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2020年10月 7日 (水)

1サムエル26章 ジフの荒野におけるサウルとダビデ

 1節には、“ジフ人がギブアにいるサウルのところに来て言った。「ダビデはエシモンの東にあるハキラの丘に隠れているのではないでしょうか。」”(2017)とあります。

 「エシモン」を新共同訳は「砂漠」と訳しています。「エシモン」と訳された語の原語は「エシモン」で、荒れ地、地名としてのエシモン(死海の西にある場所)の意があります。

 ジフ人は以前にも、自分の地にor自分の地の近くにダビデが隠れていると、サウルに通報しています。

 2.3節前半部分には、ジフ人からの通報を受けたサウルが、ダビデ討伐のために3000人の精鋭と共に出陣し、エシモンの東にあるハキラの丘の道の傍らに陣を敷いたことが次のように記されています。
“2 サウルは立って、三千人のイスラエルの精鋭とともに、ジフの荒野へ下って行った。ジフの荒野でダビデを捜すためであった。3 サウルは、エシモンの東にあるハキラの丘で、道の傍らに陣を敷いた。”(2017)とあります。

 3節後半部分-12節には、ダビデ側の動きが次のように記されています。
“3 ・・・。一方、ダビデは荒野にとどまっていた。ダビデは、サウルが自分を追って荒野に来たのを見て、4 偵察を送り、サウルが確かに来たことを知った。
5 ダビデは立って、サウルが陣を敷いている場所にやって来た。そしてダビデは、サウルと、その軍の長ネルの子アブネルが寝ている場所を見つけた。
サウルは幕営の中で寝ていて、兵たちは彼の周りに宿営していた。
6 ダビデは、ヒッタイト人アヒメレクと、ヨアブの兄弟で、ツェルヤの子アビシャイに言った。「だれか、私と一緒に陣営のサウルのところへ下って行く者はいないか。」
アビシャイが答えた。「私が一緒に下って参ります。」
7 ダビデとアビシャイは夜、兵たちのところに来た。見ると、サウルは幕営の中で横になって寝ていて、彼の槍が、枕もとの地面に突き刺してあった。アブネルも兵たちも、その周りに眠っていた。
8 アビシャイはダビデに言った。「神は今日、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうか私に、槍で一気に彼を地面に突き刺させてください。二度することはしません。」
9 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」10 ダビデは言った。「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。11 私が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に逆らって、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」
12 ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。”(2017)とあります。

 8節には、アビシャイが、ダビデに、サウルを殺してしまいましょう、私が殺します、と言っている内容が記されています。
以前にも、同じようなことがありました(1サムエル24:3.4)。
その時にも、今回も、ダビデは、主の主権と主のみ旨を犯すべきではない、と部下をたしなめます。
ダビデは、ヤハウェ(主)に油注がれた者を殺したら、主からの罰を免れない、と考えていました。
ダビデの部下には、そのような発想はありませんでした。

 少し脱線しますが、
人を含めた万物は主のものです。主が万物を所有しておられるのです。
申命記10:14には、「見よ。天と、もろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。」(2017)と記され、
詩篇24:1には、「地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕のものである。」(新改訳第三版)と記されています。  
 「油が注がれる」というのは、新約で言うと「聖霊が注がれる」ということを言っています。
新生した人の内には、聖霊が住んでくださっておられるのです。復活のイエス様が御父から聖霊を受けて私たちの内に住まわせてくださったのです。それで、キリスト者は、神の神殿(宮)である、と言われます。
1コリント3:17には、「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」(新共同訳)と記されています。
キリスト者を殺すことは重罪です。
キリスト者ではなくても、人を殺すこと(自殺or他殺)は、主の所有の者を滅ぼしてしまうことになるのです。
キリスト者を痛めつけるキリスト者に対しても主からのお仕置きがあります。
マタイ24章には、次のようなイエス様の御言葉があります。
“45 ですから、主人によってその家のしもべたちの上に任命され、食事時に彼らに食事を与える、忠実で賢いしもべとはいったいだれでしょう。46 主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見てもらえるしもべは幸いです。47 まことに、あなたがたに言います。主人はその人に自分の全財産を任せるようになります。48 しかし彼が悪いしもべで、『主人の帰りは遅くなる』と心の中で思い、49 仲間のしもべたちをたたき始め、酒飲みたちと食べたり飲んだりしているなら、50 そのしもべの主人は、予期していない日、思いがけない時に帰って来て、51 彼を厳しく罰し、偽善者たちと同じ報いを与えます。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。”(2017)とあります。

 話を元に戻します。
 ダビデは部下のアビシャイをたしなめた後、「主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は生きておられる。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕は必ず彼〔サウル(筆者挿入)〕を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。私が主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に逆らって、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」(10.11)と語っています。ダビデの考え方は、主のものは主が対処するという考え方です。

