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2020年10月 2日 (金)

1サムエル22:1-8 アドラムの洞穴に避難したダビデ、両親をモアブの王に託したダビデ、被害妄想のサウル

 1.2節には、
“1 ダビデはそこを去って、アドラムの洞穴に避難した。彼の兄弟たちや父の家の者はみな、これを聞いてダビデのところに下って来た。2 そして、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来たので、ダビデは彼らの長となった。約四百人の者が彼とともにいるようになった。”(2017)とあります。

 1節冒頭には、「ダビデはそこを去って」とありますが、「そこ」とは、ガテの王アキシュのところです。
「ダビデはそこを去って、アドラムの洞穴に避難した。」とありますが、「アドラムの洞穴」について、岩波訳の注は、“エルサレムの南西24キロ、ヘブロンの北西16キロ、西側に谷を見下ろすユダ丘陵の高みの一つ。辺りには隠れ場所に適した洞穴が数多くある。”と記しています。

 ダビデがアドラムの洞穴に非難すると、ダビデの兄弟たちや父エッサイの家の者はみな、サウルによる粛清(しゅくせい)を恐れてダビデのところに来たのです。エッサイやダビデの兄弟たちは、かつて士師にして預言者であるサムエルが、主から遣わされてダビデに油を注ぎ、主が、ダビデをイスラエルの王とされたのを見ていたのです(→1サムエル16:1-13)。エッサイの家族は、油注がれた後のダビデも見ていたことでしょう。1サムエル16:13には、「サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。」(2017)と記されています。

 アドラムの洞穴にいるダビデのところには、ダビデの父エッサイの家の者たちだけではなく、困窮している者、負債のある者、不満のある者たちも集まってきたのです。その総勢は400人となりました。
私は、これらの人々を主がダビデの下に遣わしたのだと思います。
ダビデは、これらみなの者の長となり、治めるようになったのです。
その後、恐らく大した月日ではなかったと思うのですが、ダビデの配下の者たちは約600人になりました(1サムエル23:13)。

 3.4節には、“3 ダビデはそこからモアブのミツパに行き、モアブの王に言った。「神が私にどのようなことをされるか分かるまで、どうか、父と母をあなたがたと一緒に住まわせてください。」4 ダビデは両親をモアブの王の前に連れて来た。彼らは、ダビデが要害にいる間、王のもとに住んだ。”(2017)とあります。

 モアブの地は、死海の東側で、北はアルノン川から南はゼレデ川に囲まれた地域です。
モアブは、異教の地でしたが、その地から主を信じるルツがおこされたのです。
 ルツ記4章には、
“13 〔ユダのベツレヘムの人(筆者挿入)〕ボアズはルツを迎え、彼女は彼の妻となった。ボアズは彼女のところに入り、主はルツを身ごもらせ、彼女は男の子を産んだ。14 女たちはナオミに言った。「主がほめたたえられますように。主は、今日あなたに、買い戻しの権利のある者が途絶えないようにされました。その子の名がイスラエルで打ち立てられますように。15 その子はあなたを元気づけ、老後のあなたを養うでしょう。あなたを愛するあなたの嫁、七人の息子にもまさる嫁が、その子を産んだのですから。」16 ナオミはその子を取り、胸に抱いて、養い育てた。17 近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた」と言って、その子に名をつけた。彼女たちはその名をオベデと呼んだ。オベデは、ダビデの父であるエッサイの父となった。18 これはペレツの系図である。ペレツはヘツロンを生み、19 ヘツロンはラムを生み、ラムはアミナダブを生み、20 アミナダブはナフションを生み、ナフションはサルマを生み、21 サルマはボアズを生み、ボアズはオベデを生み、22 オベデはエッサイを生み、エッサイはダビデを生んだ。”(2017)とあります。

 というわけで、ダビデの父エッサイの祖父はユダヤ人のボアズ、祖母はヤハウェ(主)を自分の神としたモアブ出身のルツです。それ故、ルツとの関係で、ダビデの父エッサイはルツのモアブにいる兄弟ややその子孫たちとは親戚でした。しかし、ある程度長期間モアブに住むことになりますから、ダビデは、モアブのミツパに行き、モアブの王に、「神が私にどのようなことをされるか分かるまで、どうか、父と母をあなたがたと一緒に住まわせてください。」と願い、両親をモアブの王の前に連れて来、モアブの王の了承を得たのです。それでダビデの両親は、ダビデが要害にいる間、王のもとに住んだのです。
ダビデは、この様にして両親の安全を確保したのです。

 3節に、「モアブのミツパに行き」とあります。「ミツパ」という場所はいくつもあります。「ミツパ」の意味が、見張る場所、物見やぐら、という意味 だからです。

 5‐8節には、
“5 預言者ガドはダビデに言った。「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい。」それで、ダビデはそこを出て、ハレテの森へやって来た。6 サウルは、ダビデおよび彼とともにいる者たちが見つかったことを聞いた。サウルはギブアにある高台のタマリスクの木の下で、槍を手にして座っていた。彼の家来たちはみな、彼のそばに立っていた。7 サウルは、そばに立っている家来たちに言った。「聞け、ベニヤミン人。エッサイの子が、おまえたち全員に畑やぶどう畑をくれたり、おまえたち全員を千人隊の長、百人隊の長にしたりするだろうか。8 それなのに、おまえたちはみな私に謀反を企てている。息子がエッサイの子と契約を結んでも、だれも私の耳に入れない。おまえたちのだれも、私のことを思って心を痛めることをせず、今日のように、息子が私のしもべを私に逆らわせて、待ち伏せさせても、私の耳に入れない。」”(2017)とあります。

 5節には、“預言者ガドはダビデに言った。「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい。」それで、ダビデはそこを出て、ハレテの森へやって来た。”(2017)とあります。

