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2020年10月 6日 (火)

1サムエル25章 主に在る賢き女性アビガイル

 1節には、“サムエルは死んだ。全イスラエルは集まって、彼のために悼み悲しみ、ラマにある彼の家に葬った。ダビデは立ってパランの荒野に下って行った。”(2017)とあり、
サムエルの死と埋葬のこと、ダビデがパランの荒野に下って行ったことが述べられています。

 2.3節には、ナバルとアビガイルの説明が以下のように記されています。
“2 マオンに一人の人がいた。カルメルで事業をしていて、非常に裕福で、羊三千匹、やぎ千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛の刈り取りをしていた。3 この人の名はナバルといい、妻の名はアビガイルといった。この女は賢明で姿が美しかったが、夫は頑迷で行状が悪かった。彼はカレブ人であった。”(2017)とあります。

 マオンは、ジフの荒野の南にあり、ジフの荒野はヘブロンの南にあります。それぞれ比較的近い距離にあります。
カルメルは、マオンの北側に隣接する町です。
ナバルとアビガイルの夫婦の紹介から始まり、夫はナバルという名前ですが、ナバル{(ヘ)ナーバール}には、愚かな、間抜け、等の意があり、実際に、頑迷で行状が悪かった、とあります。一方、妻のアビガイルは、賢く、スタイルの良い人でした。
 ナバルは、カレブ人であった、とあります。新聖書注解は、“カレブ人は、カナン先住民の一種(創世記15:19)またはエドム出身のケナズ人で(創世記36:40.42、民数記32:12、ヨシュア14:6.14)、出エジプト後のイスラエルの旅行中とカナン征服中に同化し、当時はユダ部族に混入した面も(2サムエル2:1)、独立している面もある(1サムエル30:14)。”と記しています。
ナバルは、頑迷で行状が悪い、と言われていますが、事業の方は成功していて、非常に裕福で、羊三千匹、やぎ千匹を持っていました。

 余談になりますが、
ナバルはカレブ人でした。カレブ人が、上記の、エドム出身のケナズ人であったとすると、その人たちの中には、主に認められた信仰の人カレブがいました。
ケナズ人について、聖書辞典には、
カレブがケナズ人であることは,常にエフネを通して表現される(民数記32:12、ヨシュア14:6、14).「ケナズの子たちは,オテニエル」(1歴代誌4:13)は単にケナズ人オテニエルを意味するのであろう.さもなければこのケナズはカレブの弟であった.カレブの歴史は,彼の氏族が出エジプト以前にユダ族の中で立派に確立されていたことを示している(参照民数記13:6).それで初めにユダ族に加わったのはエフネの先祖であったかもしれない。”(抜粋)とあります。

 2節に、羊の毛の刈り取り、とありますが、“「羊の毛の刈り取り」は、「祝いの日(吉日)」(8)で、祝儀を出して宴を張る慣習であった(36、2サムエル13:23-27、創世記38:12)。”と新聖書注解は記しています。

 4‐9節には、ナバルの羊の毛の刈り取りの日、即ち祝いの日に、ダビデが、ナバルのもとに食料等を与えてくれるようにと、人を遣わしたことが次のように記されています。
“4 ダビデは、ナバルがその羊の毛を刈っていることを荒野で聞いた。5 ダビデは十人の若者を遣わし、その若者たちに言った。「カルメルへ上って行ってナバルのところに着いたら、私の名で彼に安否を尋ね、6 わが同胞に、こう言いなさい。『あなたに平安がありますように。あなたの家に平安がありますように。また、あなたのすべてのものに平安がありますように。7 今、羊の毛を刈る者たちが、あなたのところにいるのを聞きました。あなたの羊飼いたちは、私たちと一緒にいましたが、彼らに恥をかかせたことはありませんでした。彼らがカルメルにいる間中、何かが失われることもありませんでした。8 あなたの若者たちに尋ねてみてください。彼らはそう報告するでしょう。ですから、私の若者たちに親切にしてやってください。祝いの日に来たのですから。どうか、しもべたちと、あなたの子ダビデに、何かあなたの手もとにある物を与えてください。』」9 ダビデの若者たちは行って、言われたとおりのことをダビデの名によってナバルに告げ、答えを待った。”(2017)とあります。

 8節に、「祝いの日」とありますが、その様子は、36節に、「アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは、自分の家で王の宴会のような宴会を開いていた。ナバルが上機嫌で、ひどく酔っていた」と記されている箇所から想像がつきます。

 10.11節には、ダビデに遣わされた者たちにナバルが答えた内容が次のように記されています。
“10 ナバルはダビデの家来たちに答えて言った。「ダビデとは何者だ。エッサイの子とは何者だ。このごろは、主人のところから脱走する家来が多くなっている。11 私のパンと水、それに羊の毛を刈り取る者たちのために屠った肉を取って、どこから来たかも分からない者どもに、くれてやらなければならないのか。」”(2017)とあります。

