« 主に祝福を願うときのよりどころ/旧約と新約の違い | トップページ | 人生の荒波もイエス様が一緒ならば大丈夫 »

2022年5月31日 (火)

正しい道と正しく見える道

 箴言1412には次のように記されています。
人が見て自ら正しいとする道でも、その終りはついに死に至る道となるものがある。(口語訳)

 この聖句の「人」と訳されている語のヘブライ語原語は「イーシュ」で、(一人のor個人としての)「人」の意で用いられることの多い語です。
 「エノシュ」(エノーシュ)にも「人」の意がありますが、(死を免れないor死すべき)「人」の意で用いられることの多い語です。
アダムの子のセツは、自分の子にエノシュ(エノーシュ)と名づけました。
 「アダム」(アーダーム)にも「人」の意がありますが、「アーダム」が原義で、「アーダム」は。血色の良いor生きているの意です。
創世記319に、「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」(新改訳第三版)というアダムに対する神ヤハウェ(主)の御言葉がありますが、この文章の中の「土」と訳されている語のヘブライ語原語は「アダーマ―」です。

 人の生き方、人の生きていく指針は、人により様々です。
すなわち人の人生観には様々なものがあるのです。
「人生観」とは、デジタル大辞泉によると、人生に対する見方。人生の目標・意味・価値などについての全体的、統一的な見方で、人生とは何か、人生いかに生きるべきかについて、具体的、実践的な記述・指針を含む。と記されています。

 ある人は、どうせ死ぬのだから食べて飲んで楽しもう、と言うでしょう。
伝道者(コヘレト)の言葉815には、私は快楽を賛美する。日の下では、食べて飲んで楽しむよりほかに、人にとっての幸いはない。15節抜粋・2017)と記されています。
 ある人は、お金こそすべてだ、という生き方をするでしょう。
ある人は、神などいない、と言って、人の命をも軽視するでしょう。
ある人は、神様仏様、と言って、八百万の神仏にすがるでしょう。
三一の神ではない一神教の神に、報いを期待して、自分の命をささげるという人もいるでしょう。
また、ある人の教えに傾倒する人もいるでしょう。

 イエス様は、「滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。」(マタイ713抜粋・2017)と語られました。

 いのちに至る門は、一つしかないのです。
命に至る門は、唯一なのです。
イエス様は、「いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」(マタイ7142017)と語られました。
「いのちに至る門」とは、イエス様のことです。
イエス様は、「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。」(ヨハネ109抜粋・2017)と語られ、また、
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ146抜粋・2017)と語られたのです。

 聖書の話についてならば、大体知っている、という人がいたとします。
しかし、イエス様を信じなければ、救われて永遠のいのちを与えられることはありません。
イエス様を信じるというのは、イエス様に、自分の心の中に入って頂くことです。
黙示録320には、「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸〔心の戸(筆者挿入)〕を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」(2017)というイエス様の御言葉が記されています。

 また、ヨハネ112には、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々12節抜粋・2017)と記されています。

 「死に至る道」(箴言1412)ではなく、「永遠の命」を与えられたいと願う方は、イエス様を心にお迎えしてみてください。心から願うならば与えられます(マタイ77)。

 今日のお祈りは、イエス様の御救いにあずかるためのお祈りを下記します。
どの様なお祈りの内容でも、イエス様は、その祈りが真実なものであるならば受け取ってくださいます。
お祈りの一例を下記しておきます。


<お祈り>
イエス・キリストの父なる神様。
わたしはこれまで、嘘をついたり、ごまかしたり、人を傷つけたり、イエス様を信じて来なかったりと、たくさんの罪を犯してきました。
赦してください。
イエス様、私の心にお入りください。
私は、あなたを救い主と信じて、心にお迎えします。
イエス・キリスト様のお名前でお祈りします。アーメン。

« 主に祝福を願うときのよりどころ/旧約と新約の違い | トップページ | 人生の荒波もイエス様が一緒ならば大丈夫 »

救い・救われたい方へ」カテゴリの記事

日ごとの恵みⅥ」カテゴリの記事

コメント

傍で見守ってくださっている感覚や、正してくださっている感覚はあり、とても感謝して過ごさせていただいております。
まだ、自力でなんとかしようとした生き方の癖が中々抜けきらない時がある事も自覚してしまいます。
私の心の中にイエス様がいらっしゃるかな?と考えると、まだまだお迎えする事が出来ていない様な感じもしてしまいます。それでも感謝でいっぱいです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 主に祝福を願うときのよりどころ/旧約と新約の違い | トップページ | 人生の荒波もイエス様が一緒ならば大丈夫 »

カテゴリー

2024年5月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