« 1サムエル23章 ダビデを導き、ダビデを守られるヤハウェ(主) ケイラ、ジフにて | トップページ | 1サムエル25章 主に在る賢き女性アビガイル »

2020年10月 5日 (月)

1サムエル24章 エン・ゲディにおけるダビデとサウル

 1.2節には、
“1節には、 サウルがペリシテ人を追うのをやめて帰って来たとき、「ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいます」と言って、彼に告げる者がいた。2 サウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭を選り抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。”(2017)とあります。

 23章の後半部分には、
ジフ人から、ダビデがジフ人の地に隠れているとの報告がサウルにあり、ジフ人に導かれたサウルはダビデ討伐に出かけました。その時には、ダビデはマオンの荒野にまで移動していました。しかし、その居場所をサウルに知らせる者があり、サウルの軍とダビデの一行はマオンの岩山で対峙したのです。しかしその時に、「ペリシテ人が攻撃してきたので、急いで来てくれるように」、という一報がサウルに入り、サウル軍はダビデと戦うのを中止して、ペリシテとの戦いのために去って行った。
というようなことが書いてありました。

 それに続くのが、1節の、“サウルがペリシテ人を追うのをやめて帰って来たとき、「ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいます」と言って、彼に告げる者がいた。”という箇所です。
そして、ダビデの居場所を聞いたサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭を選抜して、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出てきたのです。

 3節には、“道の傍らにある羊の群れの囲い場に来ると、そこに洞穴があった。サウルは用をたすために中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、その洞穴の奥の方に座っていた。”(2017)とあります。

 エン・ゲディの地について、新聖書注解には、“エン・ゲディは、・・・、石灰地層に無数の洞穴があり、・・・”とあり、石灰地層の洞穴ということなので、エン・ゲディの洞穴は、鍾乳洞のようなものなのではないかと思います。
 さて、サウルは排便したくなって洞穴に入ったのです。それをダビデたちはその洞穴の奥で見ていたのです。ダビデの部下たちは、サウルを殺すチャンスが来た、と考えましたが、ダビデは違っていました。

 その洞窟の中での出来事が、4‐7節aに、
“4 ダビデの部下はダビデに言った。「今日こそ、主があなた様に、『見よ、わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたの良いと思うようにせよ』と言われた、その日です。」ダビデは立ち上がり、サウルの上着の裾を、こっそり切り取った。5 後になってダビデは、サウルの上着の裾を切り取ったことについて心を痛めた。6 彼は部下に言った。「私が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に逆らって、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方、私の主君に対して、そのようなことをして手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。彼は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方なのだから。」7 ダビデはこのことで部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。”(2017)と記されています。

 ダビデもヤハウェ(主)の主権の下、サムエルから次期王としての油注ぎを受けた経験があり、その油注ぎを受けた後の変化を自身で体験した人です。
1サムエル16:13には、“サムエルは油の角を取り、〔ダビデの(筆者挿入)〕兄弟たちの真ん中で彼〔ダビデ(筆者挿入)〕に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。 ”(2017)と記されています。
ダビデに主の霊が激しく下った後のダビデ自身が、それ以前の自分とは違うことをダビデは体験していたのです。
ダビデは、主を畏れ敬い、主の主権の前に平伏していた人です。
ダビデの主に対するこのようなありようは、ダビデ自身も主によって守られることになります。

 洞穴の中で何が起きたのかを知らないor気づかなかった“7 ・・・。サウルは、洞穴から出て道を歩いて行った。”(2017)のです。

 洞穴から出て行ったサウルに呼びかけ、サウルに語りかけたダビデの言葉が、8‐15節に次のように記されています。
“8 ダビデも洞穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。
9 そしてダビデはサウルに言った。
「なぜ、『ダビデがあなたに害を加えようとしている』と言う人のことばに、耳を傾けられるのですか。10 今日、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が洞穴で私の手にあなたをお渡しになったのを、あなたの目はご覧になったのです。ある者はあなたを殺すようにと言ったのですが、私は、あなたのことを思って、『私の主君に手を下すことはしない。あの方は主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方だから』と言いました。
11 わが父よ。どうか、私の手にあるあなたの上着の裾をよくご覧ください。あなたの上着の裾を切り取りましたが、あなたを殺しはしませんでした。それによって、私の手に悪も背きもないことを、お分かりください。あなたに罪を犯していないのに、あなたは私のいのちを取ろうと狙っておられるのです。12 どうか、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私とあなたの間をさばき、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が私のために、あなたに報いられますように。しかし、私はあなたを手にかけることはいたしません。13 昔のことわざに『悪は悪者から出る』と言います。私はあなたを手にかけることはいたしません。14 イスラエルの王はだれを追って出て来られたのですか。だれを追いかけておられるのですか。死んだ犬の後でしょうか。一匹の蚤の後でしょうか。15 どうか主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が、さばき人となって私とあなたの間をさばき、私の訴えを取り上げて擁護し、正しいさばきであなたの手から私を救ってくださいますように。」”(2017)とあります。

