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2020年9月25日 (金)

1サムエル16:14-23 おびえの霊に襲われるサウルとその霊を退却させるダビデ/キリスト者は主に在って悪の霊に勝利する

 14節には、“ さて、主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。”(2017)とあります。

 一方13節には「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼〔ダビデ(筆者挿入)〕に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」と記されています。そして続く14節に「主の霊はサウルを離れ去り、主からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。」と記されています。
結局は、サウルが主のことばを棄てた、即ち主を捨てたので主の霊はサウルから離れたのだと思います。
サウルが、サムエルに罪を指摘された時、サウルが、心から悔い改めたならば事態は違っていたのではないかと思います。

 新生したキリスト者の場合は、サウルの場合とは異なります。主の霊が直ぐに離れることはありません。新生した人は霊が主から生まれたので(ヨハネ3:3.6)離れませんが、いつまでも悔い改めないと肉体の命を奪われることがないとは言えません(1コリント11:30)。しかし「私たちがさばかれるとすれば、それは、この世とともにさばきを下されることがないように、主によって懲らしめられる、ということなのです。」(1コリント11:32・新改訳2017)と記されています。
私たちには「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:30・新改訳2017)と語られています。
そして次のようなありがたいお約束が私たちには与えられています。
「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9・新改訳2017)とあります。


 15-16節には、
“15  サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。16 わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」”(2017)とあります。

 「神の霊が王をおびえさせています」という文中の「神の霊」の箇所の原語は3語から成っていて「ルーアッハ エロヒーム ラア―」で、直訳すると「悪い神の霊」となります。神は悪を行うことのないお方ですので(ヤコブ1:13)、神から離れたサウルに悪の霊がやって来たということであると思います。そのようなことがあるということをイエス様は「43 汚れた霊は人から出て行くと、水のない地をさまよって休み場を探します。でも見つからず、44 『出て来た自分の家に帰ろう』と言います。帰って見ると、家は空いていて、掃除されてきちんと片付いています。45 そこで出かけて行って、自分よりも悪い、七つのほかの霊を連れて来て、入り込んでそこに住みつきます。そうなると、その人の最後の状態は初めよりも悪くなるのです。・・・。」(マタイ12章・2017)と語っておられます。 

 15節を口語訳は“サウルの家来たちは彼に言った、「ごらんなさい。神から来る悪霊があなたを悩ましているのです。”と意訳しています。
主の霊が人から離れると、或いは人が主の霊に覆われていないと、或いは人が主の霊の下にいないと、悪の霊が支配するのです。
前のリビングバイブル訳は、エペソ2:1.2を「1 以前、あなたがたは神様からのろわれた存在であり、罪のために永遠に滅びる運命でした。2 世間一般の人と同じ生き方をし、別に変わったところもありませんでした。罪にまみれ、空中の権威を持つ、力ある支配者サタンの言うままになっていたのです。このサタンは、主に反抗する人の心に、今も働きかけています。」と意訳しています。

 サウルの家来たちは「王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲うとき、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう。」(15・新共同訳)とサウル王に語りました。

 そしてサウルの家来たちは、竪琴を上手に引くダビデをサウルの下に連れて来、サウルもダビデを気に入り、サウル王はダビデを召し抱えたのです。17‐22節に次のように記されています。

 “17 サウルは家来たちに言った。「私のために上手な弾き手を見つけて、私のところに連れて来なさい。」
18 家来の一人が答えた。「ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。主が彼とともにおられます。」
19 サウルは使いをエッサイのところに送って、「羊とともにいるあなたの息子ダビデを、私のところによこしなさい」と言った。
20 エッサイは、ろば一頭分のパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデの手に託してサウルに送った。
21 ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼がたいへん気に入り、ダビデはサウルの道具持ちとなった。
22 サウルはエッサイのところに人を遣わして、「ダビデを私に仕えさせなさい。気に入ったから」と言った。”(2017)とあります。

 23節には、“神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。”(2017)とあります。

 悪しき霊が人に臨んだとき、私たちの場合は、天においても地においても一切の権威を持っておられる主キリスト・イエス様の御名で祈るか、命じるかすれば、悪しき霊は去ります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
私たちは主の内にあって圧倒的な勝利者、勝ち得て余りある者とされていることを覚えます。
主の内に無ければ、勝利できないことも覚えます。
いつも主の内にある歩みをさせて頂けますように。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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コメント

サウルがダビデを気にいる事も、ダビデが琴で悪しき霊を追い出した事も、14-23節(この節だけではありませんね)の全てが神様の御力である事がよーくわかります。
そして、私は又、勘違いをして学んでいたことに気付かされます。ダビデが体格が良いという事を逆に捉えていて、華奢なのだと思っていました。大きな勘違いです。改めたいと思います。

主が気付かせてくださって良かったですね

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