« 箴言20:24 人の歩みを確かなものとしてくださる主 | トップページ | 申命記5:11 十戒4 »

2023年1月19日 (木)

マタイ16:5-12 ファリサイ派とサドカイ派のパン種(だね)/間違った教えに注意

 マタイ165-12には次のように記されています。
5 弟子たちは向こう岸に行ったが、パンを持って来るのを忘れた。
6
 イエスは彼らに、「ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に十分注意しなさい」と言われた。
7
 弟子たちは、「我々はパンを持って来なかった」と言って、互いに議論していた。
8
 イエスはそれに気付いて言われた。
「信仰の薄い者たちよ。なぜ、パンを持っていないことで議論しているのか。9 まだ、分からないのか。覚えていないのか。五つのパンを五千人に分け、なお幾つの籠に集めたか。10 また、七つのパンを四千人に分け、なお幾つの籠に集めたか。11 パンについて言ったのではないことが、どうして分からないのか。ファリサイ派とサドカイ派の人々のパン種に注意しなさい。」
12
 その時、弟子たちは、イエスが注意を促されたのは、パン種のことではなく、ファリサイ派とサドカイ派の人々の教えのことだと悟った。”(聖書協会共同訳)とあります。

 主イエス様はファリサイ(パリサイ)派とサドカイ派の人々の教えに注意を払うように教えられました。
この両派の教えの本質に注意すべきなのは現代でも同じです。

 ファリサイ派もサドカイ派も主イエス様に抵抗していましたが、ファリサイ派とサドカイ派とでは考え方の違いがありました。

 ファリサイ派について
 1.主イエス様の教えに合致する考え方と行動
聖書(旧約聖書)を信じていた。
肉体の復活と永遠の命とを信じていた。
天使や悪霊の存在を信じていた。
 2.主イエス様の教えに合致しない考え方と行動
神のすべての命令に従おうとしていたが、それは、イエス様が教えてくださる解釈によるのではなく、自分たちの解釈に基づくものであった。
主なる神の教えではない自分たちが考えた宗教規則を、神が定めた律法と同じ位置に置いていた。
律法も自分たちが定めた宗教規則も、肉なる人間には100%実行することなどできない内容なので、敬虔さを装おうとして偽善者となっていた。
律法や自分たちの宗教規則に従うことによって救いが得られると考えていたので、旧約聖書全巻を信じているといっても、恵みや憐みという神のメッセージを心に留めることが出来なかった。

 サドカイ派について
 1.主イエス様の教えに合致する考え方と行動
モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を信じていた。
 2.主イエス様の教えに合致しない考え方と行動
モーセ五書を信じていたとはいえ、申命記1818の聖句を理解していなかった。
モーセ五書以外の旧約聖書を軽視していた。
肉体の復活や永遠の命を信じていなかった。
天使や悪霊の存在を信じていなかった。
神殿を商売の場所にしても良いと考え実行していた。

 サドカイ派やファリサイ派に対するバプテスマのヨハネの見解
7 ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼(バプテスマ)を受けに来たのを見て、こう言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。8 それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。”(マタイ3章・聖書協会共同訳)