 「この要害にとどまっていないで」とあります。
この要害とは、アドラムの洞穴です。5節の文章から分かることは、この時代、アドラムの洞穴はイスラエル領になっていなかったということです。

 預言者ガドについて、聖書辞典は、“ダビデづきの預言者.彼はダビデにしばしば神のことばを告げていた(1サムエル22:5、2サムエル24:11-18、1歴代誌21:9-18、2歴代誌29:25)。ダビデの業績を言行録に書き記した(1歴代誌29:29 ”(2017)と述べています。

 主はダビデに、「この要害にとどまっていないで、さあ、ユダの地に帰りなさい。」と命じる一方、主は、ダビデたちの居場所をサウルに隠してはおきませんでした。
ダビデの居場所が、サウルの耳に入ったのですから(6)。
ダビデはユダの地におり、サウルはベニヤミンの地のギブアにいました。その時のサウルの様子は6節に、“サウルはギブアにある高台のタマリスクの木の下で、槍を手にして座っていた。彼の家来たちはみな、彼のそばに立っていた。”(2017)と記されています。

 サウルは、ダビデが自分を殺しに来ると考えていました。
それは、サウルが、「おまえたち〔サウルの部下のベニヤミン人(筆者挿入)〕はみな私に謀反を企てている。息子〔ヨナタン(筆者挿入)〕がエッサイの子〔ダビデ(筆者挿入)〕と契約を結んでも、だれも私の耳に入れない。おまえたちのだれも、私のことを思って心を痛めることをせず、今日のように、息子〔ヨナタン(筆者挿入)〕が私のしもべ〔ダビデ(筆者挿入)〕を私に逆らわせて、待ち伏せさせても、私の耳に入れない。」(8)と語っていることから分かります。

 ヨナタンとダビデの関係は、サウルが考えているようなものではなく、ダビデがサウルから逃げているのであり、ダビデはサウルを殺そうとはしていませんでした。サウルがダビデを殺そうとしているので、サウルは、ダビデに殺されるのではないかと怯えているのです。
サウルの恐れの原因となった出来事は、
➀サムエルを通して語られた主のことば{特に1サムエル15:28には、「主は、今日、あなたからイスラエル王国を引き裂いて、これをあなたよりすぐれた隣人に与えられました。 」(2017)とあります。}
②民衆の喝さいが、ダビデ>サウルであったこと(1サムエル18:6-8)
であろうと思います。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
あなたは、ダビデに油を注ぎ、あなたのみ旨の内では、既にダビデを王としていることを覚えます。
そうであっても、ダビデが公けに王としてイスラエルの王として君臨するまでには、結構な年月がありました。
それと同じように、私たちも、外見上において、あなたの子どもとしてこの世に現わされるまでには、様々な訓練を受けることを覚えます。
私たちは、神の子どもとしてふさわしくなるよう訓練してくださる主の御名を賛美します。
やがては黙示録19:8に「花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」(2017)と啓示されているように、私たちの言動が全く「義」となるようにして下さいますことを感謝します。
あなたのご計画は、常に一歩一歩着実に進んで行くことを感謝します。
御名を賛美し、我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン 

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コメント

モアブの地のご説明を載せてくださった所が〝北はアルノン側〟となっておりました。
サウルの恐れの原因の②の様に、比較されてしまうと、心はズタズタになり、取り憑かれてしまったのでしょうね…。切ないですね…。
でも、そんな時こそ、主に信頼して祈りを捧げる事ですよね。嬉しい時も、辛い時も、孤独を感じる時も、どんな時でも主により頼み、話を聞いてもらえば、前向きになれる気がします。(気のせいかもしれません)

変換ミスの箇所を教えてくださり感謝します。
早速直しておきました。

“嬉しい時も、辛い時も、孤独を感じる時も、どんな時でも主により頼み、話を聞いてもらえば、前向きになれる気がします。(気のせいかもしれません)”→
主の恵みですね。
謙遜して、「気のせいかも」にしてしまうと、主に失礼になってしまいますから、大いに主に感謝し、主を賛美してください。
そうすると主はもっと恵みをくださるでしょう。
人からどう思われても良いのです。
主に喜ばれれば。

そうなのですね!
気のせいかも?と思うのは、不安からの様な気がします(多分)。主に失礼になると知れば、自信を持って、そして感謝と賛美を捧げます!
そして、人の目はとても気になります。
〝人からどう思われても良いのです。
主に喜ばれれば。〟
神様から指摘していただけている様なほど、私の中で、できない所です。
性格か、育ちかはわかりません。SNSにアップする事も人前に出る事も、とても勇気のいる事です。他者にしてみれば簡単な、なんでもない些細な事なのでしょうけれども…。私にとっては大きな事です。
それでも、あたたかい愛ある言葉でいつも返信してくださるのと、この様に自信を持たせてもらえる事は、私にとって大きな励みとなります。聖書も学べて、信仰生活のあり方も学べて、とてもとても感謝しております。
主に喜ばれる事が最優先ですよね、ありがとうございます!
主の恵みが豊かにあります様に!

箴言29:25には次のように記されています。
新共同訳:「人は恐怖の罠にかかる。主を信頼する者は高い所に置かれる。」
新改訳第三版:「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」
良い聖句ですよね。
私は、かなりこの成句のお世話になりました。
これからもなるでしょう。
人間は恐れ易い生き物なのです。

良い聖句です!
たしかに、そうです。
人に惑わされやすい私は、人を恐れていると何か生じている気がします。
神様の御言葉なのか、人からの言葉なのか見極める時にも役立ちそうです。
忘れやすいので、又同じことを言動をしている…となるかもしれないですが、この御言葉を噛み締めながら歩みます。
教えてくださり、ありがとうございます!

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