 この箇所を読むと、ローマ12章を思い浮かべます。ローマ12章の中には、
“14 あなたがたを迫害する者たちを祝福しなさい。祝福すべきであって、呪ってはいけません。
17 だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人が良いと思うことを行うように心がけなさい。
18 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。
19 愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。
「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」主はそう言われます。
20 次のようにも書かれています。
「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」
21 悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。”(2017)とあります。

 私は、幼少時より性急で怒りやすい性格でした。御言葉が上記のように語っているからといって、怒りを治めるのは大仕事です。
私は、キリスト者になってからも、その性格はそのままでした。しかし、ある時、主が、エペソ4:32の聖句を、後半を先にし、その後、前半のお言葉を語られて、私にタッチされたのでした。「神がキリストにおいてあなたを赦してくださったのだから、あなたも人に親切にし、心の優しい人となり、人を赦しなさい。」と優しく優しく語られ、主が語られたレーマ(ことば)が私を変えたのです。
{(ギ)「レーマ」とは、おもに語りだされた言葉を言います。ルカ1:37を文語訳は直訳していますが、文語訳は、「それ神の言には能はぬ所なし」と訳しています。私訳すると「というのは、神が語りだされたすべての言葉には不可能はない。」となります。}  
 

 話を元に戻します。
 16-21節には、ダビデへのサウルの言葉が次のように記されています。
“16 ダビデがこれらのことばをサウルに語り終えたとき、サウルは「これはおまえの声なのか。わが子ダビデよ」と言った。サウルは声をあげて泣いた。17 そしてダビデに言った。「おまえは私より正しい。私に良くしてくれたのに、私はおまえに悪い仕打ちをした。18 私に良いことをしてくれたことを、今日、おまえは知らせてくれた。主が私をおまえの手に渡されたのに、私を殺さなかったのだから。19 人が自分の敵を見つけたとき、その敵を無傷で去らせるだろうか。おまえが今日、私にしてくれたことの報いとして、主がおまえに幸いを与えられるように。20 おまえが必ず王になり、おまえの手によってイスラエル王国が確立することを、私は今、確かに知った。21 今、主にかけて私に誓ってくれ。私の後の子孫を断たず、私の名を父の家から消し去らないことを。」”(2017)とあります。

 サウルがダビデの言葉(9-15節)を聞き、サウルが悔悛したことで、サウルから悪しき霊が去り、悪しき霊に憑かれる前のサウルのようになりました。残念ながらこれは一時的なことでした。

 22節には、“ダビデはサウルに誓った。サウルは自分の家へ帰り、ダビデとその部下は要害へ上って行った。”(2017)とあります。
サウルがダビデに、「今、主にかけて私に誓ってくれ。私の後の子孫を断たず、私の名を父の家から消し去らないことを。」(21)と語り、ダビデは、サウルに、「サウルの子孫を断たず、サウルの名を父の家から消し去らないことを」誓ったのです。
後にダビデはその誓いを果たしています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたがお語りくださった御言葉は必ず成就しますから御名を崇めて感謝します。
ローマの百人隊長が、「おことばをください」とイエス様に言った箇所がマタイ8:8にあります。
イエス様は、それをたいそう喜ばれ、御業を行ってくださいました。
それと同じことは、現代でもあることを覚え感謝します。
折々に、おことばを与えてくださいますように。
御業をなしてくださるあなたの御名をほめたたえ、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

« 1サムエル23章 ダビデを導き、ダビデを守られるヤハウェ(主) ケイラ、ジフにて | トップページ | 1サムエル25章 主に在る賢き女性アビガイル »

1サムエル記」カテゴリの記事

コメント

16節のサウルが聞いたダビデの声は、神様が同時に発していたのかな?と思いました。ハッとしたのですね、きっと。
ダビデの言動は、いつも先ず神様ですね。
私は聖句より、〝あ、あの人…〟といった具合に人を思い浮かべてしまいました…、まだまだ信仰が弱く浅いですね…。
私が今まで思っていた〝男らしさ〟は潔さという事なのかな?神様の前でどうあるべきか!先ずは神様を先頭に置くという事なのかな?と思いました。固定観念が覆った感覚です。
トミーさんの証しのお話ありがとうございます。いつの日か変えていただける、という希望を頂きます‼︎ありがとうございます!
今、私はその様に言われている気がします。
直ぐには変わらず、いつも主に泣き言状態ですけれども。(お祈りの所を読ませていただいて…私も言われたかな?…と思いました)

大元から変えられるためには、祈り求めて、主の御業を待ち望むしかないですね。

やはり…といった所です。
それも神様の〝とき〟があるのですよね?
祈り求め、待ちます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 1サムエル23章 ダビデを導き、ダビデを守られるヤハウェ(主) ケイラ、ジフにて | トップページ | 1サムエル25章 主に在る賢き女性アビガイル »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