 祝いの品を何一つ与えず、ダビデをののしるというナバルの答えの報告を、遣わした若者たちから聞いたダビデは、戦いの準備をしました。12.13節には次のように記されています。
“12 ダビデの若者たちは、もと来た道を引き返し、戻って来て、これら一部始終をダビデに報告した。13 ダビデは部下に「各自、自分の剣を帯びよ」と命じた。それで、みな剣を身に帯びた。ダビデも剣を帯びた。四百人ほどの者がダビデについて上って行き、二百人は荷物のところにとどまった。”(2017)とあります。

 一方、ダビデの使いの者たちに、ナバルが答えた言葉を聞いた道理のわかる一人の使用人の若者が、賢いアビガイル(ナバルの妻)に、ナバルが、ダビデの使いの者たちに、ダビデをののしる言葉を言ったこと及びナバルの言葉の一部始終を伝え、危機が迫っていることを報告しました。ダビデが盾となっていてくれたからこそ、羊やヤギが守られたのだということも伝えました。14‐17節には次のように記されています。
“14 ナバルの妻アビガイルに、若者の一人が告げて言った。「ダビデがご主人様に祝福のあいさつをするために、荒野から使者たちを遣わしたのに、ご主人様は彼らをののしりました。15 あの人たちは私たちにとても良くしてくれたのです。私たちは恥をかかされたこともなく、野で一緒にいて行動をともにしていた間、何も失いませんでした。16 一緒に羊を飼っている間は、夜も昼も、彼らは私たちのために防壁となってくれました。17 今、あなたがどうすればよいか、よく考えてください。わざわいがご主人とその一家に及ぶことは、もう、はっきりしています。ご主人はよこしまな方ですから、だれも話しかけることができません。」”(2017)とあります。

 使用人の若者の言葉を聞いたアビガイルが、何をすべきかを直ちに悟り、為すべきことを実行に移したことや、その時間帯のダビデ一行の動きが、18‐22節に次のように記されています。
“18 アビガイルは急いでパン二百個、ぶどう酒の皮袋二つ、料理した羊五匹、炒り麦五セア、干しぶどう百房、干しいちじく二百個を取って、これをろばに載せ、19 自分の若者たちに言った。「私の先を進みなさい。あなたがたについて行くから。」ただ、彼女は夫ナバルには何も告げなかった。20 アビガイルがろばに乗って山陰を下って行くと、ちょうど、ダビデとその部下が彼女の方に下って来るのに出会った。21 ダビデは、こう言ったばかりであった。「荒野で、あの男のものをすべて守ってやったので、その財産は何一つ失われなかったが、それは全く無駄だった。あの男は善に代えて悪を返した。22 もし私が明日の朝までに、あの男に属する者のうち小童一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰せられるように。」”(2017)とあります。

 23‐31節には、信仰的であり、かつ賢いアビガイルのとりなしが次のように記されています。
“23 アビガイルはダビデを見ると、急いでろばから降り、ダビデの前で顔を伏せて地面にひれ伏した。24 彼女はダビデの足もとにひれ伏して言った。「ご主人様、あの責めは私にあります。どうか、はしためが、じかに申し上げることをお許しください。このはしためのことばをお聞きください。25 ご主人様、どうか、あのよこしまな者、ナバルのことなど気にかけないでください。あの者は名のとおりの男ですから。彼の名はナバルで、そのとおりの愚か者です。はしための私は、ご主人様がお遣わしになった若者たちに会ってはおりません。26 ご主人様。今、主は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。主は、あなたが血を流しに行かれるのを止め、ご自分の手で復讐なさることを止められました。あなたの敵、ご主人様に対して害を加えようとする者どもが、ナバルのようになりますように。27 今、はしためが、ご主人様に持って参りましたこの贈り物を、ご主人様につき従う若者たちにお与えください。28 どうか、はしための背きをお赦しください。主は必ず、ご主人様のために、確かな家をお建てになるでしょう。ご主人様は主の戦いを戦っておられるのですから。あなたのうちには、一生の間、悪が見出されてはなりません。29 人があなたを追って、いのちを狙おうとしても、ご主人様のいのちは、あなたの神、主によって、いのちの袋にしまわれています。あなたの敵のいのちは、主が石投げのくぼみに入れて投げつけられるでしょう。30 主が、ご主人様について約束なさったすべての良いことをあなたに成し遂げ、あなたをイスラエルの君主に任じられたとき、31 理由もなく血を流したり、ご主人様自身で復讐したりされたことが、つまずきとなり、ご主人様の心の妨げとなりませんように。主がご主人様を栄えさせてくださったら、このはしためを思い出してください。」”(2017)とあります。

 アビガイルの言葉からあふれてくるアビガイルの信仰に心が震えます。
遠くからダビデを見たことやダビデのうわさを聞いたことがあったとは思いますが、アビガイルはダビデとは初対面であったと思います。これだけの内容を語ることが出来るとは、・・・驚きです。
アビガイルは、平伏して下手に出ています。語っている言葉も、何一つ、上から目線の語り方ではありません。しかし、神の人がダビデを説得するのと同じ効力があることを見て取れます。アビガイルの言葉には、自分のしもべたちを愛する愛、主を愛する愛、主に愛されているものを愛する愛が表されているように私には思えます。

