の前に仕えていた。19 彼の母は彼のために小さな上着を作り、毎年、夫とともに年ごとのいけにえを献げに上って行くとき、それを持って行った。”(新改訳2017)と記されています。

 祭司エリの困った息子たちもいましたが、幼いサムエルは祭司エリの下にあってヤハウェ(主)に仕えていました。
サムエルの両親は、敬虔な人達で、毎年シロにある主の宮で礼拝しました。その時には、幼子サムエルの上着を持参したのです。

 20.21節には、
“20 エリは、エルカナとその妻を祝福して、「主にゆだねられた子の代わりとして、主が、この妻によって、あなたに子孫を与えてくださいますように」と言い、彼らは自分の住まいに帰るのであった。21 主はハンナを顧み、彼女は身ごもって、三人の息子と二人の娘を産んだ。少年サムエルは主のみもとで成長した。”(新改訳2017)と記されています。

 祭司エリは、エルカナとその妻〔ハンナ(筆者挿入)〕に「主にゆだねられた子〔サムエル(筆者挿入)〕の代わりとして、主が、この妻によって、あなたに子孫を与えてくださいますように」と主に祈りました。主は、祭司エリの祈りとエルカナ及びハンナの願いを叶えてこの夫婦にサムエル出産の後、更に合計5人の子どもを授けられたのです。かつてのハンナは、不妊でとても辛い思いをしていたのです。ハンナは、主に自分のこの上なく大切なものをささげた後、更なる祝福を得たのです。ツァレファテのやもめの話も本質的には同じです(1列王記17:8-16)。イエス様は、「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。」(マタイ6:33・新改訳2017)と語られました。

 22‐25節には、
“22 さて、エリはたいへん年をとっていたが、息子たちがイスラエル全体に行っていることの一部始終を、それに彼らが会見の天幕の入り口で仕えている女たちと寝ていることを聞いていた。23 それでエリは彼らに言った。「なぜ、おまえたちはそんなことをするのか。私はこの民の皆から、おまえたちのした悪いことについて聞いているのだ。24 息子たちよ、そういうことをしてはいけない。私は主の民が言いふらしているうわさを聞くが、それは良いものではない。25 人が人に対して罪を犯すなら、神がその仲裁をしてくださる。だが、主に対して人が罪を犯すなら、だれがその人のために仲裁に立つだろうか。」しかし、彼らは父の言うことを聞こうとしなかった。彼らを殺すことが主のみこころだったからである。”(新改訳2017)と記されています。

 エリは主に仕えていた祭司でした。しかし、息子たちはベリヤアルの支配下にいたのです。エリの息子たちは、主に仕えることを良しとせず、ベリヤアルの下にいる方が楽であり楽しかったのです。
親子であっても個々人の魂は異なります。
主の救いは、血筋(血統)によるのではなく、親や人の意欲によるのでもありません(ヨハネ1:13)。人が主に向けば、人が主を信じたいと思えば、人が主に救ってもらいたいと思えば、人が主(ヤハウェ)を自分の主(アドナイ)としたいと思えば、聖霊が働いて下さり、キリストの恵み(十字架と復活)のゆえに、救いにあずかることが出来るのです。主を信じる者は、神のもの、キリストのものとして頂けるのです。主のものとして頂けるほどの恵みはありません。
パウロは「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(エペソ2:8・新改訳第三版)と述べ、また、
主の方に向き直れば、覆いは取り去られます。」(2コリント3:16・新共同訳)と述べ、また、
聖霊によらなければ、だれも『イエスは主である』とは言えないのです。」(1コリント12:3・新共同訳)と述べています。

 エリの息子たちは、主を求めませんでした。それ故、主はベリヤアル(サタン、悪魔)に引き渡されたのです。
ローマ人への手紙1章には、
“19 神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。20 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。21 彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。22 彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、23 朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。24 そこで神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡されました。そのため、彼らは互いに自分たちのからだを辱めています。25 彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。・・・。26 こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。”(新改訳2017)と記されています。

  一方、少年サムエルは、主にも人にもいつくしまれ、ますます成長した(26)のです。
それはサムエルの心がいつも主に向いていたからでしょう。それもまた恵みです。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたの恵みのゆえに今の私があります。
これから後もあなたの恵みのゆえに生かされ、祝福された歩みをさせて頂けますことを感謝します。
あなたはあなたの恵みと慈しみで取り囲んでくださいます。
私たちはあなたをほめたたえます。
賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、御父と御子に世々限りなくありますように。アーメン。

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