 サドカイ派やファリサイ派に対する主イエス様の見解
“言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。〔律法学者やファリサイ派の人々の義では天の国に入れない(筆者挿入)〕”(マタイ520・新共同訳)
1 それから、イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。
2
 「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。
3
 だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見習ってはならない。言うだけで実行しないからである。
4
 彼らは、背負いきれない重荷をくくって、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために指一本貸そうともしない。
5
 そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱のひもを幅広くしたり、衣の房を長くしたりする。
6
 宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、7 また、広場で挨拶されたり、『先生』と呼ばれたりすることを好む。
8
 だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆きょうだいなのだ。
9
 また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。
10
 『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。
11
 あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。
12
 誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
13
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、人々の前で天の国を閉ざしている。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。
14
〔異本に、「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちはやもめの家を食いつぶし、見栄のために長い祈りをしている。だから、おまえたちは人一倍ひどい罰を受けるのだ。」を加えるものもある(2017)〕
15
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、改宗者を一人つくろうとして、海や陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪いゲヘナの子にしてしまう。
16
 ものの見えない案内人、あなたがたに災いあれ。あなたがたは、『神殿にかけて誓っても、それに縛られることはない。だが、神殿の黄金にかけて誓ったら、それを果たさねばならない』と言う。
17
 愚かで、ものの見えない者たち、黄金と、黄金を聖別する神殿と、どちらが尊いか。
18
 また、『祭壇にかけて誓っても、それに縛られることはない。だが、その上の供え物にかけて誓ったら、それは果たさねばならない』と言う。
19
 ものの見えない者たち、供え物と、供え物を聖別する祭壇と、どちらが尊いか。
20
 だから、祭壇にかけて誓う者は、祭壇とその上のすべてのものにかけて誓うのだ。
21
 神殿にかけて誓う者は、神殿とその中に住んでおられる方にかけて誓うのである。
22
 天にかけて誓う者は、神の玉座とそれに座っておられる方にかけて誓うのだ。
23
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、ミント、ディル、クミンの十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な公正、慈悲、誠実をないがしろにしている。これこそ行うべきことである。もっとも、十分の一の献げ物もないがしろにはできないが。
24
 ものの見えない案内人たち、あなたがたは、ぶよは漉して除くが、らくだは呑み込んでいる。
25
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは、杯や皿の外側は清めるが、内側は強欲と放縦で満ちている。
26
 ものの見えないファリサイ派の人々、まず、杯の内側を清めよ。そうすれば、外側も清くなる。
27
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。
28
 このようにあなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
29
 律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたがた偽善者に災いあれ。あなたがたは預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしている。
30
 そして、『もし先祖の時代に生きていたなら、預言者の血を流す側には付かなかったであろう』などと言う。
31
 こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫だと、自ら証明している。」”(マタイ23章・聖書協会共同訳)

パウロの言葉からサドカイ派とファリサイ派の違いが明らかにされた部分
1 そこで、パウロは最高法院の議員たちを見つめて言った。
「兄弟たち、私は今日に至るまで、あくまでも良心に従って神の前で生きてきました。」
2
 すると、大祭司アナニアは、パウロの近くに立っていた者たちに、彼の口を打つように命じた。
3
 パウロは大祭司に向かって言った。
「白く塗った壁よ、神があなたをお打ちになる。あなたは、律法に従って私を裁くためにそこに座っていながら、 律法に背いて、私を打て、と命令するのですか。」
4
 近くに立っていた者たちが、「神の大祭司を侮辱する気か」と言った。
5
 パウロは言った。
「兄弟たち、その人が大祭司だとは知りませんでした。確かに『あなたの民の指導者を悪く言ってはならない』と書いてあります。」
6
 パウロは、議員の一部がサドカイ派、一部がファリサイ派であることを知って、議場でこう叫んだ。
「兄弟たち、私はファリサイ派であり、ファリサイ派の子です。死者が復活するという希望を抱いていることで、私は裁判にかけられているのです。」
7
 パウロがこう言ったので、ファリサイ派とサドカイ派との間に論争が生じ、議会は分裂した。
8
 サドカイ派は復活も天使も霊もないと言い、ファリサイ派はこのいずれをも認めているからである。
9
 そこで、騒ぎは大きくなった。ファリサイ派の数人の律法学者が立ち上がって激しく論じ、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」と言った。”(使徒23章・聖書協会共同訳)

<お祈り>
天のお父様。
あなたの御名をほめたたえます。
現代のクリスチャンと言われる人たちでも、聖書以上に厳しい掟に従ったり、逆にイエス様を信じさえすれば放縦でも大丈夫、と言わんばかりの行動をとる人などがおります。
一人一人が、聖書をよく読み、あなたから教えられて、あなたのみ旨にあった歩みをしていくことが出来ますように。
私たちの主キリスト・イエス様の御名で祈ります。アーメン。

« 箴言20:24 人の歩みを確かなものとしてくださる主 | トップページ | 申命記5:11 十戒4 »

日ごとの恵みⅩ」カテゴリの記事

マタイによる福音書」カテゴリの記事

コメント

奥深いです。
まだまだ私もファリサイ派に近いなーと、学びながら思いました。
何が正しい行いなのか?手探りな感じで始まっている分、躓きながらな感じですが、明らかにこれは…主から「違う」と言われていると思った時は、即、罪を認め、懺悔し祈るという事を行っています。できない事だらけの中、少しずつでもわかってゆける事は幸いなこと。そう感じます。

アーメン。
ハレルヤ!

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 箴言20:24 人の歩みを確かなものとしてくださる主 | トップページ | 申命記5:11 十戒4 »

カテゴリー

2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