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2022年5月26日 (木)

罪の苦しみからの解放

 詩篇2516-22には次のように記されています。
“16
私に御顔を向け私をあわれんでください。私はひとり苦しんでいます。
17
私の心の苦しみが大きくなりました。どうかこの苦悩から私を引き出してください。
18
私の悩みと労苦を見て私のすべての罪を赦してください。
19
ご覧ください。私の敵がどんなに多いかを。彼らは不当な憎しみで私を憎んでいます。
20
私のたましいを守り私を救い出してください。私が恥を見ないようにしてください。私はあなたに身を避けます。
21
誠実で直ぐな心で私が保たれますように。私はあなたを待ち望んでいますから。
22
神よイスラエルをそのすべての苦難から贖い出してください。2017)とあります。

 16節の「私はひとり苦しんでいます」、17節の「私の心の苦しみが大きくなりました。どうかこの苦悩から私を引き出してください。」、18節の「私の悩みと労苦を見て私のすべての罪を赦してください。」という箇所を読むと、ダビデのバテ・シェバ事件(ダビデによる姦淫と殺人教唆の罪)を思い浮かべます。
22
節には、「神よイスラエルをそのすべての苦難から贖い出してください」とありますが、バテ・シェバ事件以後、ダビデは、息子のレイプ事件に対処することもできず、国内にダビデへの憤りや不満を持つ者が徐々に顕在化し、国内に不一致が見られるようになり、やがて息子アブサロムの造反へと繋がったのです。

 美女バテ・シェバの裸を見、人妻のバテ・シェバを召し入れて男女の関係を持ったダビデ。バテ・シェバの妊娠が分かった後の策略と、それがうまくいかなかった後のバテ・シェバの夫ウリヤに対する殺人教唆の罪。バテ・シェバの夫の戦場における無駄死に。それらの罪を心の中に隠し続け、ダビデの苦悩は大いなるものとなりました。
以上の出来事とその余波は、2サムエル11-20章に記されています。

 主は、預言者ナタンを遣わし、ダビデの罪を指摘しました。
ダビデは、主と預言者ナタンの前で、罪を告白しました。

 今日の聖書箇所の一つ前の節には、「私の目はいつも主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に向かう。主が私の足を罠(わな)から引き出してくださるから。」(2017)とあります。
罪を指摘されても、主の御前に留まる人は幸いです。

 ダビデが主に罪を告白し、主に罪を赦された後に書いた詩に、詩篇32篇と51篇があります。
 詩篇321-7には次のように記されています。
“1
幸いなことよ、その背きを赦され、罪をおおわれた人は。
2
幸いなことよ、主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕が咎をお認めにならず、その霊に欺きがない人は。
3
私が黙っていたとき、私の骨は疲れきり、私は一日中うめきました。
4
昼も夜も、御手が私の上に重くのしかかり、骨の髄さえ夏の日照りで乾ききったからです。
5
私は自分の罪をあなたに知らせ、自分の咎を隠しませんでした。
私は言いました。「私の背きを主〔ヤハウェ(筆者挿入)〕に告白しよう」と。
するとあなたは私の罪のとがめを赦してくださいました。
6
それゆえ敬虔な人はみな祈ります。あなたに向かって、あなたがおられるうちに。大水は濁流となっても、彼のところに届きません。
7
あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で私を囲んでくださいます。2017

 詩篇511-17には次のように記されています。
“1
神よ、私をあわれんでください。あなたの恵みにしたがって。
私の背きをぬぐい去ってください。あなたの豊かなあわれみによって。
2
私の咎を私からすっかり洗い去り、私の罪から私をきよめてください。
3
まことに、私は自分の背きを知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。
4
私はあなたに、ただあなたの前に罪ある者です。私はあなたの目に悪であることを行いました。ですからあなたが宣告するとき、あなたは正しく、さばくとき、あなたは清くあられます。
5
ご覧ください。私は咎ある者として生まれ、罪ある者として、母は私を身ごもりました。〔堕罪したアダムの子孫である人間は、原罪、すなわち罪の性質をもって生まれてきます。(筆者挿入)〕
6
確かにあなたは心のうちの真実を喜ばれます。どうか私の心の奥に知恵を教えてください。
7
ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば私は雪よりも白くなります。
8
楽しみと喜びの声を聞かせてください。そうすればあなたが砕かれた骨が喜びます。
9
御顔を私の罪から隠し、私の咎をすべてぬぐい去ってください。
10
神よ、私にきよい心を造り、揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。
11
私をあなたの御前から投げ捨てず、あなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください。
12
あなたの救いの喜びを私に戻し、仕えることを喜ぶ霊で私を支えてください。
13
私は背く者たちにあなたの道を教えます。罪人たちはあなたのもとに帰るでしょう。
14
神よ、私の救いの神よ、血の罪から私を救い出してください。私の舌はあなたの義を高らかに歌います。
15
主よ、私の唇を開いてください。私の口はあなたの誉れを告げ知らせます。
16
まことに私が供えても、あなたはいけにえを喜ばれず、全焼のささげ物を望まれません。
17
神へのいけにえは砕かれた霊。打たれ砕かれた心。神よあなたはそれを蔑(さげす)まれません。2017)とあります。

 ヤハウェ(主)を信じていたダビデは、罪責感に苦しんでいましたが、自分の何かに頼るのではなく、へりくだってヤハウェ(主)の前に出ました。
罪を告白した時、ヤハウェ(主)は赦してくださったのです。

 1ヨハネ19には、「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(2017)と記しています。

 私たちの罪の赦しのためには、大きな犠牲が払われました。
御父は、愛してやまない御子を私達人類の罪の赦しのために、御子に、一人一人が犯したすべての罪を負わせて、御子イエス・キリストを十字架上で裁かれたのです。
御子は、私たちすべての人の罪を身代わりに負って、その裁きを受けるために肉体をとって地上に生まれてくださいましたが、その罪のあまりにも大きな故に、ゲッセマネで主はかくも悩み、十字架上で私たち一人一人の罪をその身に負い、罪の裁きを受けることによって、その愛を示してくださったのです。
 
 イザヤ53章は、イエス様が地上に降誕される約700年前の預言ですが、ペテロは、おそらくそれを要約して引用し、また御そば近くに仕えていたことの故に、聖霊によって1ペテロ221b-25を次のように記したのでしょう。
“21
・・・。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
22
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
23
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
24
そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。
25
あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。2017)とあります。

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名を賛美します。
罪を示されたときには、すぐに主に告白し、いつも御父と良き関係を保ちつつ地上生涯を送ることができますようお導きください。
主にして救い主であられるイエス様の贖いを御父と主イエス様に感謝し、私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

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