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2021年11月19日 (金)

キリスト者に与えられた恵み3/新生

  新生について、神学書は色々な見解を述べています。私自身も、幾つかの神学形態の書を読み、混乱してきた経緯のある者です。

 人間の組成が、霊魂と肉体からなるという二元説が正しいのか、霊、魂、肉体の三元説が正しいのか、これは、神学家によって意見の分かれるところです。

 私は、三元説すなわち霊、魂、体(地上においては肉体)の方であると考えます。
二元説の人は、霊と魂は同じようなものだ、と考えるようです。
確かに、目で見ることが出来ず、現代の科学によっては捉えることができないということでは共通していますが。

 私が、三元説を信じるのは、
1.“平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。”(1テサロニケ5:23・2017)
2.“神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。”(ヘブル4:12・2017)
などの聖句(他にもありますが冗長になるのでこれまでとします)によります。

 これから記すのは、私が現在考えている新生の概念です。
聖句を見ていきます。この場合、イエス様に従い教えを受けた、ヨハネとペテロを中心に考えていきます。

 自分自身で、主に愛された弟子、と言い、最後の晩餐の時にも、主の胸のところで横になっていたヨハネ(ヨハネ13:23)、主の地上の母であるマリアを託されたヨハネ(ヨハネ19:26.27)は、イエス様とニコデモの会話を次のように記しています。
この会話をパウロは聞いていませんでした。その当時のパウロは、まだ主イエスに敵対していた人であったのです。

 ヨハネ3:1-8には次のように記されています。
“1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である
7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」”(新共同訳)とあります。

 “人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。”(3)と記されている中の「新たに」と訳されている語のギリシア語原語は、「アノーセン」で、新しく、上から、の意があります。
この箇所は、「アノーセン」の一語をもって、「上から、新たに(新しく)」の意が表されているものと私は思います。

 “霊から生まれたものは霊である”(6)と記されている中の「から」と訳されている語のギリシア語原語は、「エク」で、その第一義的な意味は、「~から」(from)の意です。

 ∴新生は、神の霊から生まれた霊をのことを言っていると思います。

 “霊から生まれたものは霊である”(6)と日本語に訳している日本語訳聖書には、新共同訳の他、口語訳、聖書協会共同訳、フランシスコ会訳、岩波訳、前田訳等があります。

 以上のことから、新生とは、神の霊から生まれた霊のことを言っていると私は思うのです。

 尚、旧約時代の書であるゼカリヤ書には、“人の霊をその中に造られた主”(ゼカリヤ12:1・口語訳)という聖句が記されています。
しかし、新生の恵みは、新約時代に入ってからのものなのです。

 1ペテロ1:3には、“私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。”(2017)と記されています。

 一方、魂は、両親からの誕生時にはすでに人に備わっているものであり、魂は、神の霊から生まれた霊ではなく、イエス・キリスト様を信じた時に救われたものです。
1ペテロ1章には次のように記されています。
“8 あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。
9 あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。”(2017)とあります。

 新生が、神の霊からの霊の誕生であるとすると、次の聖句を理解することができます。
“神から生まれた者はみな罪を犯さない・・・”(1ヨハネ5:18・2017)という聖句です。
この箇所を直訳すると、「神から生まれたすべては罪を犯さない」となると思います。
「神から生まれたもの」、「神から生まれたすべて」は、「霊」です。体と魂は、両親からのものであり、新生した霊は、神からのものであるからです。
「神から生まれたもの」をキリスト者と置き換えて読んでしまうので、キリスト者は罪を犯し続けません、という解釈も生まれるのです。
新生した「霊」は、罪を犯さなくても、生まれながらの魂と肉体は、罪まみれです。魂が救われた後であっても、魂は罪を犯します。

 <お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
神性の教義については諸説ありますが、わたし自身としては、上記のような見解に至り、幸せを感じています。
あなたの霊から誕生させて頂いた霊を持たせて頂いていますことを感謝します。
霊の人としての歩みを継続していくことができますよう祝福してください。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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