 12節には、“ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。”(2017)とあります。

 ダビデとアビシャイがサウルの枕もとで会話をし(8-11)、また、ダビデが、サウルの枕もとの槍と水差しを取って、アビシャイと共に立ち去ることが出来たのは、ヤハウェ(主)が働いてくださって、サウルをはじめ、サウルの陣営の者皆を深い眠りに陥らせたからでした。

 ダビデがサウルの枕もとの槍と水差しを取った後のことが、13節に、“ダビデは向こう側へ渡って行き、遠く離れた山の頂上に立った。”(2017)とあります。彼ら〔サウルとダビデ(筆者挿入)〕の間には、大きな隔たりがあった。(13)と記されています。

 14‐16節には、
“14 ダビデは、兵たちとネルの子アブネルに呼びかけて言った。「アブネル、返事をしないのか。」
アブネルは答えて言った。「王を呼びつけるおまえはだれだ。」
15 ダビデはアブネルに言った。「おまえは男ではないか。イスラエル中で、おまえに並ぶ者があるだろうか。おまえはなぜ、自分の主君である王を護衛していなかったのか。兵の一人が、おまえの主君である王を殺しに入り込んだのだ。16 おまえのやったことは良くない。主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に誓って言うが、おまえたちは死に値する。おまえたちの主君、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に油注がれた方を護衛していなかったのだから。今、王の枕もとにあった槍と水差しが、どこにあるか見てみよ。」”(2017)とあります。

 ダビデは、直接サウルに話しかけてサウルを罵倒するようなことはせず、サウル軍の将軍アブネルに攻撃の言葉を浴びせました。
ダビデは、主に油注がれたサウルを間抜け者扱いすることはありませんでした。ダビデは主に油注がれた者に対して失礼な態度を取ることが出来なかったのであろうと思います。ダビデのとった行動は、サウルが平静な状態で、事態を見ることが出来るようにするためでもあったのでしょう。

 17‐25節には、ダビデとサウルの会話が次のように記されています。
“17 サウルはダビデの声と気づいて、言った。「わが子ダビデよ、これはおまえの声ではないか。」
ダビデは答えた。「わが君、王様。私の声です。」18 そして言った。「なぜ、わが君はこのしもべの後を追われるのですか。私が何をしたというのですか。私の手に、どんな悪があるというのですか。19 わが君、王様。どうか今、しもべのことばを聞いてください。もし私に敵対するようあなたに誘いかけたのが主であれば、主がささげ物を受け入れられますように。しかし、それが人によるのであれば、その人たちが主の前でのろわれますように。彼らは今日、私を追い払って、主のゆずりの地にあずからせず、『行って、ほかの神々に仕えよ』と言っているからです。20 どうか今、私の血が主の御顔から離れた地に流されることがありませんように。イスラエルの王が、山でしゃこを追うように、一匹の蚤を狙って出て来ておられるのですから。」21 サウルは言った。「私が間違っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。もう、おまえに害を加えない。今日、おまえが私のいのちを尊んでくれたのだから。本当に私は愚かなことをして、大変な間違いを犯した。」22 ダビデは答えて言った。「さあ、ここに王の槍があります。これを取りに、若者の一人をよこしてください。23 主は一人ひとりに、その人の正しさと真実に応じて報いてくださいます。主は今日、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油注がれた方に、この手を下したくはありませんでした。24 今日、私があなたのいのちを大切にしたように、主は私のいのちを大切にして、すべての苦難から私を救い出してくださいます。」
25 サウルはダビデに言った。「わが子ダビデよ、おまえに祝福があるように。おまえは多くのことをするだろうが、それはきっと成功する。」
ダビデは自分の道を行き、サウルは自分のところへ帰って行った。”(2017)とあります。

 ダビデには2度サウルを殺せるチャンスがありました(1サムエル24:3.4、26:7.8)が、サウルを殺しませんでした。
サウルはダビデに命を助けられるたびに正気に返り、悔い改め、自分の所に帰って行ったのでした。

 しかしダビデは、これでサウルはもう二度と自分を追って来ることはないとは考えませんでした。
1サムエル27:1には、“ダビデは心の中で言った。「私はいつか、今にサウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人の地に逃れるよりほかに道はない。そうすれば、サウルは、イスラエルの全領土内で私を捜すのをあきらめ、こうして私は彼の手から逃れられる。」 ”(2017)と記されています。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を崇めます。
すべての人を所有しているのはあなたです。
人を傷つけてしまうことなく、常に人に対して祝福の祈りをする者であらせてください。
主イエス・キリスト様の御名でお祈りします。アーメン

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コメント

ダビデの主への忠誠心は、信仰の賜物ですね。
きちんと見極めている事ができるのも、主から与えられたものなのでしょうか。
この世のものは全て神様のものと考えると、悔い改める時に言い訳は何一つないことを思いました。
人は何度も同じ様な罪を犯してしまうのだと思いました。

ダビデのようにいつも殺されそうになっているのに、それでも肉によって行動しないというのは本当にすごいことですね。

アーメン。

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