 ダビデは主を知る信仰の人であり、常に主の御前にへりくだっている人です。アビガイルの言葉を聞いているうちに、ヤハウェ(主)が、アビガイルを遣わしてくださったのだと、ダビデは思ったのです。32‐34節には次のように記されています。
“32 ダビデはアビガイルに言った。「イスラエルの神、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕がほめたたえられますように。主は今日、あなたを送り、私に会わせてくださった。33 あなたの判断がほめたたえられるように。また、あなたが、ほめたたえられるように。あなたは今日、私が人の血を流しに行き、私自身の手で復讐しようとするのをやめさせた。34 イスラエルの神、主は生きておられる。主は私を引き止めて、あなたに害を加えさせなかった。もし、あなたが急いで私に会いに来なかったなら、きっと、明け方までにナバルには小童が一人も残らなかっただろう。」”(2017)とあります。

 主が命じる聖戦ではないのに、自分の感情に任せて人を殺すことは殺人です。
アビガイルはダビデを殺人の罪から守りました。
ダビデが罪を犯さないようにと、ヤハウェ(主)が、アビガイルを送ってくださったのだ、とダビデは解釈しました。
ダビデは、主に感謝し、アビガイルに感謝しました。

 続く35節には、“ダビデはアビガイルの手から、彼女が持って来た物を受け取り、彼女に言った。「安心して、家へ上って行きなさい。見なさい。私はあなたの言うことを聞き、あなたの願いを受け入れた。」”(2017)と記されています。

 36‐38節には、
“36 アビガイルがナバルのところに帰って来ると、ちょうどナバルは、自分の家で王の宴会のような宴会を開いていた。ナバルが上機嫌で、ひどく酔っていたので、アビガイルは明け方まで、何一つ彼に話さなかった。37 朝になって、ナバルの酔いがさめたとき、妻がこれらの出来事を彼に告げると、彼は気を失って石のようになった。38 十日ほどたって、主はナバルを打たれ、彼は死んだ。”(2017)とあります。

 ダビデが自分の感情にまかせてナバルを殺さなくても、主がナバルを打たれ、ナバルは死にました。
ナバルは、主がサムエルを通して油を注いだダビデをののしったのです。「ダビデとは何者だ。エッサイの子とは何者だ。このごろは、主人のところから脱走する家来が多くなっている。」と。

 ナバルが死んだ後、ダビデはアビガイルを妻としました。アビガイルは、ダビデに、「主がご主人様を栄えさせてくださったら、このはしためを思い出してください。」(31) と申し述べていました。39‐43節には次のように記されています。
“39 ダビデはナバルが死んだことを聞いて言った。「主がほめたたえられますように。主は、私がナバルの手から受けた恥辱に対する私の訴えを取り上げ、このしもべが悪を行うのを引き止めてくださった。主はナバルの悪の報いをその頭上に返された。」ダビデは人を遣わして、アビガイルに自分の妻になるよう申し入れた。40 ダビデのしもべたちはカルメルのアビガイルのところに来て、彼女に、「ダビデはあなたを妻として迎えるために私たちを遣わしました」と言った。41 彼女はすぐに、地にひれ伏して礼をし、そして言った。「さあ。このはしためは、ご主人様のしもべたちの足を洗う女奴隷となりましょう。」42 アビガイルは急いで用意をして、ろばに乗り、彼女の五人の侍女を後に従え、ダビデの使者たちの後に従って行った。彼女はダビデの妻となった。43 ダビデはイズレエルの出であるアヒノアムを妻としていたので、二人ともダビデの妻となった。”(2017)とあります。

 一方、ダビデの最初の妻であるミカルについては、44節に、“サウルはダビデの妻であった自分の娘ミカルを、ガリム出身のライシュの子パルティに与えていた。”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
アビガイルの信仰と愛と賢さから出てくる言葉に驚嘆します。
私のように軽率である者にも、あなたは、「あなたがたのうちに、知恵に欠けている人がいるなら、その人は、だれにでも惜しみなく、とがめることなく与えてくださる神に求めなさい。そうすれば与えられます。」(ヤコブ1:5・新改訳2017)というようなおことばを与えてくださっておられますから感謝します。
舌を制する者であらせてください。
我らの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン

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コメント

こちら、26章となっておりましたので、お知らせいたします。

さばきは神様のお仕事という事を肝に銘じます。
わざわざ自ら罪を犯さなくて良いということを学びます。特に恥辱、プライドなどの感情が湧き上がった時には、直ちに主に助けを求める事をしようと強く思いました。そして、罪を犯す様な行いは避ける事。感情が消え去るまで祈り続けたいと思いました。

神様がどの様にして人を用いるのかという事も学べました。思い返すと神様は、私を救いに導いてくださる中で、人を与えてくださっておりました。主に感謝します。

間違いを教えてくださって感謝します。
早速直しました。
アビガイルのような信仰と知恵をいただきたいものです。

アーメン。

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